ゲームの悪役に転生した俺、原作知識で悪魔を騙す。~全ステータス最低でもバフればよくね?~
カオスマン
1話「悪魔」
泣き腫らし、憔悴しきった表情が鏡に映されていた。俺の顔ではない。
黒い髪と虹彩はどちらも濁って……しかし西洋系のわりと端正な顔立ちだった。
赤く、腫れていなければだが。
「誰だ……?」
原型を想像してみると、驚くほど容易に誰なのか思い至った。
「ジョシュア・ヨハン・ファウスト……」
学園ファンタジー系RPGゲーム『エヴォルヴ・アカデミア』のキャラクターであり、ファウスト家の長男として生を受け、才能も実力もないのに貴族の権力を振りかざす。
ことあるごと主人公に敵対し、周囲を引っ掻きまわした挙句にすべてのルートで死を向かえる。
いわゆる悪役だ。それも相当に独善的な。
俺はこいつが嫌いだ。
恵まれた環境にあって傲慢かつ怠慢。その上にある境遇を嘆くのに責任は他者に転嫁する。誰も彼に期待しない。おそらく彼自身を含めて。
しかしそこまでは構わない。そこまでは。
もっとも嫌悪するべきは……。
「うえぇっ」
強烈な嘔き気に口許を抑える。えずきながら洗面台を見つめる。頭の中がグルグル回る。俺の知らない過去がひしめき合っていた。
情報量の多さに気が狂いそうだ。気分が悪い。
(夢なのだろうか? それにしたってもっと楽しくてもいいんじゃないか)
あまりの感覚の明瞭さに夢ではないということを確信しながら、そんなことを思った。
……必死に耐えていると、次第に落ち着いてきた。
「悔しかったのか。負けて」
鏡に向かって確認するように言うと、また涙が流れた。ほんの数時間前の夕方。
ジョシュアは主人公に決闘を挑み、敗北していた。
これは『魔王ルート』の序盤も序盤だ。
チュートリアルが終わり、ダンジョンでレベリングを終えたプレイヤーが最初に対峙することになる中ボス。このルートではそれがジョシュアなのだ。
ジョシュアは信じられないほど弱い。
初期ステータスであってもまったく問題ないほどに弱い。初心者が攻撃コマンドを適当に選んでも勝ってしまうくらいに弱い。
レベル10時点の彼のステータスが主人公の初期ステータスを下回っているからだ。
このステータスの低さはゲームバランス的な理由から仕方がないのだが、公式に発表されている設定では『努力を怠ったから』ということになっている。
プレイヤーもキャラクターも、ともすれば開発者でさえも彼をそう見ている。
だけど俺はその設定を見ながら、本当に努力を怠った人間はレベル10にすらなれないだろう。なんて反論をしたい気分になったことを覚えていた。
鏡越しに彼の目を見る。
俺はこいつが嫌いだ。
ジョシュアは敗北が悔しかったのではない。
嘔き気はまだ残っていたが、深く息を吸い込んだ。
「ふざけるな!」
ジョシュアとして叫んだ。
彼の記憶はむしろ逆だった。
手には豆が絶えないほどに剣を振り、限界が来たら魔術理論を学ぶ。身体が動くようになればまた剣を振り、限界が来たらまた……。
ただ毎日、誰にも知られないように繰り返した。
知られると「才能がないから」。
知られると「無駄なことだから」。
知ったような口で諦めろと言われるから知られたくなかった。
……やはり。やはりそうだ。
そりゃそうだろう。努力していたんだ。
努力するから実らないのが悔しい。
敗北よりも、自身の才能のなさが悔しい。
努力じゃどうにもならないことが悔しい。
そう、彼のもっとも嫌悪するべきは……。
感情を吐き出してすっきりしたが、ジョシュアはそうもいかないらしい。
いまだに頭のなかで「殺す」と叫びまわっている。
うるさくて仕方がない。融合したようなものなんだから大人しくしててほしい。
たしかに記憶も感情も分かれているし、人格はジョシュアではなく俺だ。
だからといってお前の分の感情まで捨て置くなんてことはしない。
あまりにも面倒だからあやすつもりで言った。
「そういちいち怒鳴んなって……」
彼のもっとも嫌悪するべきは。
まさしく共感できるところだった。
「俺だって同じ気持ちなんだよ」
♢
静かになった。
洗面台を離れ、ベッドに身を投げ出した。
暗い天井を眺めながら幾分かマシなった頭で考えた。
『魔王ルート』において主人公はジョシュアと二度対峙することになる。
一度目はチュートリアル直後。二度目は中盤。
主人公に敗北し、逆恨みから復讐を企てるジョシュアの下に、魔王幹部補佐の悪魔『メフィストフェレス』がやってくる。
メフィストフェレスは他者のステータスを超強化する能力を持っていて、ジョシュアはその口車に乗せられ、契約書にサインをする。
内容をろくに読まなかったのか『絶対服従』等の記載事項があることに気づきもしなかった。
その後、行方不明になり、さらにのち宣戦布告代わりに魔王の尖兵として送り込まれ、廃人と化した彼は主人公たちに襲い掛かる。
主人公たちは力を合わせて倒し、さらに戦いに身を投じてゆく。ジョシュアなど最初からいなかったかのように話は進む。
あらましは以上。ひどい話だ。完全に捨て石。
非現実的な想像だが自分がジョシュアである以上、このままでは確定している未来。
意志の殺害。尊厳破壊。廃人。死。
ジョシュアに自分を重ねて。
おぞましさをより深めて。
具体性を創り上げていった。
……回避しなければ。
しかし『エヴォルヴ・アカデミア』のなかではいつその悪魔が現れるのか、明確に描写されていない。
主人公が気づかない時期に行方不明になっているからだ。とにかく早いにしろ遅いにしろ、対策を練らないとダメだ。
学園から逃げ出すとしても、家に戻れるはずもなく、そのうち魔獣に縊り殺されるだろう。
なにしろジョシュアは弱い。
契約を断ったとしても、証拠隠滅として消される未来しか見えない。
なにしろジョシュアは弱い。
ジョシュアは弱い。現状は変えられない。
だから避けるのではなく、出し抜く。
それしかない。
でも。
──それしかないが考えてもなにも浮かんでこなかった。当り前だ。
ゲームキャラクターになるなんて予想外すぎる。
冷たい夜風が頬をなでる。
窓が開いていたのか。……え、さっきの叫び聞かれてないかな。
「ど~すっかなぁ」
立ち上がり、ぼやきながら、カーテンを捲って窓を閉める。とりあえず寝ようかな。敗北と情報量で心も体も疲労している……。
身体が止まった。窓に手をかけたまま。
──湧いた疑念。カーテンを捲って窓を閉める?
普通カーテンを閉めるなら窓も閉めないか?
なぜだか胸がざわつく。
それほど気にすることではないのは理解している。
得てしてこういうのは気にすれば気にするほど気になるものだ。
転生という異常事態に過敏になりすぎているのかもしれない。早く寝よう。不安なだけなんだきっと。
というかそもそも。
「明日どんな顔して学園行けばいいんだ?」
「お困りごとでしょうか?」
「えっ」
「お困りごとでしょうね」
背後から声が聞こえたので振り向くと、ベッドの端に女が腰掛けていた。
……ウソだろ。誰だ。いつ、窓からか。まさか。どうする。なにも。なにもない。
いろんな思考が放射状に拡大して、集めきれず吹き飛んでいった。
「お初にお目にかかります。ジョシュア様」
「あ……」
夜なのに、いやに鮮明にその姿は目に焼きついた。
白く塗りたくられたような髪は半ばを上で結って、赫い目は夜中にあって蠱惑的に映える。
漆黒のスーツは暗闇に融けこんでなお輪郭を強調していてなまめかしい。
間違いなく絶世の美女だ。だが眼福どころではなく、むしろ鳥肌が立っていた。生命としての本能が警戒信号を発していた。
これはヤバいかもしれない。
……彼女だ。こんなにもすぐに現れるのかよ。
俺はほとんど確信しながら、でもまだ確定したわけじゃないし、なにかの間違いかもしれない。なんてこの期に及んでまだ思っていた。
呑み込めてないのだ。
夢うつつなのかすら定かではない。
いきなり悪役になって、悪魔と駆け引きなんて。
命を賭けるとかプライドを賭ける、とか。
己を賭けるとか想いを賭ける、とか。
本当に奪われることになる、とか。
真剣な命のやり取り、とか。
彼女はゆっくりと口を開いた。
「わたくし悪魔のメフィストフェレスと申します」
ヤバい。
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