第5話 囚われの姫 思われる

 鬼璃きり魔国の漆黒の城の中。ビロードの絨毯をせかせかと大股で歩く一人の男がいた。

 白く長い髪を振り乱し、突き当りの部屋までやって来たその男はノックもせずにいきなり扉を開けた。


「ルクティ! ここに居たのか、探し回ったぞ」


 部屋に入ってくるなり投げつけれた、あからさまに不機嫌なその声に、中にいた執事服の男が振り返った。

 一瞬美女かと見紛うその優男は、涙ボクロのある目元に涼し気な笑みを浮かべて、手にしていた銀食器を目の前の食器棚に戻した。

 壁一面に広がる食器棚には、少しの曇りもない銀食器が等間隔で並べられている。

 

 ここは城のパントリーだ。


 ルクティと呼ばれた男は、その微笑みの優しさとは裏腹に、尾骨から生えた尻尾を鞭のようにしならせ、白い髪の男に向かって返事した。


「人の部屋に入るときにはノックするようにと何度言ったら分かるんでしょうね」


 白い髪の男は鼻白んだ。


「別にいいだろう。迷惑はかけてない」

「あたしは困るのよ。心臓に悪いったらない」

「やましいことがあるからそうなるんだ」


 説教じみた男の口ぶりに、ルクティは発色の良い唇を尖らせた。


「やましいことはないけど、やらしいことはあるかもね」

「人の城で何するつもりだ!」


 顔を赤らめルクティに抗議するこの男、名をハルと言う。白い髪の魔族の男で、リリアを誘拐した張本人、かつ、この城の主、つまり鬼璃魔国の国王で、すなわち彼は泣く子も黙る魔王様なのである。


 魔王ハルはルクティをしばらく睨みつけていたが、どうせ口では勝てやしないので早々に諦め、腕を組んでそっぽを向いた。


「まぁいい―それで?」

「それでって?」

「……今日はどうだった?」

「どうって、何がぁ?」


 ハルはルクティを盗み見た。ルクティは長身だ。涼しい顔して楽しそうにハルを見下ろしている。この感じ、分かっていておちょくっているのだ。まったく腹立たしい執事である。


「分かってるだろ…彼女のことだ」

「彼女ぉ? この城に女性はたくさんいるのよね」


 ルクティは嘘くさく上を見上げ、考えるような素振りをしている。この執事、本当に意地が悪い。

 ハルは咳払いをした。


「…最近来た…連れてきた…ほら」


 上目遣いでその先を促す。もう、こんな茶番良いだろう。何がそんなに気に入らないのか、ルクティは最近ずっとこんな調子だった。

 まぁ、もともと性格の良い方では無いのだが。


 ルクティは白手袋に包まれた両手をわざとらしく合わせた。

 

「あぁ! リリアちゃんのことね。元気よ」

「リ、リ、リ、リリアちゃん?! 勝手にちゃん付けするな!!」

「だって、彼女もあたしの従者のこと『赤毛くん』とか『ピンクちゃん』って呼んでるのよ。だから良いでしょう」


 この城にいる魔族に、リリア姫との一切の会話を禁じたのは、他ならぬハルだった。だから、世話係としてあてがわれたルクティの従者たちの名前を、リリア姫が知らないのもしょうがない話である。


 それでも、ハルは歯ぎしりにせずにはいられない。


「彼女にあだ名をつけてもらえるなんて羨ましすぎる…」

「あなたねぇ…」


 唇から血を垂らすほどに羨ましがるハルを、ルクティが呆れた視線で見下ろしてきた。同時に大きなため息が溢れている。


 ルクティは食器棚に鍵を掛けた。そして、出口に向かいながら、指でハルに合図した。どうやらここを出るらしい。執事の仕事は銀食器の管理だけではない。

 ハルは大人しくルクティの後を追った。


 ビロードの絨毯を二人の男が一列で歩いていく。服装が違えば、先を歩くルクティがハルの主なのだと、誰もが勘違いするに違いない。


 ハルはルクティの後頭部に念を送った。ちなみに、魔族はテレパシーなど使えない。ただただ後ろから勝手に念を送りつけるだけ。しかし、ルクティは感がいい。後ろを歩く主をちらりと見て、ようやく話し始めた。


「リリアちゃん、今日は外を見てなかったって」


 ハルは少し飛び上がった。自然と足取りも軽くなる。


「じゃあ、やっとヒースを諦めたってことか?」

「何も、待たなくても良かったじゃない。王子様は来ないって、さっさと教えてあげれば良かったのよ」

「俺が✕✕に○○○を☆☆☆☆で□□□□□□から、ヒースは助けに来ないなんて言えないだろう…」

「…まぁ、確実に嫌われるわね」


 ルクティの冷たい視線が飛んでくる。ハルはうめき声をあげ、その場に崩れ落ちた。


「でも…ヒースは喜んでたから…結局、彼女への愛はその程度だったということ……そんな奴に彼女を任せられるか、いや、無理だ! だから、

 俺は何も間違っていない!!」


 ハルは力説しすぎて目の前にルクティがいないことに気が付かなかった。辺りを見渡し、ワイナリーに入っていく尻尾を見つけ、慌ててついていく。ルクティは帳簿と樽の確認をしていた。


 ハルは左のつのを撫でた。クリーム色の角の先、5センチあたりの部分が銀で継がれている。この継ぎ目を触るのがハルの癖だった。


「なぁ、ルクティ。どうしたら彼女は俺を好きになるだろうか」


 ルクティは帳簿から目を離さずに返事した。


「リリアちゃんにプレゼントでもしたら?」

「プレゼント? それは名案だ! さすがだな、ルクティ。それで、何が良い?」

「この城からの解放」


 ワイナリーにハルの唸り声が響き渡った。


「なんのために彼女を連れてきたと思ってるんだ! 俺のことを好きになるまでこの城からは出さん!」

「最低ね」

「城の者に彼女と喋ることも禁じてるんだぞ! 俺以外の奴の好感度が上がったら困るからな」

「最低ね」

「ヒースだってあんなにしたし」

「本当に最低ね」


 ルクティは帳簿を閉じた。ここでの仕事は終わったらしい。大股で次の目的地に向かう執事をハルは追いかけた。


「そもそも、どうしてリリアちゃんに会いにいかないの? 始まるものも始まらないのよ」


 ルクティは廊下ですれ違った従者にテキパキと指示した後、そう言った。

 リリア姫を誘拐したあの日以来、ハルは一度も彼女に会っていない。だからルクティの質問はごもっともだ。ハルだって本当は会いたい。吸い込まれそうなあの菫色の瞳にじっと見つめられたい。


 だけど―


「がっかりされたらどうする。俺の顔が好みじゃなかったら。もし嫌われたら俺はもう生きていけない」

「あたしほどじゃないけど、あなたも綺麗な顔してるわよ」


 ハルの尻尾がピンっと立った。


「じゃあ、彼女は俺を好きになるだろうか」


 ルクティは廊下の右手にある部屋に、ハルを押しこんだ。そこには魔王の衣服が保管されている。鏡の前にハルを立たせ、次から次に、ああでもないこうでもないと、上からあてがい始めた。


「ルクティ、あれがいいんじゃないか」


 ハルが指差したのは青磁色の王服。ルクティは一瞥する。色も形も申し分ないが、今の季節に合っていない。


「却下。あとね、あなたは顔よりも性格に難あり」

「わぁ…」


 とんでもなくはっきり言ってくる執事である。


「短気で、自分勝手で、思い込みが激しくて、嫉妬深くて、見た目に反してヘタレで、でも決めたら猪突猛進で、奇天烈で―」

「わぁわぁわぁ…」


 そんな男、リリア姫どころか、一体誰が好きになるというのだ。


 ハルが心で血の涙を流している間に、ルクティは目当ての服を見つけたようだった。これでよし、と放心状態のハルを無理やり回れ右させる。


「でも、一途で、分かりにくいけど思いやりがあって、たまに頼りがいもある。そういう良い面だってある。それを分かってもらうためにも、まずは話し合ってみないとね」


 ルクティはハルの背中を押しながら出口へ向かった。ハルはそのまま部屋の外に押し出された。


「そんなことは分かっている…分かっているが…」


 ハルはふと気がついた。短所に比べて長所の数が少なすぎやしなかったか。再び部屋に戻ろうと足を踏み出す。しかし、ルクティに手で制された。


「今日はここまで。リリアちゃんのお世話に従者を取られてるから、あたし忙しいの。肌も荒れてきちゃってもう最悪!」


 このところルクティは朝から晩まで働き詰めだった。それもこれも全部ハルの我儘のせいなのだ。それはハルも分かっている。


「すまないな」


 物分りの良いハルにルクティは優しく微笑み、ドアノブに手を掛けた。扉が閉まる直前、そういえば、と何かを思い出したようにルクティが口を開いた。


「リリアちゃん、たぶん脱走しようとしてるわよ」

「はっ?! なぜそれを先に言わない?!」


 ハルの目の前で扉が無慈悲に締まりきった。慌ててドアノブに手を伸ばすが時すでに遅し。中から鍵が掛かっている。大声を上げ、ドンドンと扉を叩くが中からの反応は全くない。


 廊下を歩く家来や従者が、気まずそうに目を伏せ通り過ぎていく。


 ハルは涙が溢れないように首を反らし、角を触って、ぶつぶつ呟いた。


「俺は魔王、俺は魔王、誰もがひれ伏す大魔王…」


 この城はいつだって魔王の思う通りには動かない。

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