第4話 囚われの姫 欲しがる
「赤毛くん、いつもありがとう」
翌朝、決まった時間にいつもどおりやってきた朝食を受け取りながら、リリアは運んできた魔族にお礼を言った。赤髪のくせっ毛が特徴的なその少年は、黙ってこくりと頷いて、そそくさとその場を後にした。
こうやって、リリアの世話をしてくれる魔族は何人かいたが、その誰もがリリアとは会話をせず、目も合わせず、必要最低限な世話をして去っていく。
(「人間は下等な生物として嫌われているのだろうか」)
それにしては、彼らの態度や視線から蔑みや嫌悪の情は見られない。
(「言葉が通じないのか?」)
しかし、リリアを誘拐した張本人の男、純白の髪した魔族の男は人間と同じ言葉を話していたように思う。リリアに対してはもちろんのこと、ワイバーンにも同じ言葉で指示していたので、その点は間違いないだろう。
(「いや、待てよ。もしかして、魔族間ではテレパシーを使っているのでは?」)
うん、この仮定はなかなか面白い。
そう考えれば異種族と交流のない魔族が言葉を話さないのも納得がいく。普段話す必要がないから、話さないし話せない。
人間と魔族は有史以来ほとんど交流がなく、その生態についてもよく分かっていない。見た感じ人間のような見た目はしているが、尻尾や角が生えているし、ここに連れてこられて初めて知ったのだが、彼らには人間よりも大きな犬歯が生えている。
魔族について、我々人間は知らないことばかりなのだ。
(「もしかしたらあの角はテレパシーの送受信器かもしれないな!」)
頭の中で妄想が捗る。リリアは一人ふふふと笑って、朝食に視線を戻した。
もちもち食感のトーストに、実の形を残した桃ジャムが添えられている。ボール一杯の野菜サラダは今朝摘んだばかりとみえて瑞々しい。食欲そそるコンソメスープ。デザートとしてりんご2切れも付いている。並々注がれた牛乳が朝の光を浴びて神々しかった。
「520キロカロリーってところか。健康的だな。いただきます」
銀のフォークを手に取ると、リリアはもりもり食べ始めた。
銀は毒と反応するという。王侯貴族の間で古くから銀食器が使われてきたのは、なにもその高級さだけが理由ではないだろう。
リリアは化学を知っていた。毒殺に使われる代表的な毒は「ヒ素」だ。ヒ素と銀が触れると硫化して銀が黒ずむ。これで毒の混入を見つけるのだ。
もちろん毒と呼ばれるものはヒ素だけではない。だから銀食器は毒の混入を見つけるのに万能というわけではない。
それでも、リリアに銀食器で食事を供するということは、とても大きな意味を持つように感じられた。
リスのように頬を膨らませながら、頭をフル回転させる。
(「今のところ殺されそうにはないな。なら…どこまでいけるか」)
食事を終え、食器を配膳口に戻す。しばらくするといつもどおり、一人の少女が食器を下げにやって来た。
「ピンクちゃん」
リリアは少女を呼び止めた。年は12、3才だろうか。ピンク色の髪をツインテールにした気弱そうな魔族の女の子。だからピンクちゃん。リリアはそう呼んでいる。
食器を抱え、戻ろうとしていた少女はおずおずと目を伏せながらその場に立ち止まった。自分が呼び止められていることは分かるらしい。
リリアは戸口に駆け寄ると、少女を怯えさせないように、できるだけ優しい声で言った。
「すまない、シェフを呼んできてくれないか」
ピンクちゃんは目も合わせず頷きもせず無言でその場を立ち去った。
(「だめか」)
やはり言葉が通じないのだろうか。リリアはソファにどかっと腰を下ろし、食後の紅茶を嗜んだ。
(「逆に文字なら伝わるかも」)
ふと湧いてきたアイデアに、ソファの隙間からいそいそと万年筆と手帳を取り出す。かりかり文字を書いていると、戸口に人影が立ったのにリリアは気がついた。
顔を上げるとピンクちゃんと、エプロンにコック帽のいかにもシェフっぽい男がちんとして立っている。
(「言葉が分かるんだ!」)
リリアは慌てて駆け寄った。そして、体をめり込ませんばかりに前のめりに格子を掴み、決して目を合わせようとしないシェフの男に熱く語りかけた。
「あなたがシェフか? ずっと会いたかったんだ。毎日美味しい食事をありがとう。味はもちろん、色合いも、健康も考えられている素晴らしい料理だ。しかも私がここへ来てから1度も同じ料理は出ていない。おかげで食事の時間が楽しみでしょうがないんだ」
シェフは無表情を貫いていた。しかし、リリアは気がついた。シェフの耳が真っ赤である。どうやら照れているらしい。隣にいたピンクちゃんも興味深そうにシェフの顔を見上げている。
リリアはここに連れてこられて初めて人の感情に触れた。ついつい満面の笑みが溢れる。
「それが言いたかっただけなんだ。わざわざ呼び出してすまなかったな。ありがとう。これからも宜しく頼む」
「…」「…」
ピンクちゃんが無言のシェフの袖をくいっと引っ張った。もう帰ろうの合図だろう。リリアは格子から腕を伸ばし、指に挟んだ紙切れをひらめかせた。
「ピンクちゃん、今度はこれを頼む」
「…」
少女はおずおずと紙を掴むと、やっぱり無言のままシェフを引き連れ、その場を去った。
♢◇◇
―その日の夜。
リリアは腕を組みローテーブルを見下ろしていた。その上には、色鉛筆、万年筆のインク、紙の束、香水瓶、動物図鑑、新しいドレスが並べられていた。
どれもピンクちゃんが持ってきてくれたものだ。
リリアはすらりと長い指で顎を支え、軽くため息をついた。
「逃がすつもりはなし…か」
ピンクちゃんはリリアの言葉も文字もすべて理解していた。魔族と人間の言語はどうやら同じらしい。
その証拠に頼んだものはご覧の通り、きちんと持ってきた。一部を除いて…。
ピンクちゃんは、色鉛筆は持ってきたがそれを削るナイフは持ってこなかったし、動物図鑑は持ってきたが地図は持ってこなかった。お香を焚きたいと言ったら持ってきたのは香水瓶で、ドレスのフリルが取れたので針と糸を要望したら新しいドレスを渡された。
武器になるものや逃走に役立ちそうなものは、全て無視されている。
お香を梵くには火が必要だ。捨て身覚悟でリリアに火事でも起こされたら困るのだろう。針も布を繋いで何か―例えば、城から飛び降りるパラシュートのような物を作ることができるかもしれない。
ナイフや地図に関しては言わずもがなである。
これらの判断を、果たしてピンクちゃんがしたのだろうか。
恐らく違う。
頑なに口を開かないことといい、きっと誰かにそうさせられているのだ。
リリアがそこまで考えたちょうどその時、少女が夕飯の食器を下げに、ちょこんと戸口に現れた。
「ピンクちゃーん♪」
今日、何度その名を呼んだだろう。
少女は顔色一つ変えることなくリリアの次の言葉を待っていた。
「これで最後だ」
紙を渡すと少女はくるりと身を翻し、てくてくと食器を下げにいった。リリアは格子の隙間から、その後ろ姿をこっそり見ていた。
しばらく歩いた少女はふいに足を止め、リリアから渡された紙切れに視線を落とした。その瞬間、少女がその場で少し飛び上がったのをリリアは見逃さなかった。
紙切れにはこう書いてあった。
「今日は面白い一日だった。ピンクちゃんのおかげだな。明日がピンクちゃんにとって良き日になるよう心から祈る。Good night♡」
後ろから見える少女の耳は真っ赤になっていた。おそらく照れているのだろう。リリアは思わず目を細めた。
(「魔族ってのは案外かわいいな!」)
自分が囚われの身であることを、もはや忘れかけているリリアであった。
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