第2話 囚われの姫 待てない
舞台は冒頭の小窓のある一室に戻る。
「普通、そろそろじゃないか?」
リリアは窓の縁を軽く叩いた。まるで鉱石のように艶のある窓辺が、ペチンと冷たい音をたてる。リリアは諦めたようにその場を離れた。
革と木材でできたソファの美しい曲線を指でなぞる。少女はしゅんとしたまま腰を下ろし、ガラス張りのローテーブルに望遠鏡をそっと置いた。
ポケットにたまたま入っていた虫眼鏡。
助けを期待し、毎日遠くを眺めていたら、なんと視力が上がり、不要になった分厚い眼鏡。
それらを対物レンズと接眼レンズに見立ててみたら、案外簡単に出来てしまった。
―いや、そんなことはどうでも良い。
リリアは浮かない顔をしたままソファの隙間に指を突っ込んだ。窮屈な隙間をしばらくまさぐり、ようやく目当てのものを取り出した。中から出てきたのは本皮の手帳。そして、リリアが6つの誕生日にもらった刻印入りの万年筆。なんでもかんでも取り敢えず、ポケットに突っ込んでおくものである。
リリアはおもむろに手帳を開くと、4本並んだ棒線を斜めに切るように5本目の線を引いた。
「あれからもう95日…」
手帳には5本の線の塊が19個描かれている。ここに連れてこられてから、線を引くことが日課になっていた。
あの日連れ去られてから95日…今日に至るまで助けが来る気配は一切ない。
リリアはワイバーンとの道中を思い出していた。
宙づりの檻の中、とっさに掴み取った本のページを破り、リリアは百合の折り紙を折っていた。百合はジャヤ国の国花だ。これを地上に落とせば、誰かが気がつき、後を追ってくるだろうと思ったのだ。
そのうち、ポケットに万年筆が入っていることを思い出した。リリアのイニシャルと『助けて』の文字を書き殴り、次に次に百合を折っていく。そして、それをぽとぽと落としていく。
上空はひどく寒かった。その上、ワイバーンが掴んだ檻はなかなかに揺れていた。そのせいで思うように字が書けないし、紙も折れない。リリアは息を吹きかけ、凍えた指を温めた。温めながら、周りをよくよく観察する。川を3本越え、左手に冠雪した山が見えたところで、リリアは自分の行き先にピンときた。
「山から風が降りてくる。風に乗って進む先は西…西にあるのは…
鬼璃魔国への道のりはまだ半分も進んでいなかった。それでもリリアは分かったのである。それからは、自分のイニシャルと鬼璃魔国までの地図を本のページに書き殴り、百合を折って折って落として落とした。
ここまで入念にお膳立てをしたからこそ、リリアはどうしても納得いかない。
「なんで誰も助けに来てくれないんだ!」
あれほど分厚かった本は半分になっていた。それほどリリアはSOSをばらまいたのだ。そこまですれば、普通、誰かが気がつくだろう。途中からはご丁寧に、囚われる予定の場所まで記し、しかも見事に的中させている。
途中、別の国の上も通って来たので誰かしらの手には渡ったはずだ。なんなら宙釣りの檻越しに目があった人さえいた。絶対に誰かは気がついているはずなのだ。
それでも誰も助けに来ない。
リリアは思った。
「姫が攫われる」と「助けが来る」はセットのはずではないのか。
太陽が「東から昇る」と必ず「西へ沈む」ように、それがゆるぎない世の
リリアは読書家だった。彼女がこれまで読んできた小説の中の姫たちは、いつだってピンチに見舞われるが、結局誰かが助けに来てくれるのである。
「ということは、私は姫ではなかったということか?」
リリアは少し哲学みたいなことを言い出した。
「それなら、ヒース殿が助けに来ないのも仕方ない…」
リリアにとっての初恋は本人が思っている以上に彼女に影響を与えていた。それだけにダメージが大きかった。リリアはソファの上で膝を抱き顔を埋めた。
――白馬の王子様は現れない。
その独白はリリアの心臓をズドンと撃った。膝をきつく抱きしめ、胸の痛みに耐える。
しばらくそうした後、顔を上げたリリアの菫色の瞳には強かな闘志の炎が宿っていた。
口元が挑戦的に綻んだ。
「それなら、自分でやるしかないな」
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