16話「協奏」
彼女は『アリア・ダ・カーポ』という。
二年生。ジョシュアより先輩だ。
……なんとなく名前で察せる雰囲気。音楽の家系の生まれ。美貌もさることながら、特に彼女の歌声は広く評価されているらしいが、そうとはまったく感じさせないくらいに、やたらと内気で後ろ向きな性格をしている。
「いやァ……別に困ったことはないんで」
「そ、そうなのですか? で、でも」
「お気遣いありがとうございます。それでは」
俺はすぐさまこの場を去りたかった。
興味の源がどこからくるのか、というのは、おおよそ推測できる。本来、ジョシュアとルークの決闘を見ていた彼女は、自分の実力を周囲に堂々と示す主人公にあこがれを抱き、彼にアプローチをかけるはずなのだ。
それが、なぜか悪役である俺のほうにきている。
『魔王ルート』……ジョシュアが存在しない世界線での軋轢から、必然的にこうなる運命だったのだろうか?
なんて、そんなわけがない。
俺はひるんでいた。
ストーリーが変化しているに違いない、という漠然とした疑念が、表層を主張しはじめている。
関わっていいものだろうか……いや、ルークに回して、ほんのすこしでも修正するべきだ。そう思っていた。
というか、ルークに用がある可能性が高い。
「ま、待って……ください」
「う」
なんで内向的なのに、こういうところでは芯が強いんだよ……まあ、アリアにとってはターニングポイントだと信じているからなんだろうけど。
「わ、ワタシはアナタの、その、決闘を見て、ゆ、勇気をもらいました……アナタのように、なりたいのです。ですから、その」
俺?
ルークじゃなくて?
頭の中に疑問符を増殖させた。
俺の、戦いを、見て。
勇気をもらった……だって?
それは、なんというか。
「それは……」
餌を待つ金魚のように口を開いては閉じ、なにを言えばいいのか考えていた。
俺は弱いから、ただ必死なだけで。
必死にやって自己満足をしていただけで。
それで評価されなくて、悔しくて。
悔しくて、また必死になって。
俯瞰して、みじめったらしいことこの上ない。
大したことなんてしていない、はずだ。
謙遜とかじゃなく事実だ。
……だからこの話はこれでおしまいにしよう。
静かに喉を震わせた。
「マジですか? え、マジ?」
「え、えぇ。はい」
──ダメだった。普通に嬉しすぎた。
だってモデル顔負けの陰気系美女が、弱い自分をなんとか抑えながら、勇気をもらったとか言ってくれるなんて、冥利につきすぎるだろ。
しかもちょっと顔赤くなんてしてんの。
赤くなんてしてんの。
理性を抑えるの無理だよ。
ジョシュア……俺ばっかいい思いして悪い。でも、お前も俺なんだから許してくれよ。な、ちょっとくらい有頂天になってもいいじゃん。
「アリアさん。よかったらどういうところが、とか聞いていいですか?」
「えっえっ、あっ、えっ」
「そんな……そこまで言ってくれます?」
「な、ワタシまだ、なにも言ってないですよぅ」
ヤバいなこれ。自尊心が高まる。
俺ってすごいんじゃねって勘違いしてしまう。
困ったなぁ、ホントに困った。
「……あの、ワタシのこと、し、知っておられたのですか?」
ヤバいなこれ。警戒心が薄れた。
つい彼女の名前を口に出してしまった。
……困った。本当に困った。どうしよう。
「っす、ハイ、すこしは」
「あの、あ、光栄です……!」
目がキラキラしてる。なんだこれ。
いつ仮面ライダーになったんだ俺は?
「じゃ、じゃあ俺はこれで、ウン」
ルーク、ルークに回さなきゃ。
軌道修正しなきゃ。
ルート入っちゃう。
アリアのルート入っちゃう。
「わ、ワタシ、この機会を逃したくはありません。あの、その……ご迷惑でなければ、一緒にいさせてください」
間違いなく俺の天敵だ。
自尊心を満たしてしまう、闇のエナジードレイン。
あまりにも迂遠なサキュバスみたいな。
絆されちゃう。ヤバい。
浄化されちゃう。
「と、友達としてですよね……? それならルークのほうがいいんじゃ」
「あ、アナタでなくては、イヤ、です……」
キラーフレーズとキラーフレーズの連鎖反応。
満たされる感がえげつない。
なにを言えば相手が喜ぶか理解してやっているのか、それとも天然なのか?
こういうあざといのに弱いのに。
あざとさの化身じゃんこんなの。
……俺は思い出していた。ゲームの外で『アリア・ダ・カーポ』がなんと呼ばれていたのか。
豊満な肉体と美しい顔立ち。人を寄せつけない振る舞いで高嶺の花にみえるが、その実、庇護欲をそそる性格と小動物のような依存気質で。ひとたび惚れれば、不慣れな愛の絨毯爆撃を振り撒いてくる。
近づいて、俺の手を両手で握り、上目遣いに顔を覗き込んで。前髪の奥で瞳が蒼色にゆらめく。
「だ、ダメ……でしょうか?」
ああそうだった。
アリアは『男殺し』の異名を持っていた。
♢
「ジョシュア。なにかあったの?」
「うん? いや? なんもないっすよ」
「複雑な黄色」
「ぐっ」
「ご主人様……なんだか気持ちが悪い顔してますよ。わたしにも分るくらいに変な顔です」
「変な顔ってなに? しとらんよ?」
「ヒキますよ、普通に」
そんなに顔に出てるかな……。
寮に帰る道すがら、カラとメフィストフェレスと歩いていたら、さっそく訝しまれてしまった。
あの後、アリアと別れ、心から後悔をしていた。
快諾してしまったのだった。
あんなんズルじゃんかよ。
講義が終るまでどうしようか考えていたのだが、とにかくまず、隣にいたルークに押しつけようとして提案してみたら。
「アリア先輩? なんか聞いたような……ごめん、あまり興味ないかもしれない」
とか言われてしまった。
ウソだろお前、アリアルートだと結構いい感じに照れてなかったか……と思い返せば、たしかにそんなことはなかった。求められたから応えていただけだった気がする。
「……あの、なんというかっすね」
ふたりが俺の顔をじろじろ見てくる。
なんだろう、すごい言いにくい。
べつに言いにくくなる理由なんてないのに。
なんでこんなに後ろめたいんだろうか。
「そのっすね……」
「あ、あ、はぁっ……ジョシュアさん……」
「え、アリアさん!?」
背後からかけられた美しいはずの声が、いまの俺にはどうしても出刃包丁を研ぐ音のように落ち着かないものとなって聞こえてしまった。
「あ……はぁ……はぁ……うんっ……」
「エッ」
みると、息せきかけて走ってきたらしい、汗が滲む彼女がいた。
手で胸を抑え、荒い呼吸を整えているが肉感的な変形がよく目立つ。乱れた横髪を耳にかけながら、途中で息を呑んだりしている。わざとやってんだろ。
周囲の男子生徒は扇情的な視線を隠そうとすらできずに、惚け眺めていた。
そりゃそうよ。存在がもうエロいんよ。
カラを横目で確認した。
虹色の目なのに白黒させて、背景に宇宙でも添えられているかのように静止している。ネコっぽい。
メフィストフェレスは……無表情でこっちを見つめていた。こわい。
とりあえずなんか言わないと。
「アリアさん、あなた体力ないんですか?」
「え、えぇ……はぁ……瞬発力なら自信が……ん」
「……ご色情魔様、この方は?」
「え? 俺のこと言ってるのそれ……二年のアリア・ダ・カーポさんだよ。なんか知り合ったんだよ」
「変態的な行為はしてませんか?」
「してるワケねーだろ!?」
メフィストフェレスの声色とジョークがいつにもまして殺人的になっている。なんで俺はこんなに後ろめたい?
悪いことしてないだろ。してないよね?
カラが俺の袖を引いてきた。
正気に戻ったか。
カラちゃん……なんとかしてくれよな。
もう君しか頼れないんだ。
俺の想いが伝わったようだ。
彼女は静かにうなずいて、覚悟を決めたように口を開いた。たのむ。
「私とは遊びだったのね」
「どういうことだ!?」
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