02 珠光

 一一の葉、一一の珠、一一の光、一一のうてな、一一のはた、皆令分明如於鏡中


(作者意訳)

 一々の葉、一々の珠、一々の光、一々の台、一々の旗、皆分明させて、鏡の中に映るようにしなさい


 「観無量寿経」より






「六花とけて、君よ来い、か……」


 あれから。

 一休は死んだ。


「死にとうない」


 それが、辞世の言葉だったという。

 足利義政は、その一休の弔いも含めて、政やら何やらの雑事で忙しく、つい、六花溶ゆきとける頃の真珠庵へと行きそびれてしまった。


 そして一年。

 冬が終わり、春が来る頃。

 義政は、かねてからの思いをかなえようと、東山山荘の造営に着手する。


「御前。それでは観音殿はいかがなさいますか」


 伊勢新九郎が絵図面を広げて、義政に聞いてきた。

 観音殿とは、今日、われわれが「銀閣」の名で親しんでいる建物である。


「…………」


 義政は思い悩んでいた。

 あの日、一休が雪による銀世界、そしてそれに囲まれた真珠庵を見せてくれたことにより、銀への執着は薄まっていた。

 しかし、残ってはいた。

 それは、人々のささやきではない、義政の自身のささやきである。

 やはり銀がいいのではないか、やはり銀がうつくしいのではないか、と。


「冬はいいのじゃ、冬は。でも、冬でなければ、雪は……」


 あるいは、そういうもいいかもしれない。

 でも、もう年齢とし年齢としだ。

 ほかならぬ、一休も死んだ。

 この義政も、残された寿命は、あと幾ばくか。

 もしかしたら、この東山山荘の完成を待たずに、自分もまた、死んでしまうかもしれない。


「それは、厭じゃ。予は、予は」


 うつくしいものを見ていたい。

 ただ、それだけが。


「予の、最後の望みだったのに……」


「御前」


 そこで新九郎は、懐中からある書状を取り出した。


「これなるは、一休禅師のお弟子さまから、送られたもの」


「禅師の、弟子?」


 新九郎が差し出した書状を手に取ると、そこには、一休の言葉をぜひ思い出してほしい、待っておりますと記されていた。

 一休の言葉。

 それは。


「六花とけて、君よ来い、か……」



 真珠庵に着くと、早速に方丈へと招かれた。

 春になりかかるこの頃、まだ寒いと感じられたのか、方丈の障子は閉じられていた。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 あの時、一休にこの庵に招かれた時に茶を点ててくれた弟子がいた。

 そしてやはりまた茶を点てて、それを出してくれた。


「うむ。うまい」


 よく見ると、茶碗は青磁らしいのに、焼成に不備があったのか、赤褐色。

 そして、簡素なかたちをしている。

 いわゆる下手物と称されるものだが、この方丈に、合っている。

 それが「うまい」理由なのだろう、と義政は勝手に考えた。


「こたび、師の一休の言葉をお聞き届けいただきのご入来。師の弟子として、お礼申し上げます」


 あたたかな茶を喫して、体がほっこりとしたところで、弟子が語りかけて来た。

 義政は、礼には及ばぬ、今さら来て悪かった、と手を振った。


「……それより、一休禅師は一体、何を見せたかったのか。それが予にわからぬ」


「さればにござりまする」


 弟子は膝を手で叩いて、それから立ち上がる。


「この真珠庵の方丈の庭は、手前が作り申した」


「ほう、そちが」


「その時の師の言葉――六花とけて、君よ来い――ですが、おそらくは、こういうことかと」


 弟子はすたすたと歩いて、方丈の障子の前に立つ。

 そして、両の手を左右の障子にかけて、おもむろに、開いた。

 そこに。


「おお……」


 あの時。

 一休とかつて茶を共にした時。

 その時見た、雪に覆われた庭。

 二、三の白いふくらみのあった庭。

 それが。


「これは……緑が。萌え出づる、緑が」


 かつて、一面、銀色となっていた庭が。

 雪の下に隠れていた、苔か、芝生か。

 その緑色が現れ、目にうつくしい。

 それに。


「石の……何個かの石の、かたまり。ひい、ふう、みい……」


「七、五、三と。それぞれの数の石で、かたまりを作ってござる」


「そ、そうか……それはめでたい数じゃのう」


 まるで、春の訪れを言祝ことほいでいるような。

 そんな庭だった。

 あの時には、まさに銀色で、その透徹したうつくしさを見せていたのに。

 今では、生命の息吹きを感じさせる、やさしさをたたえたうつくしさだった。


「まさか」


 そこで義政は気がついた。


「禅師は……そういう時の移ろいを気にせず、むしろ、そういうものを……」


「いえ。正確には、そういうことをお感じになられるような、それでいて、もっと他の何かを感じさせるような……文字では表せない、何かを意味する、そんな庭を作れ、と」


「そうか」


 不立文字ふりゅうもんじという言葉がある。

 禅の悟りとは、言葉では言い表せないもの。

 それを意味する。


「禅師はそれを庭で、この方丈で、そしてこの庵で表して欲しかったのかのう」


「今となっては、それは分かりませぬ。されど、それを考えていくことも、また師の望んだことかと」


 弟子はいつの間にか二杯目の茶を用意していた。

 義政は黙って受け取り、飲んだ。

 その茶を飲んでいるうちに、義政は東山山荘についての考えを決めた。

 ただ、言葉にするのは「うまい」の一言であったが。


「恐悦至極に存じます」


 そのいらえは、茶についてか、山荘についてかは判然としない。

 だがそれでいいと義政は思った。


「そういえば」


 そこで義政はふと、弟子の名を聞いていないことに気がついた。

 改めて問うと、弟子は「珠光しゅこうと申します」と答えた。


 珠光。

 彼は後に、「わび茶の祖」として知られることになる。


「珠光よ」


「はい」


「その名。観無量寿経に、一々の珠、一々の光という言葉があるが、それが由来か」


「さようで」


「もしや、一休禅師がつけたのか」


「さあ……」


 そこで珠光は言葉を濁した。

 観無量寿経は浄土宗の経典であって、禅宗のそれでない。

 もはや故人の一休に対して、気を遣ったのかもしれない。


「まあ、良い。とにかくじゃ、珠光」


「はい」


「予は、おぬしの庭に、否、庭と茶に感じ入った。まこと、見事である」


「ありがたき幸せ」


「うむ。では、戻ろうかの、新九郎」


 新九郎が短く一礼すると、門の方へと向かった。

 いつもよりも機敏な動作に、彼も珠光の庭と茶に、感銘を受けたのかもしれないと、義政は思った。

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