1 パート2


【拓真視点】



 こりゃあ相当怒ってるなぁ……。

 教室で声をかけられた時点で気づいていたことではあるが、屋上に来てほぼ二人きりの状態になるや、斗真の怒りは顔から滲み出るほどだった。

 まあ、オレも同じ気持ちだけど。


「一旦落ち着けよ。解決策考えるんだろ? なら一ノ瀬さんのためにも冷静に考えるべきだぞ」


「……分かってる。悪いな、付き合わせちゃって」


「気にすんなって。親友の彼女があんなに辛そうな顔してたんだ、助けるなって方がオレは嫌だ。まずは昨日何があったのか聞かせてくれよ。オレが聞いてもいい範囲でさ」


 そう言うと斗真は深呼吸した後で頷いた。


「香織に厳しくしてるのが香織の祖母だって話は前にしたよな?」


「ん、まあ、厳しくしてるのが親の親だって話はこの前聞いたけど。祖母ってことはお婆さんか」


「ああ。そのお婆さん、定期的に体調崩して実家に帰るんだけど、回復する度に戻ってきて……昨日また香織の家に来たんだよ」


「中々な根性、というか孫娘への愛がヤバいな」


 オレは医学に詳しいわけじゃないが、定期的に体調を崩すってのはかなり身体に無理があるはずで、本来は実家で安静にしてるべき人なんだろう。そういう意味でも一ノ瀬さんには不安があるのかもしれない。


「いや、アレは愛とかじゃないと思う。とにかく香織を自分の手で教育したくて仕方がない、そんな雰囲気の人。俺も直接会ったのは数回しかないけどさ」


「近くで一ノ瀬さんを見てきた斗真が言うならそうなんだろうけど、愛じゃないって決めつけるのはまだ早いんじゃないか? なあ斗真、もう一回深呼吸しろよ。客観的に行こうぜ。ここで怒って決めつけで行動すると、一ノ瀬さんを余計に苦しめるかもしれないだろ? ほら、一ノ瀬さんの可愛い言動とか思い出してみろよ」


 そういうと斗真は目を閉じて深く深く息を吸い、何やら口元を綻ばせる。


「可愛かったか?」


「……ああ」


「じゃあ絶対に手放さないよう、落ち着いて考えないとな」


「……だな。今更いうのも何だけど、マジでお前どんだけいいやつなの」


「だろー? 盛大に感謝してくれていいぞ」


 なんて茶化してみるが、そう言われるとオレもニヤニヤしてしまいそうになる。気の知れた親友に褒められることほど誇らしいことはない。


「香織が元気になったらなんか奢るよ」


「楽しみにしとく。そん時は一ノ瀬さんも連れてきてくれよ。イチャイチャしてるのが見たいから」


「香織が来てくれるならな」


「100点の彼氏かよ」


 ははは、と斗真に笑顔が戻る。


 話の流れから一ノ瀬さんをあんな風にしたであろうお婆さんにはオレも若干まだイラついていたが、斗真と一緒に笑っていたらそんな感情も溶けていった。

 斗真が怒るのは当然で、その分オレが落ち着いていないとな。


「それで、そのお婆さんが帰ってきたのが原因なのか? 定期的にって言ってたけど、オレあんな一ノ瀬さん初めて見たぞ?」


 彼女のイメージといえばお淑やかで人当たりがよく、勉強も運動も音楽も家庭科もできるまさに完璧な女子高生って感じだ。ただ、彼女自身は自分を「みんなが思うほど完璧じゃない」って評価していて、人間らしいその一端をオレにも見せ始めてくれていた。

 斗真を照れさせたいなんて可愛らしい悩み、なんでも完璧にこなせる美少女だったら抱きはしないだろう。


 他にも周りに見せないだけで、一ノ瀬さんができないことはたくさんあるはず。そんな彼女を誰よりも理解して支えてあげられるのが斗真だとオレは思う。


 オレの疑問に対し、斗真は「うーん」と唸り声を上げた。


「正直、そこは俺もよく分かんないんだよな。今までそのお婆さんが来たからってここまで追い詰められてるような香織は俺も見たことがない」


「せっかく付き合えたから勉強に時間を取られたくないってんなら、むしろ学校で斗真の近くに来るはずだもんな?」


「ああ。でもそんなこともなかった。……かといってあの人が無関係だとも思えない。昨日の帰り道だって、あの人を見つけるまで香織は元気だった」


「相当ヤバいこと言われたとか?」


「だと思うけど……確証は何もないんだよな」


 ここでいくらオレと斗真が知恵を寄せ合ったところで、一ノ瀬さんがお婆さんに言われたであろう内容までは分からない。それでもあの一ノ瀬さんがあそこまで追い詰められるほどの何かが碌なものなはずはない。

 しかも彼氏に話せないような内容ってなると……。


「なあ斗真。お前さえ良ければオレが聞いてこようか?」


「……うーん」


「何年も一緒にいる幼馴染、それも最近彼氏にまでなった相手に話せないってことは、斗真に関係してる何かの可能性が高い。それならオレには話してくれるかもしれないだろ?」


 もっとも、話してくれたとして、その内容を斗真に伝えたら一ノ瀬さんのオレへの信頼はそれなりに下がってしまうだろう。でもそれで解決できる可能性があるなら、かなり寂しいけどオレは構わない。


「……いや、でもそれを俺に伝えたら拓真が悪者みたいになるだろ。させられないよそんなこと」


 内心を見透かされたかのような斗真の言葉にオレは親友の背中を軽く叩いた。


「お前もマジで良いヤツだよ! でも、もし解決策が浮かばなかったら聞きに行くからな」


「……分かった。その時は頼む」


「任せろ」


 斗真を追い詰めたくはないが、一ノ瀬さんにずっと辛い思いをさせておくわけにもいかないので妥当な判断だろう。


 それからしばらく二人で悩んでみたものの、解決策は特に浮かばなかった。本人に話を聞けないっていうのが一番辛いところで、多分何人の知恵を寄せ合ったところで一ノ瀬さんがお婆さんに何を言われたか断言できることはない。


 しかも、話によると斗真はそのお婆さんからかなり嫌われているらしく、直接聞きに行くのも絶望的だそうで。


「……なあ、斗真のお弁当って誰に作ってもらってるんだっけ?」


「ん? そりゃあ香織と香織のお母さ……あ」


「一ノ瀬さんのお母さんになら話聞けるんじゃないか?」


「それだ!」


 ふと思いついたことだったが、斗真は飛び上がってスマホを取り出した。手早く操作しながら言ってくる。


「ちょっと電話してみる。ルール違反だけど見逃してくれ」


「おう。校則なんて気にすんな」


 一刻も早く問題を解決してあげたいんだろう。

 この間まで授業中に寝てたような人間とは思えない行動力。でもこのいざって時の行動力にこそ初めて会った時のオレは助けられたし、惚れたと言ってもいいくらい衝撃を受けた。


(一ノ瀬さんのこと、本気で好きなんだな)


 そう思って口角が緩み始めた時だった。


 電話がつながった様子の斗真が、最悪だという顔をした。


「……すみません、橙子さんは?」


 呟いた斗真に対し、携帯から漏れて聞こえてきたのは年老いた女性の声だった。



***



 私はどうしたらいいんだろう。

 もう何をしてもダメな気がして、お昼休みが終わろうとしている今も、斗真が誘ってくれた屋上に行けないで一人で図書館に来ていた。教室にいるとどうしても喧騒が耳に入って時間だけが過ぎていってしまう。

 おばあちゃんに言われた通りにするなら、帰るまでに斗真に伝えなくちゃいけない。


「わか…………れて」


 ひとりぼっちの図書館ですら上手く言えなかった。

 当然だ。本心ではこれっぽっちも言いたくなんてないんだから。


 昨日一晩中考えて私なりに結論は出せたつもりでいたけど、実際にその瞬間が迫ってくると喉が全力で萎んでしまう。


 私は斗真のそばにいたい。

 斗真にあの家を離れさせたくない。


 だから「別れてほしい」って言わないといけないのに、考えるだけで泣きそうになってくる。


 しかも、しかもだ。


「今の斗真は……もしかしたら」


 付き合ってから余計に感じる斗真からの愛。

 それは本当に私の全身を満たしてくれるほど深くて温かいもので、本気で私を愛してくれてるんだって近くにいるだけで感じてる。


 だからもしかしたら、今の斗真は、私が別れ話をした理由を聞いたら「引っ越しても構わない」って言ってくれちゃうかもしれない。でもさ、斗真に家族との思い出の場所を離れさせるなんてこと、幼馴染としても彼女としても、私は絶対にさせたくない。


(丸くおさめるには、私が最低な彼女になるしか……っ)


 斗真に理由を聞くことも許さない、ただ「別れてほしい」とだけ言って立ち去る最低な彼女になるしか、全てを丸くおさめることはできない。


 おばあちゃんの斗真嫌いは相当だ。

 もう私が何を言っても取り合ってもらえない。


 大丈夫。……大丈夫。


 私が最低な彼女にさえなれば、斗真のそばにもいられるし、斗真が家を出る必要もなくなる。


 ただこれは、絶対に斗真を傷つける。

 恨まれたりもするかもしれない。

 今は想像もできないけど、「もう家には来ないで」と、近くに居させてもらえなくなるかもしれない。


 それでも可能性が高いのは、これくらいしか……。


 別れたフリ程度じゃおばあちゃんの目は誤魔化せない。


「斗真……嫌だよ」


 ああ……。

 それでも私は、斗真と別れたくない。

 やりたくもないことをして彼に嫌われたくない。


 でも、言わないと。


 お昼休みが終わったらいよいよ時間がなくなってしまう。



(一緒に帰って、家に着く直前に……しよう)


 少しでも斗真と長く恋人でいるために。



 鳴り響いたチャイムに飛び上がった私は、そう最悪な結論を固めて教室に戻った。

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