1 パート3
「もしもし?」
うわ、最悪だ、と俺は電話越しにその声を聞いた瞬間に思った。
「……すみません、橙子さんは?」
電話の向こうにいるお婆さんに香織のお母さんの居所を尋ねる。
俺が普段この人を心の中で祖母と呼んでいるのは、嫌われていることと、香織を束縛するこの人に敬称を使いたくないからっていうのが理由である。もっとも、束縛に関しては俺も同じようなものかもしれないが、少なくとも俺といる時の香織は笑ってくれている。
まあとにかく、会話中くらいは敬語を使うべきだと思うので、ふと漏れないように心の中でもお婆さんと呼ぶことにする。
「橙子さんは今料理しているわ。知ってる名前の着信だったから私が出たけれど、橙子さんに用があるなら私から伝えておくわよ」
そう言われてもマジで困る。
拓真に助けてと視線を送りたくなるが、スピーカーにしていないので拓真には会話の内容がわからない。
シンプルに断って切るべきか。
でもそうしたらお婆さんには話したくないことですって公言してるようなものだしな……。
「もしもし? 電話越しに黙らないでくれる?」
「すみません。あとでまたかけ直します」
「そう。まあ、何をしようとしているのか、おおかたの予想はつくけれど。あの子、まだあなたに言ってないのね」
頭の回転が早すぎる。
香織のお母さんである橙子さんに電話しただけで、こっちの思惑を読まないで欲しい。
香織に勉強を教えているのは伊達じゃないということだ。
そして、言葉から察するに本当に俺と拓真の考えはバレているらしい。
ならもうせっかく電話がつながっている今聞いてしまうべきだろう。
「まだ言っていないってどういうことですか」
「……そうね。私としても手続きが増えるのは面倒なの」
手続き?
大事なところが何も分からないのは、十中八九お婆さんが意図的に話しているせいだな。
「今日の放課後にあの子と二人で私の家に来なさい。私の前でならあの子も話すでしょう」
「話が聞けるならお邪魔しますが、できれば今教えてもらえませんか? 今日ずっと元気ないんですよ香織」
「私があなたに言っても意味のないことよ。それに、元気がなくても単語の暗記くらいはできるでしょう」
「あの、元気が戻るまでの間くらい休ませてあげてくれませんか? 香織だって勉強以外にやりたいことがあるはずです」
「あなたには関係のないことね。隣に住んでるだけであまり口を出さないでもらえる?」
「俺は今香織とお付き合いさせてもらってます。彼女がつらそうにしてるんです。口くらい出しますよ」
「はぁ…………揃いも揃って。まあいいわ。今日の放課後、あの子と一緒に家に来るように。それじゃあね」
「ちょっ──」
プー、プーと携帯から虚しく響く。
どうやら一方的に通話を切られたらしい。
「察するに、あんま良くなさそうだな」
「……ああ。俺やっぱりあの人苦手だわ」
「多分オレも苦手だろうなー」
空気を良くしようと拓真が明るく言ってくれる。
そんな親友の対面に座り、俺は彼と情報を共有した。
「……絶対ヤバいお誘いだろそれ。アニメとかなら絶対罠のやつ。行くつもりなのか?」
「ああ。行かないと何も分かんないしな」
「オレにも招待状があれば良かったんだけど」
「香織と二人でって言われてるからなぁ。まあでも、こういうのは二人じゃないとダメな気もするんだよな」
確かに拓真がいてくれたら心強いだろうが、かなりデリケートな話をされる気がするので、そんな場に親友を呼ぶわけにはいかない。場合によっては香織も嫌がるかもしれないし。
俺の言葉を聞いた拓真は腕を組んで頷き、分かったと納得してくれる。
「でも、助けが必要になったら必ず相談してくれよ。一人で抱え込まないでくれ。圧力かけるみたいであんま言いたくないんだけど、オレはお前の親友だからな。何を相談されても蔑ろになんかしないし、斗真の相談なら必ず力になるから」
「……分かったよ。あんまりいいヤツすぎると俺泣くぞ」
「実はちょっと泣かせに行ってたりする」
「お前な」
笑い合って小突き合う。
それから二人で急いで弁当を食べきって、昼休み終了のチャイムと同時に屋上を後にした。
午後の授業でも香織の様子は変わらなかった。
時計を見てはそわそわし、焦っているという感じで、彼氏として何もしてあげられないのが我ながら情け無い。
そしてその日最後の授業が終わり、模試受ける人はお金払えという連絡だけのホームルームも終わり、俺は拓真と目配せしてから香織の元に近づいた。
「香織、一緒に帰ろう」
「……うん。実は私も誘おうと思ってたんだ」
それは意外だった。
香織にもあの祖母から何か話が行っていたんだろうか?
ともかく俺は立ち上がった香織を引き連れて拓真の横を通り過ぎ、廊下、下駄箱、と進んで外に出る。そのまま校門をくぐって学校の敷地外へ。
まだ青さの残る空の下を、二人並んで少し歩く。
ツン、と。
どこか躊躇いを孕んだ様子の香織にそっと左手を握られる。
他の生徒もまばらにいたが拒むつもりはなく、俺からも手を握り返す。柔らかい女の子の手がいつもより小さく感じられるのは気のせいだと思いたい。
「今日このあと香織の家にお邪魔するね」
「え……なんで? あ、いや、ごめんね。言い方が悪かった。嫌なわけじゃなくて、今うちにはおばあちゃんが……」
「んー、そのお婆さんに香織と二人で来るように言われててさ。伝えておいた方がいいかと思って」
「……うそ」
ぎゅっと手が強く握られる。
「ねえ斗真、私……斗真のこと大好きだよ」
「俺もだよ」
急にどうしたんだろう。
でもそう言ってくれるのは嬉しいし、少しは元気になってくれた証拠だろうか。
正直、顔を見る限りそうだとは思えないけど。
「……それだけ。忘れないでね」
「もちろん。毎日感じてるから大丈夫。……香織もさ、困ってることがあったら言ってね。香織のためなら俺何でもするから」
「……ん、ありがとう」
そうしてしばらく歩いてる内に俺たちの家が見えてきた。
祖母に会うのが怖いのか、香織がこれでもかという力で俺の手を握ってきていて、俺も安心させようとしっかり握り返す。
「辛かったらいつでも俺の家来ていいからな」
「うん…………ねえ、斗真」
「ん?」
少しでも安心してもらおうと、俺はできるだけ優しく応えた。
「……ううん、何でもない」
すると香織は儚く笑い、歩くのを止めて、俺の腕を引っ張って正面から抱きついてきた。
幸いにも周囲に人影はなかった。
「香織、今日は俺の家に泊まってよ。お婆さんなら俺がどうにかするから」
俺からも抱きしめて、後頭部を撫でつつ提案してみるが、香織はそっと首を横に振った。
「……そうしたいけど今日はできない。ごめんね、ほんとに」
「いいよ。香織が謝ることじゃない」
そう。
香織は今までもずっと俺を支えてくれてきた。
今は少しその立場が逆転してるだけのこと。
香織が辛いのは香織のせいじゃない。だからこそ俺が幼馴染、彼氏として香織を支えるべきだしそのつもりである。それに、こんなに愛を向けてくれているのだから、一つ断られたぐらいで距離を感じたりなんかしない。
「行こう」
「……うん」
俺から離れた香織の手を引いて、残りわずかな道を歩く。
(お風呂借りた時でもこんなに緊張しなかったのになぁ)
そんなことを考えながら玄関の前に到着する。
手を離し、インターホンを押してくれたのは香織だった。
すぐに中からせっかちな足音が聞こえてくる。
「はいはい、おかえりなさい。及川くんもいらっしゃい。と言っても長いするつもりは無いんでしょうけど」
モノクロの短い髪。
年齢は知らないがとても体調を崩しそうには見えない元気そうなお婆さんがドアを開けるや否や言ってきた。
なかなかに喧嘩を売られてる気がする。
「そうですね。内容次第では香織を連れて家に帰るつもりです」
「ッ斗真、それは」
隣から不安そうな声が聞こえたが、さっき香織に抱きつかれた時点で決めていたことだ。
ここまで弱ってる香織は初めて見る。
身勝手かもしれないが、香織の意思を多少無視してでも俺は彼女を守るつもりでいた。
「はぁ、物静かな頃の方がまだ可愛げがあったわよあなた。まあいいわ」
清々しいまでの喧嘩腰に笑いそうになる。
しかし、そんな余裕も束の間。
お婆さんの目が俺でなく香織に向いた。
「これが最後のチャンスよ。言わないなら覚悟することね」
「……はい」
言い方からして俺の癪に触るんだよな。
自分の孫娘を何だと思ってるんだこの人は。
ふと、香織が俺の手に触れる。
さっきまでとは違い指先をそっと引っ張るような。力が弱くて手が滑り、俺の手が抜け落ちる。
それを名残惜しそうに見つめていた香織が、今度は俺を見上げて言った。
「斗真、私と……別れて欲しい」
「……、」
本心じゃないのはすぐに分かった。
香織の顔が本当に辛そうだったから、当然、ふざけるななんて気持ちも1ミリだって湧いてこない。
でも、それでも胸に響くものはある。
「……なにをした?」
そう言って俺は眉間に皺を寄せ、香織の祖母を睨みつけた。
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