攻撃開始とプレゼント


 食後、トイレに行ってくるという香織を俺はソファに座って待っていた。買ってきたプレゼントは今も膝の上に抱えていて、さすがに店のロゴ付きの紙袋は無字のものに変えている。


(喜んでくれるといいな)


 考えてもしょうがないことは分かっているが、こうやって堂々と『プレゼント』を渡すことは今まで香織の誕生日くらいしか無かったので、緊張もするというものだ。

 慣れ親しんでいるはずのソファも、今はお試しのものに座っているような気分。背中を預けたところで心臓はちっとも静まらない。香織に「おかえり」を言ってもらってから、俺の体はずっと熱っぽかった。


「おまたせ」


「いや、全然」


 五十センチほど距離を空けて、戻ってきた香織が俺の隣に腰掛ける。カーキ色のベルト付きワンピースを纏った香織は、どういうわけか普段よりずっと綺麗に見える。


「えっと、な、何か淹れてこようか」


 そう言って立ち上がろうとする香織の手を引いて、席に戻す。

 香織の様子までおかしいのは、俺があからさまに膝の上にクマのぬいぐるみと紙袋を持っているからだろう。チラチラと気にするように目も向けられているので、もう完全に先の展開までバレている。


 しかし、この妙な緊張感も足を引っ張るばかりではない。


「可愛いね、その子」


 その子、と呼ばれたクマのぬいぐるみを見つめる香織の瞳は緊張と拮抗するくらいには輝いていた。ぬいぐるみは見た目を気に入らないと邪魔になることがほとんどなので、香織が気に入りそうかどうかを確かめるためにあえて袋には入れていなかったのだが、この反応を見るに、あげても困らせることは無さそうだ。

 ええい、と緊張を振り解いて、クマのぬいぐるみを香織の膝に乗せる。


「あげる」


「いいの?」


「うん。日頃のお礼、にはならないようなちょっとした物だけど」


「……ううん、とっても嬉しい。ありがとう」


 ぬいぐるみを抱いて微笑む香織は、想像した通り絵になっていた。


(……可愛いな)


 いつもとは少し違う花のような笑顔。ずっと見ていたかったのに、目が勝手に逸れてしまう。


「あと、これもあげる」


 クマの頭を撫でている香織の横に紙袋を置いてやると、申し訳なさそうにこっちを見てくる。


「こんなに貰ってもいいの?」


「いいの。いつも俺はこれ以上を貰ってるから。というか、こっちが日頃のお礼の本命」


「……気にしなくていいのに。でも、ありがとう。開けてみてもいい?」


「ああ」


 二つは多すぎたみたいなので、以後気をつけよう。

 渋々、といっても嬉しそうに紙袋へ手を伸ばしてくれる香織に心の中で感謝しつつ、リボンで閉じられた箱が取り出されるのを横で眺める。

 しゅるしゅる、とリボンが解かれ、箱が開かれる。中に佇むのはもちろん、今日買ってきたばかりの水色のネックレス。それを見た香織はパチリと目を瞬かせた。


「綺麗……」


「それなら良かった」


 ライトブルーの輝きが、香織の黒の双眸を照らす。

 

「つけてみてもいい?」


「もちろん」


 長い黒髪を後ろに払って、香織は慎重にフックを外しネックレスを首に回した。胸元に小さな光が宿るのを見てから俺は自分の選択が間違っていなかったんだと確信する。


「どう?」


「すごく似合ってる」


「ふふっ、きっと選んだ人のセンスが良いんだな〜」


「つけてる人の素材が良いんだよ」


 揶揄われたので揶揄い返すと、香織は恥ずかしそうにそっぽを向いた。「ありがと」と小さな声が返ってくる。


 しかし、我ながら良いセンスだと思う。

 香織には絶対派手なやつよりもこういう控えめなものが似合うと思っていたのだが、案の定、香織の美しさを際立たせる働きをしてくれている。想定外があるとすれば、ちょっと似合いすぎてて居心地が悪かった。


 そわそわ。

 変な間が、居心地の悪さを増幅させる。


「斗真、おいで」


「え、ちょっ」


 突然肩をつかまれて、否応なく香織の方に倒される。


 なんだ!?


 そんな困惑ごと、彼女の膝の上に連れて行かれる。

 いつのまにかクマのぬいぐるみはソファへ移動されていて、柔らかい感触も甘い香りも俺の独り占め状態。今まで一度だってこんなことはされたことがない。


「どうしたの急に」


「んー、なんか、今はこうしたい気分なの。どう? 見える?」


 背中を少し丸めて、胸の上に乗っていたネックレスを浮かせて聞いてくる。レースカーテンを想起させる髪が垂れてきて光を散らすもんだから、視界はほとんどネックレスと香織で埋め尽くされている。


「……見える、けど」


「ふふ」


 俺の反応が面白いのか香織が笑う。

 ああ、本当に居心地が悪い。

 それなのになぜか泣きそうなほどの安心感を覚えるのだから、意味がわからなかった。


 顔を遠ざけたあと、香織はしばらく俺の頭を撫でていた。小さな手が髪に沿って動くたび、言葉にならない温かさが胸の内に広がっていく。


「プレゼント、ありがとうね。大切に使わせてもらいます」


「……ああ」


 再び破顔した香織に、俺は、ほんの少しだけ母さんを幻視した。耳かきをしてもらうときなんか、良くこうしてもらったからな。

 そう思った途端に心臓の鼓動が落ち着いて、俺は安心感から体を縮こまらせた。


「しばらくこのままでいるね」


「……ありがとう」


 それから言葉を交わすことなく、俺は香織の体温を感じながら目を閉じた。

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