第6話 囚われの姫 考える
「逃げるならここからだな…」
しかし、肩のところで突っかかり、それ以上は進めない。しかたなく体を斜めにねじる。外側の窓の縁に手を掛け、上半身を腕の力で引っ張る。両足が宙に浮き、リリアの胸から上が外に飛び出した。
その時、リリアの顔を突風がはたいた。青磁色の三つ編みが垂れ下がり、激しく揺れる。分かっていたが下は絶壁のようだった。地上までリリアの見晴らしを遮るものは何もない。はるか先の地上では衛兵たちがそれぞれの位置で守りを固めていた。
以前よりも数が増したような気がするのは気のせいだろうか。
しかし、その衛兵もここから見れば豆粒のように小さく、まるでおもちゃの兵隊のようだった。それより何よりこの高さ。それが今、リリアにとって一番恐ろしい。
リリアはごくりと唾を飲み込むと、腕を一本ずつ窓の外へと引き抜いた。腕が通ってしまえば身体を斜めにしておく必要はない。リリアは大きく息を吐きだすと、身体をゆっくり仰向けに翻した。耳元で風がびゅうびゅう騒ぎ立てる。前髪が目に掛かって邪魔くさい。
「上は無理か」
窓の上、手が届きそうなところに掴まれそうなものは何も無かった。ということは、何かに掴まり、立ち上がることは出来ないということだ。
上への逃げ道は無く、下へ降りるのにも今と違って足から進んで行かなければならない。これでは衛兵たちの視線を探れず、降りるタイミングがつかめない。
リリアの口からため息が溢れた。
「難儀だな」
腹筋を使って少しだけ首を起こす。腰骨が窓の縁に当たっているのが見えた。肩と同じように腰も引っ掛かるということだろう。
絶妙な大きさの窓である。
慎重に部屋の中へ戻ってきたリリアは、自分のお腹の鳴る音で時刻を知った。
最近は、もっぱらピンクちゃんがリリアの専属お世話係になっていた。相変わらず無口で必要最低限の応対だけだが、最初に比べて表情に親しみが感じられる気がする。
この日、時間通りランチを持ってきたピンクちゃんはリリアを少し不思議そうに見つめた。一瞬、リリアはなんだろうと思ったが、視線が自分の髪に注がれていることに気づくと、すぐにその謎が解けて破顔した。
「あぁ…さっきまでちょっと運動してたんだ。髪が乱れてしまっているね」
リリアは髪留めを外すと手櫛でささっと整え、すぐにいつものきれいな三つ編みを結った。ピンクちゃんはその間、感心したようにリリアの手さばきを見つめていた。
その時、リリアの頭に良いアイデアが思い浮かんだ。
「ピンクちゃん、もうちょっとこっちに寄れる?」
そう言ってリリアは少女を手招きした。おずおずとやって来たピンクちゃんのツインテールにリリアはそっと手を伸ばし、解いて、ささっとお下げにした。
「私とお揃いだ。お気に召したかな?」
ピンクちゃんはお下げを握り交互に見ると、頬を染め、感動したように口をパクパクさせていた。きっとお礼を言いたいのだろう。リリアはふふふと笑った。
「何も言わなくて良い。私と喋ったら咎められるんだろう? ピンクちゃんに迷惑をかけたくない」
それからピンクちゃんは頭を何度もペコペコさせ、去っていった。
「ピンクちゃんには癒やされる」
リリアは上機嫌でランチを運んだ。ランチのメニューも気になる。実は今日の朝食後、シェフにあるリクエストをしていた。要望通り、目当ての赤い果物を見つけて、リリアはさらに上機嫌になった。
「これで林檎丸かじりができる」
◇◇◇
その日は新月だった。
寝間着のリリアは小窓の横からちらちらと下界を覗き見ていた。いつにもまして外は暗いので、おそらく見つからないとは思うのだが、念には念を入れている。
地上では、衛兵たちが夜中にも関わらず城の警護を固めていた。
「今だ」
リリアは隙を見て、窓の外にひょいっと林檎を放った。毛糸で編んだ網に包まれた林檎である。リリアの手にはその網に繋がる毛糸玉が握られており、林檎が落ちるのにつられてスルスルと窓の外へと毛糸が引っ張られていった。
力を加減し、毛糸の落ちるスピードを調整する。できれば林檎には無事に帰還してもらいたいからだ。
どれくらい時間がたっただろうか。こつんという軽い感触とともに手の中の毛糸玉が動きを止めた。残った毛糸玉はとても小さくなっている。止まったところで玉結びをし、今度は釣りでもするように、ゆっくりゆっくり引っ張りあげていく。毛糸が切れてしまわないように焦らず慎重に粛々と。
そのうち、林檎が窓辺にひょこっと姿を現した。
「おかえり、林檎ちゃん」
リリアは毛糸の束と林檎を手に、鼻歌交じりで部屋を縦断した。
ちなみに、部屋の中は、夜になると光る不思議な鉱石のおかげで、完全に真っ暗というわけではない。
この城ではランプも使っているようだったが、リリアにそれが渡されることはなかった。
やはり誰かが線引きしている。
毛糸だってそうだ。
編み物セットを要望したら編み棒はくれなかったが、毛糸はくれた。
しかし、リリアが欲しかったのは毛糸の方だったので何も問題はなかった。
リリアはガラスのテーブルの長辺に、さきほどの毛糸をぐるぐる巻いていった。
テーブルの長さはおよそ160センチ。リリアは自分の手のひらを目一杯開くと、およそ20センチになることを知っていた。それを利用してテーブルの長さは推定できた。
だから、今度はこの小部屋から地上までの高さを推定する番だ。
「1回巻けば3.2メートルだから…」
リリアは巻くごとに数を数えた。次第に、テーブルの片側が毛糸で膨れていく。結構巻いた気がするがまだ終わらない。
そろそろ腕が疲れてきた。一回休憩しようかなと思い始めたころ、手の中に玉結びの感触がして、リリアはようやく終わりが近いことを悟った。
「36、37…と半分! だから…120メートル…! そんなに…高いのか…うーん…」
高いとは思っていたが、実際数字が想像できてしまうと、圧倒されて何も言葉が出て来ない。リリアの身長は165センチ。つまり、リリア73人分だ。
「身長はさすがにそこまで伸びないな…」
リリアは大きなため息をついて、ガラスのテーブルに突っ伏した。毛糸の暖かさとテーブルの冷たさが腕と頬に伝ってくる。一言では言い表せられないぐちゃぐちゃな温度感。
なんだか一気に疲れがやってきた。そういえば、今日は窓から身を乗り出したりもした。風も強くて、本当は、とっても怖かった。
「私がちゃんと姫だったら、髪を伸ばすだけなんだけどな」
そして、その長い髪を窓から垂らせば、たちまち王子が会いにやってくる。
それが、ちゃんとした姫ってやつだ。
リリアにだって不貞腐れたくなるときはある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。