邪魔者


「……なにをした?」


 そう言って俺は眉間に皺を寄せ、香織の祖母を睨みつけた。

 敬称とかマナーとか、そんなの気にしていられない。


「とりあえず、あなたは中に入って勉強していなさい。時間が勿体無いもの」


 香織の腕を引っ張って玄関の中に連れ込もうとする祖母に対し、俺は反射的に香織の手を掴んだ。


「ちょっと待てよ。こんなに辛そうにしてる孫娘を見てもあんたは何も感じないのか?」


 香織は完全に弱っていた。

 それは顔を見れば明らかで、このまま部屋に行かせたらすぐにでも泣いてしまうだろう。悲しみや後悔、それらを基に香織なら自分を責め始めてもおかしくない。

 十年以上一緒に過ごしてきた幼馴染なのだから、そのくらいは簡単に予想できる。


 目の前にいる香織の祖母だって、それくらい理解してると思ってた。


「あら、随分と生意気な口調になったものね。元はといえばあなたが原因みたいなものでしょう? 自分の立場も成績もわきまえず、この子に手なんか出すから。どうすれば自分とこの子が釣り合うと思ったの? あなたに一つでもこの子と並ぶものがあるの?」


 平然とした顔で淡々と痛いところを突いてくる。


「シンデレラだって、容姿くらいは釣り合いがとれているものよ」


「……」


 ……マジかこの人。


 差別というか何というか。

 俺自身、香織ほどの美少女と容姿が釣り合っているとは思っていなかったのでまだ良かったが、相手によっては大変なことになっていそうな発言だな。


 今更騒いでも遅いが、前髪だけでも切っておくべきだったかもしれない。


(さて、どう返そうか……)


 そう思っていた俺より早く、声をあげたのは香織だった。


「……もういいよ」


 俺の手を解いてから祖母に目を向ける。


「これからもおばあちゃんの言う通りに勉強するから、もう斗真に悪口吐かないで。そんなのこれ以上聞きたくない。私に捨てさせたくせに、さらに泥を投げるような真似しないでよ」


 言われた祖母は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに平静さを取り戻したみたいだった。


「……そうね。少し言い過ぎだったかしら? 高校生には可哀想だったかもしれないわね」


 こいつ……いや、俺が冷静さを欠いてもどうしようもない。

 ただ、この人に謝罪する気は毛頭ないらしい。


「とにかくあなたは勉強に行きなさい。本当に時間が勿体無いわ」


「分かってる。……ごめんね」


「香織!」


 最後に俺を見て謝った香織は、手を掴む間もなく玄関の奥へと消えて行ってしまった。

 追いかけようとした俺の前に立ちはだかったのはもちろん香織の祖母だった。


「……邪魔だよ」


「無理やり入るようなら不法侵入で訴えるわよ?」


「はぁ? あんたの家じゃないだろ」


「私の家みたいなものよ。息子が稼いだお金で建ってるんだから」


 この人の息子、つまり香織のお父さんということか。


 昔一度だけ遠目に見たことはあるが、単身赴任中で、年末年始にもほとんど帰ってこないほど仕事に追われている人だと香織か橙子さんに聞いたことがある。

 かなり前の話なので正確には覚えていないが、こんな時くらい帰ってきて欲しいものだ。


 しかし、息子のものが自分のものだと本気で言っているのだろうかこの人は。


「香織をこのまま一人にしていいって本気で思ってるのか?」


「あなたといるよりは随分マシな人生を送るでしょうね」


「そんなあり得ない先の話をしてるんじゃない。今、悲しい思いをしてる香織を一人で部屋に行かせていいのかって言ってんだよ」


「なら質問は手短にして早く帰ってくれる? あなたがいなければ私があの子のそばにいられるのだけれど」


 これはダメだ。

 なにを言っても埒があかない。


 しかも意図的にやっているのか、ちょっと会話するだけでこっちがヒートアップしてしまう。


 手を出すつもりは当然ないが、それも我慢が続く限りの話である。正直悪口の矛先が香織に向いていたら掴み掛かるくらいはしていたかもしれない。


「どうしても俺を通す気はないんだな」


「ええ」


 とにかく香織を放置するわけにはいかない。

 最悪、この人が与える緊張感でも何でも、香織が自分を責めてしまうのを止められるなら無いよりは何倍もマシだろうか。


(ああ、クソ……)


 今まで散々支えてもらったから、付き合い始めて彼氏になってからは必ず俺が香織を幸せにするって覚悟を決めていたのに。必ず支えるって思ってたのに。


(たった三日でこれかよ俺は)


 本当に不甲斐ない。


 あんなに悲しそうな顔をした香織に「ごめんね」と言わせてしまったことも、昨日香織を祖母のもとへ行かせてしまったことも。嫌われているからと関わることを避けて、こんな最低な人間を放置してしまったこともそうだ。

 考え出したらキリがない。


 でも、だからこそ。返しきれない恩に少しでも報いることができるように、俺は香織のそばに居続けるのだ。

 思いっきり抱きしめて、頭を撫でて、手を繋いで、甘やかして。血は繋がっていなくても、家族同然の幼馴染が安心してダラけられるような空間を俺が作るのだ。俺を照れさせようとして失敗して、逆に自分が顔を真っ赤にするような、完璧とはとても言えない部分の香織が俺は大好きなんだから。

 

「……じゃあ、聞きたいことは二つ。昨日香織になにを言ったのか。それと、どうすればあんたが俺を認めてくれるのかだ」


「へえ、それなりにまともな質問をするのね。いいわよ、答えてあげる。その代わり、あの子とまた恋人になろうだなんて考えないことね」


 そう言って香織の祖母が話した内容は、一人の女子高生が背負うには重すぎるものだった。目の前の人間が意気揚々と喋ってる間、俺は右拳を握りしめていた。




 聞き終えた後、俺は家に帰るしかなかった。

 

 香織の隣に祖母を戻すようで最悪な気分だったが、あれ以上香織を一人にするわけにはいかない。


「……抱え込まないでほしいな」


 大切なものを失ったという点において、中学の頃の俺と今の香織の心境には通ずるものがあるだろう。


 少なくとも俺の場合、両親を亡くした時に一番ツラかったのは近くに誰もいなかった時だ。

 幸いにも香織のおかげでそんな時間は少なかったのだが、短い時間だけでも俺は、一人になった途端になんの論理も理由も無く全部俺が悪いんだと思えてしまって仕方がなかった。


 もし俺が風邪をひいていれば。

 もし俺が「いってらっしゃい」と言わなければ。

 もし俺が友達の一人でも家に呼んでいたら。

 二人は出かけるのをやめて、家にいてくれたかもしれない。


 考えても後の祭り。


 そんなこと承知の上で、一人の時間があれば考えずにはいられなかった。


(香織にはそうなってほしくない)


 例えそれが祖母の圧力によるものでも、香織に考える余裕を与えたくなかった。


「…………さて」


 香織を取り戻す。

 それは俺の中での確定事項。

 そのために、やるべきことは沢山ある。

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