14話「脳裡」
カラとメフィストフェレスは裏庭、一週間前にジョシュアと過ごしたあの場所で、ベンチに並び座りつつ、木漏れ日を浴びながら弁当箱を開けていた。
だれにも見つからない場所だったはずが、時おり窓やら遠くから彼女たちを熱っぽい視線で眺める者もいた。それほどに目立つふたりであった。
「カラ様、見てくださいよこの唐揚げ。いい感じにできたんですよねぇ。すごいでしょう」
「おいしそう。すごい」
微笑みながら、メフィストフェレスは作った料理を自慢をしていた。カラはそれに返し、黄色を見ながら想起していた。これとは違う、光のない黄色を。
闘技場で見せたあの表情……まるで、悪魔のようなそれは、いま日常に生きていた彼女とは到底結びつかないものだった。
そういった疑問をつい口からこぼしそうになる。
なぜ?
「メイ」
「どうしました?」
彼女の赫い目、彼女の白い髪、彼女の黄色い心。
そして彼女の黒い本性……?
嘘が見抜ける、見抜けすぎるがゆえに苦しいカラの目にごまかしは効かない。間違いなく、その心に嘘はなかった。
メイド服をきて、戦いの匂いを嗅ぎつけて、ジョシュアの危機を見て、からかって、料理を楽しんで……笑う。
日常と非日常にあって、どちらも同様に笑う。
「わたしは嘘をつけません」
息を呑んだ。彼女をメフィストフェレスは笑みを止め、無表情になっていた。驚くほどの無表情。それでも心は黄色だった。
「心を」
「読めるわけないですよ。あなたじゃありませんし。でも読んでいるフリをすることはできます」
「メイ。私は」
「ご安心ください。あなたに危害は加えません」
……なるほど、とカラは思った。
たしかに彼女は心が読めていない。
その言葉を聞いた瞬間に確信した。
べつに目で見なくても分るし、色を見なくても分る。自分の心を見れば分ること。
……ジョシュアもそうして心理を推測しているのだろうか? すこしだけ彼と同じなにかになれた気がしていた。
「聞く前に被せるのは失礼」
「あら……すみません」
だってカラが言いたかったことはそんなことではなかった。彼女が自分に危害を加えるなど考えてすらいなかったから。
「あなたの本当の色について」
「……見れば分りますよ?」
「そうじゃない。あなたの色を決めるのは私じゃない。私は見ることしかできない」
「なにが言いたいのか理解できません。わたしはわたしですよ……」
「メイ。私はそれが聞きたい」
カラはそう言い切ると、彼女の目を見つめて黙った。メフィストフェレスは心底どうでもよさそうに目を逸らして、上出来だった唐揚げを口に運んだ。
五分そうして、カラがまだ同じ姿勢なのをみとめると、ため息をついて、目を閉じた。その五分で心は青色になっていた。
伏し目がちにまぶたを開いた。
「心の色が見える……厄介ですねぇ」
「ごめんなさい。でも私は聞きたい」
「カラ様はお優しい。わたしにはそれだけで十分です。ご主人様だって、わたしを受け入れている。受け入れて、対等でいてくれる……それだけでいいのです」
カラは直感的に理解していた。彼女が普通の人間ではないということを。しかし、言葉どおり人間ではないという事実にまでは辿りついていない。
メフィストフェレスはそのことを分っていたし、答える必要もないはずなのに、ごく自然に口から出た吐露に自分でも驚いていた。
カラは危険すぎる。
虹色の目よりも天才性よりも、純粋さが危険。
自分にとってというより、彼女にとっての危険。
秘密を共有されてしまうことの危険性をこの子は知らない……と、心配をした。
つい、してしまった。
したあとに気がついていた。
わたしは紛うことなき悪魔だというのに?
悪魔なのに心配なんて。
でも、その通りでしかなかった。
繊細な可愛いわたしの弱者の心配をしていた。
「カラ様……あなたのためを想って言います。やはり、関わらないほうがよろしい。わたしの秘密を知らないほうがよろしいかと」
「なぜ? それにジョシュアもいる」
「……理由は言えません。ご主人様は知ってはいますが、あなたのように本質についての理解はしておられません。ですから……」
わたしは悪魔なので、なんて。
そんなこと言う必要もないのに、契約内容を頭のなかで確認してから、はぐらかした。
カラはそれを聞いて頷いた。
「わかった。でもこれだけは覚えていて」
「なんでしょうか?」
彼女はわたしを救えるのだろうか。
彼はわたしを救えるのだろうか。
救ってくれるのだろうか?
あの男から……。
「メイと私は友達。ジョシュアとも」
「……ふふっ……そうですか」
わたしはもうあきらめてしまったのに。
あきらめてここで笑っているのに。
──あなたたちにはあきらめてほしくないな。
独善的かしら、と無言で自嘲して。
「聞いてくださってありがとうございます。お礼に唐揚げ食べてくださいな」
「いい。友達として当然の礼儀」
「断っても礼儀に反しますよ」
「っ! ……両方とも失礼なら私はどうすれば」
「いえ、とても簡単なことです。いいですか、カラ様。友達というのは多少の失礼を許せる関係性なのです。ですから、どうぞ食べてください」
碧色にきらきら光る髪がこくり、と頷いた。
ご主人様……彼女のことだけでもちゃんと守りなさいな。こんなに素直でいい子はめったにいない。
そんなことを思っていたら、背後から声をかけられた。
「おい、メイ。テメェやったな?」
ちょうどそのご主人様が青筋を立ててそこにいた。
心あたりなど腐るほどあったが、どれのことなのかは分らなかった。
「な、なんのことでしょう?」
「唐揚げだよ唐揚げ! お前ふざけんなよ? お前いくらなんでもお前どんだけカラシ入れたんだよ?」
「……ええと、これくらい?」
握り拳を作ってみせた。
「え? それ唐揚げじゃなくてカラシ揚げじゃん」
「……そうですよ?」
「なにがおかしいか分ってない顔やめろ。とぼけやがって。あ〜もうホント……カラ俺は辛いよ。このメイド辛いよ」
「ジョシュア。他の唐揚げ食べた?」
「ああうん。もちろん」
「どうだった?」
「そりゃあ最高に美味かったよ」
♢
先ほどのことを思い出す。
学園長……『ウィリアム・ハイド・ブライト』。
ジョシュアの母方の祖父にあたる人物だが、だからといって温情などかけられるはずもなく、かかる言葉は抑えた残虐性を滲ませていた。
ランキング圏外という評価について問うてみると。
「ランキングの評価は儂の一存ではない。教師全員で協議し、その結果が反映されておる。学園の評価そのものが反映されているのに、お前はそれに反発したいのか?」
とかなんとか。確認はしておきたかったが、まあそんなことはどうでもよかった。たんに建前だろう。
「いえ? わたしはそんなことを伺いにきたわけではありませんよ」
「……では、言ってみよ」
俺が聞きたいのはこれだけ。
答えなんて期待しちゃいないが、これひとつだけ。
宣言のようなものだ。
「圏外でも、参加資格はあるんですよね?」
彼はその瞬間、明晰に目を見開いた。
「お前……自分がなにを言っておるか理解して」
「いますよ。それをさせたのはあなたたちでしょう」
「ならん。それだけはならん」
「許可不許可の話はしていませんが」
「許すわけがないだろう!」
さて、出てくるかな。
煽って、遮って、伝わらないから怒って……本音を引き出す。どうせハナから話す気などないだろうし。
「お前の戦い方は貴族の戦い方ではない。それを評価させるなど、貴族の沽券に関わる。腐っても貴族の一員ならば、それを理解できないはずが……」
「はっ……あはっ」
やっぱりそんなことだろうと思っていたよ。
しょうもない。形骸化した貴族による実力社会。
俺はそれを肯定も否定もしない。
俺には関係ない。
よく分らない不安要素ではなさそうだった。
極めてシンプルな見栄だった。
「芸術点じみてますね。戦いに芸術を持ち込むとは……貴族のはしくれですから、わたしも理解しますよ。美しさとか綺麗さが戦いには必要ですよね。まったくです。お見それいたしました」
彼は枯れ木のような肌を赤く赤く染めて、全身に血管を浮かび上がらせていた。結構キレてるなぁ。
「あぁまあ。ここであなたが血管を切ってしまったら、ランキングもあったものではありませんよね。その慧眼でまだ評価していただきたいので。戦いの評価ではなく……芸術の」
もう特に言うこともないからとりあえず煽っとこ。
それに対し彼は怒り心頭といった雰囲気だった。
「お……お前など! 才能もない実力もない! ルークとかいう若造に勝てたのもまぐれだろう! それを誇るなど、驕るなど! 儂は認めん……お前の存在など認めんぞ!」
「あはっ……あなたに認められないとは。とても光栄に思います。あはは。では、これで」
そろそろ逃げよう。こわいし。
俺の溜飲も下がっている。
去り際に背後から聞こえてくる音声。
「なぜ生まれたのだお前は! 価値もなく、むしろ我々の価値すら下げようとしている! はじめから生まれなければよかったのだお前など!」
はいはい。
俺の友達を侮辱するような連中に認められても、嬉しくもなんともないし、むしろ気色が悪い。
互いに見下しておけばいい。
プライドとは所属意識ではなく、自らへの帰属意識と断じておけばいい。ジョシュアはそれを理解していた。彼のほうがよっぽど誇り高い。
扉を閉めてもまだ怒声が喚き散らされている。
なにがそんなに気に入らないのか。
また、それがどんな結果を生むのか分らないのか?
もっと俺を追い込むがいいさ。
そうすりゃあとで惨めになれるぞ。
「俺が壱位ぶっ倒しちまえばいいだけの話だろ」
扉越しに呟いて、その場を後にした。
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