4話「虹彩」

 痛い。歩くだけで予想以上に痛い。

 昨晩、太ももを相当に深く刺してしまったようだ。

 制服の上から熱を孕む右脚を手で押さえていた。

 本当に痛くて歩行が困難なほどだった。


「テンションに身を任せすぎた……」


 寮から中庭を経由して学舎へ向かう道すがら。

 朝日を浴びながら、右足を引きずるようにして、後ろから抜き去る学生をただ恨みがましく眺めていた。


 ……あの後、止血をし、メフィストフェレスにいくつか『命令』を試した。


 確認してみたところ、やはり逆らえないようで、「語尾にニャをつけろ」とか言ってみたら真っ赤になって「殺すニャ!」なんて叫ぶものだからかなり面白かった。


 とりあえず以降は逆らえないような命令を下したところまでは覚えていて、そのまま椅子に座りながら気絶するように寝てしまったみたいだ。

 

 起きたらメフィストフェレスの姿はなかったが、書置きがあった。


『親愛なるご主人様へ。


 命令を遂行するため、買い出しに行ってまいります。お昼ごろにはお傍に居られるでしょう。


 ところでなぜそのように性癖がゆがんだのかわたくしには理解しかねますが、ドン引きせざるを得ませんでした。機会があれば、確実にブチ殺して差し上げたい所存です。


 それと、二度と命令しないで下さい』


 と書いてあった。思い出したらまた笑えてきた。


 ……深呼吸をする。

 今朝はもう終ったものとして。

 夜はもう過ぎたものとして。

 周りを見渡す。


 にしてもまあ。


「おい、ジョシュアだぜ……」

「昨日の見た?」

「あぁ。ボロボロに負けてやがった」

「よく来れるよな、ホント」

「普段威張ってるくせに恥ずかしいとか思わないのかな?」


 よくここまで嫌われたもんだな……。


 ほとんどの生徒がほの暗い表情で嘲笑していた。

 

 いままでのジョシュアは『威張ってはいるけど貴族なので実力はあるはず。逆らえないだろう』と思われていたようだが、主人公との決闘で完敗。


 あげくに「貴族だかなんだか知らないが、実力もないのに威張るな!」と大見得を切られてしまったので、表立って無能の評判が轟いているようだ。。


 『エヴォルヴ・アカデミア』の基本的なストーリー展開は、平民出身の主人公が実力だけで成り上がり、生まれで評価される社会を、正しく評価される社会へと変化させていくのが特徴だ。


 持たざる者の変革、ここから学園は実力主義に移り変わってゆく。それがあったからこそ、実力者同士で協力し、ラスボスが倒せるわけだ。


 形骸化した貴族社会を風化させながら、いまの社会構造を肯定できるわけだ。


「ねぇ」

「……憂鬱だなぁ」


 象徴的なエピソードのうちひとつ。

 ジョシュアの敗北をきっかけとして『決闘ランキング制度』なるものが制定される。


 勝利者の主人公はこれを機に己を磨き、ランキングを上り詰めて。


 敗北者のジョシュアはどのルートでも転落する。


 実力で勝てず、周りから見放され、腐って、次第に主人公たちの妨害だけを考えはじめる。それを勝つことだと勘違いしてしまう。


 もっとも──『魔王ルート』だけは例外で、転落する以前の問題だが。


「俺から言わせりゃお前だって」

「ねぇ。と言っている」

「お前だって主人公として生まれてるだろうに」

「む。人の話は聞いた方がいい。失礼」


 誰かが誰かに話しかけているようだが……。

 なんだ? 俺に話しかけているのだろうか?


「そう。あなた」


 心を読まれた……?

 そう思って横を見るが誰もいない。

 気のせいか。


「下」

「おわっ!」


 あまりにも小さすぎて気づかなかった。

 ジョシュアの身長は約180cm。相手は胸のあたりに頭頂部があるので、140cmくらいか。


 というか近い。

 頭しか見えない。

 光を反射して妖しい碧色の髪。

 つむじがよく見える。つむじしかよく見えない。

 なんだこれ、この世界に生息するつむじの妖怪か?


「失礼。変なこと考えてる」

「こ、苔むしてる妖怪かと……」

「苔……失礼。これは自慢の髪色。あなたはカラス色してる。あなたはセンスない」

「は? いやセンスあるし」

「ない。私は手入れしてる。センスある」

「俺は手入れしてない……センスない」

「あなたはセンスない」

 

 ちなみにジョシュアも手入れしていない。

 俺らセンスないらしいよ。

 変に負けた感がして距離をとり、相手の全貌を把握した。


 その少女──碧色の髪は肩口で切りそろえ、緩やかに巻いて。幼い顔立ちは白く透き通った肌も相まって不可侵な無垢さを保っている。


 俺よりふた回りほど小さい華奢な体格と切るような言葉遣いから、無感動な雰囲気を感じられるがそういうわけでもない、らしい。


 そして……最たる特徴は、その目だ。

 複雑な色が混ざり合い、光の加減で万華鏡のように変化する。なんて表現すればいいだろう?

 虹色とでもいうべきか。

 見つめられると妙な気分がする。


「綺麗。私。照れる」

「まぁ美少女すぎるくらいには」


 両手で赤くなった頬を抑えていた。

 というか。


「心が読めるのか?」

「読めない。でも色が見える」


 というか。


「色って?」

「敵対は赤、逃避は青、歓喜は黄色。黒は関心、白は無関心。そのグラデーション」

「……見えてる世界が違うんだな」

「赤紫。黒くなった。でも」


 ……というか。


「複雑。ざらついてる。なぜ?」


 なぜ。なぜ気づかなかったのだろう。


「不躾じゃないか。お互い名前も知らないのに」

「失礼した。私はカラ。あなたはジョシュア。これでもう知ってる」


 『虹の目』カラ・スペクトラム。

 彼女は主人公やジョシュアと同じ一年生だ。

 天賦の才を持ち、努力することを知らない神童。

 麒麟児。信じられないほど高い魔力量と魔術に対する理解力を持つ。


 しかもさらにそれらより驚異的な才能がある。

 彼女は感情を読み取る目を持っている。


 戦いに興味はないものの、礼儀にはこだわりがあるようで、決闘を申し込まれるたび断っては失礼だと返り討ちにしていたそうだ。


 ……そう過ごして二か月後の夏。


「だから教えて」


 彼女は『決闘ランキング壱位』になる存在だ。


「あなたの本当の色を」

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