勝負 パート3


「優しすぎるって……違うよ、私はただ、斗真にしたいことをしてきただけで……」


「でも、今回のは明らかに過剰だよ」


「今回のってどういうこと? 私、今回は斗真に酷いことしかしてない。斗真に嫌いって思われるほど、優しいことなんて何にもしてない……っ!」


 香織は首を振って否定した。

 過剰だよって言った瞬間、泣きそうなほど顔を歪めて、でも全然理解できないっていう風に。


 どうせ次は俺の番だ。

 少しくらい長めに喋ってもいいだろう。


「香織は何度も俺に言ってくれたよな。そばにいたい、絶対に離れないって。付き合う直前には、そばにいたいのが義務感じゃないとも言ってくれた」


「うん。全部私の本心だよ?」


「違うよ。香織の本心は別にある」


「違わないよ! 私は斗真とずっと一緒にいたい、そのために私は斗真と別れる決断だってした!」


「それが過剰だって言ってるんだよ。……けど、無意識だって分かってる。俺が香織にトラウマを植え付けたせいだっていうのも分かってる。でも、頼む。本当に思ってることを言ってくれ。俺はもう大丈夫だから。香織に何を言われても傷ついたりしないから」


 手を握る。

 指を絡める。

 力を込める。

 目を見つめる。


 あらゆる手段で香織を落ち着かせようと試みるも、香織の表情は暗くなっていく一方で、俺の言葉の意味が本当に分からないと声を上げて反抗した。

 力を抜くとすぐに手を解かれてしまいそうで、競り合うようにお互いの手に力が入っていく。


「私は、斗真とずっと一緒にいたいって、心の底から思ってるよ!」


「思ってないよ。一割以上、義務感が混ざってる」


「混ざってないよ! なんで急にそんな……そんな、そんなこと……っ! 根拠もなしに、勝手に私の心を決めつけないで!」


 ……ああ、本当に、香織とここまで言い合ったのは初めてだ。

 昔から仲が良くて、意見の相違なんてお互い譲り合うからすぐに解決してきた。

 香織と喧嘩することなんて少し前まで考えたこともなかった。それが嫌で勝負という形までとったのに、結局、どちらかの意見が変わる直前は喧嘩みたいになってしまう。


「根拠ならあるよ」


「…………?」


「無かったらこんなこと言い出さない」


 矛盾してるのかもしれないけれど、俺は香織の優しさを否定したいわけじゃない。拒絶したいわけでもない。


 だって、ずっと支えられてきた。

 香織の優しさがなかったら、俺はきっとまだこの家に引きこもってた。動けなかった。下手すると本当に死んでいたかもしれない。


 香織は、そんな俺を助けてくれたのだ。

 持ち前の性格と優しさで。

 あんなに厳しい祖母がいたのに、学校を休んでまでそばにいてくれた。


 きっと後で散々怒られただろう。

 もしかしたらそのせいで、香織は余計に祖母に反抗できなくなってしまったのかもしれない。

 だとしたら、やっぱり香織を否定なんてしたくない。


「ただでさえ大切で、ただでさえ好きだった香織のことを、付き合った後で俺がどれだけ本気で愛したと思ってるんだ」


 ……でも、否定する。


「付き合った後の香織がどれだけ可愛かったか、香織は知らないだろ」


 そう言って拒絶する。


「付き合った後の香織がどれだけ幸せそうに笑ってたか、香織は全然分かってない」


 俺は絶対、今の香織を認めちゃいけない。


「香織は俺と付き合うことに真剣だった。香織は本気で俺を好きでいてくれた。それくらい俺にも十分伝わってるんだよ……!」


「そんなの、当たり前だよ。ずっと好きだった幼馴染と、ようやく付き合えて、恋人になれて……そんなの、付き合う前よりもっと好きになるに決まってるじゃん!」


「だったら別れるべきじゃない!」


「別れるよ! 別れるしかないじゃん! だって私は、ずっと、斗真のそばにいたい……っ!!」


 「離してよ!」、と俺の手から無理やり逃れた香織だったが、すぐに両手をソファにつけると、そのまま俯いて下を向いた。肩を小刻みに上下させ、震えながら息をする。


「なんでっ……っ……わかってくれないの」


 そんな香織を見て、俺は……


「分からないよ」


 そう呟いてから腕を伸ばし──


「だからなんでっ! …………っっ、なんで、いま、抱きしめるの……っ?」


 思いっきり彼女を抱きしめた。

 先に限界を迎えたのは香織だったが、俺も十分に限界だった。

 

「…………ごめんな。ちょっと遠回りしすぎた」


「……っ、うぐっ……ぅぅ……っ」


 彼女の震える背中をそっと摩り、言葉を紡ぐ。


「要するにさ。……本気で俺と付き合ってくれてた香織が、一緒にいたいって思いだけで、相談もなしに俺と別れようとするはずがないんだよ。香織は、俺とそんなに適当に付き合ってたわけじゃない。そうだろ? そのくらい、俺には伝わりすぎるほど伝わってたよ」


「────ッ」


 要するに、香織の「一緒にいたい」という思いには、いらない誇張が入ってた。

 俺と別れる選択をせざるを得なかった、もう一つの理由を薄めるために。


「もう俺を守ろうとしなくていいから」


 それが俺から見た香織の姿だった。


 引っ越したら俺がこの家にいられなくなる。

 そうしたら、俺が悲しむ。

 まだ完全回復してない俺が、もう一度、家族のことで悲しんでしまう。

 それが嫌だから別れたい。

 俺のために、別れたい。

 俺を傷つけさせないためには、別れるしかない。


 香織はそれが耐えられなかったんだ。

 俺のために、斗真のためにって、恋人のせいにして別れるのが嫌だったんだ。


 だから直接、相談することもできなかった。

 俺の心にできた傷が、事故という、どうしようもないことが原因だったから。そこを理由にして別れるのは極力避けたかったから。


 だから「一緒にいたい」を前面に持ってきて、他方を後ろへ追いやった。

 無意識に。

 泣くほど嫌なのに、優しさで。


「ちがう……わたしは、そんなぁ……ことっ」


「本当は、俺の引っ越しが何よりもダメだったんだろう? 俺がこの家を追い出されて、また家族と離れ離れにされたら、中学の時みたいに俺がまた傷つくかもって思ってくれたんだろ? 別れたのは俺が完全には回復してないのが原因だったのに、それを『一緒にいたいから』って自分のせいにしてくれたんだろう?」


 全部俺の想像で、大好きな幼馴染を美化しすぎているのかもしれないけれど、それでも全部、今までずっと一緒に過ごしてきた幼馴染が、本気で思ってやりそうなこと達だ。

 ずっと俺を支えてくれた香織が、今回も俺を『支えなきゃ』って、無意識に、俺が一番傷つかないと思う方法を選んでしまったんだ。


 そこに大きすぎる勘違いがあるとも知らずに。


「わた、しは…………」


「もういいんだよ香織。俺は例えこの家に住めなくなったとしても、香織との将来を選ぶ」


 それが俺の本心だった。

 そのために今日こうして話し合いの場を設けたのだ。

 もう家族のトラウマから俺を守らなくていいって伝えるために。


「だからもう、俺を守ろうとしなくていいんだよ……」


「よく……ないよぉっ! だって、斗真はずっと、かぞくのこと……大切に……あんなに、苦しんでたのに……っ!」


 香織が俺を押し退けて、再び真正面から向かい合う。

 

「そりゃあそうだよ。俺は今でも両親のことを大切に思ってる。だからこの家を簡単に手放すつもりなんてない」


「……っだったら!」


 ああ、もう、せっかくの可愛い顔が、涙で歪んでぐちゃぐちゃだ。

 もう自分で拭うことも諦めて、勝手に流れるがままにして。


 酷いけど、そんな様子がたまらなく嬉しいと思ってしまう。


 だって、やっと香織が俺の前で泣いてくれた。


 やっと香織がこんなにも堂々と俺に弱い部分を見せてくれた。


 支えなきゃって義務感で、祖母に何をされても俺に相談してこなかった香織がやっと、相談の一歩手前まで来てくれた。


「やっぱり香織は俺の気持ちを分かってない。……俺も照れてないで、もっとたくさん伝えれば良かった」


 だから、ごめん。

 せっかく拓真が注意してくれたのに、俺は我慢できそうにない。


「何を、言って──────っっ!?」


 俺の気持ちを理解させる。

 今後一生忘れられないように。


「──────ぷはっ、とう…………んんっ」


 その意味を強く込めて、俺は香織の唇を半ば強引に奪った。



 ……やばいな、これは。



 不意に言葉を遮ってしまったせいで香織から驚きを孕んだ甘い声が漏れ聞こえたような気がしたが、聴覚に回すエネルギーは全部、味覚と触覚に奪われた。


 しょっぱさとか甘さとか、瑞々しさとか柔らかさとか、諸々感じて離れるまでに五秒ほど。


「……。俺は香織のこと、心の底から愛してる。今回みたいにどうしても家族か香織かを選ばなきゃいけないなら、俺は、もういない家族よりも香織を選ぶ。たった数日だったけど、最高に可愛い幼馴染を恋人にもったから俺はそう思えるようになったんだ。香織が一番大切なんだよ。……今のはその証明」


「わたしはっ……斗真、を……っ…………ささえ」


「なくていい。香織が笑ってくれてれば、俺はもうそれだけで前を向ける」


 だからもう、自分の本当の気持ちを無視してしまうほどの優しさは要らない。


 香織には、もっと自分を大切にして欲しい。


「でも……でもっ……、頼れるひとがいないのは……ひとりぼっちは……あまりにも…………こわい、よ……っ、こわすぎる、よぉ……っ……とうまぁ……ぁぁぁ……っ」


 嗚咽と共に流れる大粒の涙は、これまで溜め込んできたたくさんの感情が溶け込んでいるようだった。


「とうまの傷とは…………くらべものに、ならないけど……っ、……わたぁ……わたしはっ…………おばあちゃんと勉強するとき……いつも……怖かった。……ひとりぼっちなのが……怖かったからッ!」


「……ごめん。気づけなくて。……相談させてあげられなくて、ごめん。……でも、これからはもう、俺が香織と並んで歩けるから。何にも我慢しなくていいんだよ……」


「でもっ! それなら私は……なおさら……斗真にそばにいて欲しいっ!」


 腫れた目を頑張って開きながら香織は俺を正面から見つめてきた。止まらない涙が溢れ続け、頬を伝って落下する。


「香織……」


「……っ」


 そんな彼女を、俺は再び抱きしめる。

 小さな身体は少し傾けただけで簡単に俺の方へ倒れてきて、香織は涙を隠すように俺の胸に顔をうずめた。


 華奢な肩を抱きながら、後髪をそっと撫でてやる。


「もう一人で苦しまなくていいんだよ。俺が二度と香織をひとりぼっちになんかさせないから」


「……うぐっ…………ひ……っ……」


「これからは俺を頼っていいんだよ。だって俺は、他の何よりも香織のことが好きなんだから」


「……とう……まぁ……っ……」


 ぎゅぅぅぅ、っと香織も俺に抱きついてくる。


「わたしも……だいすきだよっ……」

 

「……なら、我慢なんてしなくていい。教えてくれよ。香織が本当はどうしたいのか。本当はどうなりたいのか。……大丈夫。俺も同じ気持ちだよ」


 そう言うと、香織は一度俺の腕の中で大きく深呼吸した。もっとも嗚咽の名残で、吐く方は震えまくっていたけれど。

 顔を上げ、近すぎたので、密着は解除して。


「わたしは────」


 呟き、そして。




「……っ!?」




 予想に反して、言葉より先に行動が来た。


 互いの味覚が交わりそうな勢いで俺の口が塞がれる。


 飛びついてきた香織に肩から背中へ手を回されて、さっきよりもずっとゼロ距離で、思いっきりキスされる。


「私は……ッ」


 挟んだ呼吸は三度ほど。

 繰り返し重ねた唇をゆっくり離した香織が、今度は全体重をかけて俺の胸に額を寄せる。



「私は、これからもずっと斗真の彼女でいたい……! 彼女として、ずっと斗真のそばにいたいよぉぉ……っ!」


 香織は叫ぶ。

 祖母が提示した選択肢のどちらでもない理想を。


「斗真とは、もっとたくさん恋人らしいことがしたいっ。平日には制服姿の私を毎朝抱きしめて欲しいし、毎日一緒に手を繋いで登校したい。学校でも斗真といっぱいイチャイチャして、みんなに斗真のこと、『こんなかっこいい彼氏がいていいでしょ』って自慢したい。帰りも手を繋いで下校して、家に帰ったらすぐ、さっきみたいにキスしたい。そのまま二人でお風呂に入って、ご飯も食べて、一緒のベッドで『今日も頑張ったね』って頭を撫でられながら寝たい。…………たまに、私か斗真が我慢できなくなったりして、『愛してる』っていっぱい囁き合いながら、ハグとかキス……したいっ。

 休みの日には私が先に起きて斗真の寝顔をたっぷり独り占めしたい。家にいるなら時間なんて気にしないで一日中斗真と愛し合って、外に行くなら……斗真となら、買い物でも食事でも映画でも、なんでもしたい。

 それでいつか、結婚……とか、した後で、キス以上のこと、してほしい……っ」


 それが香織の本心。

 心の底からしたいこと。


「……なんか、思ってたよりもすごい、激しめの将来設計だったかも」


「しょ、しょうがないじゃん……」


 でも、文句なんて一つもない。


「キス、気に入った?」


「…………うん、気に入った。だ、だって、愛してるのも、愛されてるのも、すごい、感じられたから」


「だよな。実は俺も超気に入った」


「斗真……っ」


 確かめ合った刹那、俺たちは再びどちらともなくキスをした。

 いや、下から見上げてくる香織に耐えられなくなった俺が先だったか。まあ、どっちでもいい。


「話してくれてありがとう」


「……ううん、ずっと言えなくて、ごめん。ごめんね、斗真ぁ……っ」


 何度目かもわからない香織の涙を、今度は俺が指先でそっと拭う。

 そのせいで余計に泣かせてしまったけど。


「香織。改めて言うね」


「…………ん」


 涙を拭った体勢の、両頬に手を添えたまま。



「俺と付き合ってくれ。それでゆくゆくは、結婚して欲しい」


「…………うんっ、もちろん。私で良ければ……付き合って……ください。結婚して……くださいっ! わ──」



 その言葉を聞いた途端、俺は彼女を思いっきり抱き寄せた。


 もう、絶対に離さない。


「愛してる。一人で頑張らせちゃってごめんな」


「……私もっ……愛してる、けどっ……っく、ひぐっ、う……わたし、本当に、斗真と離れ離れになりたくないよぉっ! せっかく……いやだよぉ……いあぁぁ…………」


「香織……っ」


 その声に、俺もいよいよ涙を堪えきれなかった。

 ただ、久しぶりに流した涙は、最愛の人と抱きしめ合っているおかげで昔より幾分も温かかいような気がした。



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