03 富子

 銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。


(作者意訳)

 この道についていえば、「自分で自分の心を導いていくように。逆に、(執着にとらわれるような)自分の心を、その自分が引きずられることがないように」と、古人(恵心僧都えしんそうず)も「往生要集おうじょうようしゅう」において述べている。


 珠光しゅこう古市播磨法師宛一紙ふるいちはりまほうしあていっし」(「心の師の文」)より






 足利義政は、東山山荘の造営中にその山荘に移り住み、そしてその山荘の完成を待たずに死んだ。

 だが、その死に顔はむしろ穏やかだったという。


「完成しないからこそ、完成した姿を思い、それを愉しむことができた……そうおっしゃっておりました」


 今ではその義政の菩提を弔うために慈照寺という禅寺となった東山山荘。

 冬空の下、あの日のように雪がちらつく中を、境内で先を行く伊勢新九郎が、そう話してくれた。

 新九郎が振り向く。


「珠光どの」


 そう呼ばれた珠光は、手に提げた茶器の包みを落とさないように、そっと歩いている。


「何ですか」


「こたびは、その茶器を、茶碗をわざわざお持ちいただき、ありがたく存ずる」


「いえ」


 造作もなきことと珠光は微笑む。

 今では奈良の郊外にて、あばら家にて茶の湯を点てている珠光。

 彼は求められればその愛用の赤褐色の青磁の碗を持って、どこにでも茶を点てに行った。

 それがたとえ。


御台所みだいどころさまのお求め、ということであれば、なおさらのこと」


「…………」


 話しているうちに、観音殿に着く。

 新九郎が「では」と言って、戸を開けると、中から「どうぞ」と声がかかった。


大和やまと杢市検校もくいちけんぎょうが一子、珠光。お招きにより、参じましてそうろう」


「大儀」


 艶のある、高い声だった。

 珠光が中を見ると、どうやらその声の持ち主――御台所・日野富子ひとりのみらしい。


「これは……恐れ多い」


「何、そなたの茶は、主と客で飲むもの、と聞いての」


 富子は嫣然と微笑み、「さ」と珠光を屋内へ招じ入れた。

 立ち居振る舞いがいちいちうつくしく、さすがに天下の御台所だと珠光は感じ入った。


「では、まずは茶を。茶を飲ましてくりゃれ」



 赤褐色の青磁――珠光茶碗には、茶が湯気を立てていた。


「どうぞ」


「はい」


 珠光が差し出した茶碗を、富子は綺麗な所作で受け取り、そのまま口をつけた。


「おいしい……」


「恐悦至極に存じます」


 富子は茶碗を膝上に置いてひと息ついた。


「まこと、一休どのが認め、わが君足利義政が認めて、この観音殿をした茶は、ひと味ちがいます」


「…………」


「心配は無用ぞ。この観音殿は、わらわとそなたのふたりきり。ふたりきりじゃ。周りは、あの新九郎が見張っておる。心配は無用」


 さすがに天下を差配する御台所は、そういうことを言う時の目つきがちがうと珠光は感心した。


「しかし」


 対するや、珠光も一休の弟子らしく、眼光鋭く、富子を見つめた。


、とは……過分なお言葉」


「銀箔を用いずとも、今日のような、こうした雪の日には銀に映え、そうでない日は、壁の黒い漆により銀に見える……かようなうつくしさを持たせるとは」


 観音殿――その上層部分の外壁は、黒漆で塗られている。それが日に当たると、銀色に見える――ゆえに銀閣と称される、という説がある。

 いずれにせよ、富子としては幕府の財政厳しき折りに、銀をあがなう余裕無く、それを避けられたことは嘉すべきであった。

 珠光は特に何も言わず、厳かに沈黙を保った。


「…………」


「……この富子は金銭かねを持っているではないか、と言いたげじゃの、珠光」


「いえ」


「では何ゆえにこの富子が金銭を持ちたるか、わかるか」


「さよう……」


 珠光はあごに手をあてて少し考えると、やがて一礼してから答えた。


は、でしょう」


「…………」


 富子は目を見開いた。

 そして碗に残った茶を、くっと飲み干すと、にこりと笑った。


「幕府に金銭は無い。されど、戦乱に疲れ果てた京の民には、生計たつきがいる、金銭がいる……」


 どこか、遠くを見つめるような表情の富子。

 彼女の見つめる先は、義政の姿があったかもしれない。

 富子は語り出す。

 応仁の乱で疲弊した京の経済。人々。

 これを何とかしなければならない。

 そこで義政は、かねてから考えていた山荘を築くこと、それを実行に移した。

 それは段銭やら労役やらで、京の人々から全きの支持を得たわけではないが、それでも、京の市中に金銭が回り始めた。

 一方で富子は、その東山山荘に対して、金銭を出さなかった。それどころか、自身の財産を貯め、不評を買っていた。

 それでも富子は、朝廷の御所が焼けた時にはその修繕の費用を出していた。本来は幕府が出すべきところの費用を。


「……幕府というところは、かつてはきちんと動いていたでしょうが、今では誰もが己が権勢を、金銭をと狩りをする場となっておりました」


 そこで富子は、自身の財産として、金銭を集めることにした。

 さすれば、管領なり守護なりが金銭を幕府に要求しても、「無い」と言い張ることができる。


「さしもの赤入道山名宗全も妾の金銭に手をつけるわけにもいかず……」


 富子はくっくっと笑った。

 前述の御所の修繕の金銭も、富子が私財を投じた、という形式を取っているが、富子は将軍の御台所である。それは公的な性格を帯びた出費となった。


「しかしまあ……今となっては、過ぎたること」


 富子は、義政との間には距離はあったが、それでもそれなりの敬意を抱いていた。

 公人としては、それは褒められたものではないだろう。己の感情や都合に、揺らぐこともあった。

 それでも、将軍としてまつりごとそうと努めていた。時には、一休のような有為の人からの言葉に耳を傾けていた。


「亡くなってしまった今。今、こうしてわが君の作った観音殿で、茶を飲んでいると……こう、思えるのじゃ。六花とけて、君よ来い……と」


 富子が外を眺める。

 ちらついていた雪は、いつの間にやらしんしんと。

 観音殿を覆い始めていた。

 やがては、それは観音殿を、山荘――今となっては寺を、覆い尽くすだろう。

 そして雪が解ける頃には、また日の光が染めるだろう。


 ……銀色に。






【了】

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六花とけて、君よ来い 四谷軒 @gyro

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