第9話 囚われの姫 再会する

 リリアは枕を背に半身を起こしていた。青磁色の豊かな髪が純白のベッドに波打っている。カビカビパンの威力は想像以上で、リリアの体調はまだ万全とは言えなかった。


 それでも菫色の瞳にはいつもの凛々しい輝きが戻っている。


 ハルはベッドのそばへ歩み寄った。


 必然、二人の視線はぶつかった。リリアは押し負けんと、ハルはねじ込もうと、視線を絡ませあい、両者どちらも譲らない。


 ふっと力を抜き、先に口を開いたのはリリアだった。


「あなたは魔王だったのだな」


 リリアは自分を誘拐した男の後ろ姿をハルに認めた。そして、ガモットのバカでかい声で、この部屋に入ってくるまでのやりとりが全部筒抜けだったので、彼が魔王だということも同時に知った。


「…そうだ」


 ハルは視線を逸らすことなく吐き捨てた。正確にはリリアの瞳に魅入られて逸らすことができなかった。


 しかし、そんなハルの恋い焦がれる思いなど、リリアには一切伝わらない。むしろ、ガン見されてメンチを切られていると思っている。リリアは心の中でため息をついた。


「(これは一筋縄ではいかなさそうだ)……単刀直入に聞く――私に何かできる事はないだろうか」

「は?」


 聞き返すハル。リリアは、白々しいと僅かに眉を顰めた。


「ジャヤ国と何か交渉しているのだろう? そのために私を誘拐したのでは? 上手くいっていないのであれば―」

「っ違う!」


 白の間にハルの怒号が轟いた。言葉を突然遮られたリリアは一瞬瞬いたが、毅然とした態度で魔王を見据えた。何が彼の逆鱗に触れたのかリリアには分からない。


 しかし、それも仕方のないことだ。ハル本人でさえも、どうしてこんなに腹がたつのか分かっていなかったのだから。


 ハルは思った。


(「この城は何から何まで思いどおりに動かない」)


 いつだってそうなのだ。だけど、そういうものなのだ。いちいち腹を立てていてもしょうがない。人生にはある程度の諦めが必要だ。


 だから、ハルは一度は諦めたのだ。リリア姫とヒース王子の婚約の噂が流れたときに一度すっぱり諦めたつもりだったのだ。


 しかし、気がついたら体が動いていた。宙を駆けていた。ワイバーンの上から見た久しぶりの彼女は変わりなく、いや、よりさらに美しく、ハルの心をときめかせた。諦めるなんて選択肢はあり得なかった。


 ―まずは話し合ってみないとね―


 いつかのルクティの言葉がハルの心に去来した。面と向かって―はまだ勇気がいる。ハルはリリアに背を向けた。彼女の表情はもう分からない。銀継ぎの角を撫で、小さく息を吐く。


「…だからだ」


 ハルの声は小さかったし、リリアは他のことに気を取られていたのでよく聞こえなかった。


「すまない。もう一度言ってくれないか」


 ハルは拳に力を込めた。


「(きみのことが)ただ好きで誘拐しただけだ!」

「なに!?(誘拐が好きなだけだとっ!?)」


 リリアの中で魔王の株が暴落した。

 誘拐好きという特殊なへきはリリアには全く理解できない。


「私の他には?(誘拐された者はいないのか?)」

「(妬いているのか? かわいいな…)きみだけだし…その…(好きになったのは)きみが初めてだ」

「そうか…(初犯か)」


 ハルは首筋がかっと熱くなるのを感じた。リリア姫と順調に恋愛トークが出来ている。これはすごい進展なのではないだろうか。ハルは高鳴る胸にそっと手をあて、きゅっと唇を引き締めた。


「(だから俺のことを)きみにも好きになってもらいたい」

「(誘拐を手伝わせるつもりかっ?!)それは―無理だな。好きにはなれない」

「(ガーン)!!」


 ハルは目にも止まらぬ速さで部屋を出ていった。


 白の間にはリリア一人が残された。扉の向こうでガモットの大きな声が聞こえてくる。なにやら魔王と揉めているようだ。そして、この部屋には窓がない。


 死にかけの思いをして、あの、城の頂の小部屋を出られたは良いものの、これではまったく抜け出す隙がない。死にかけ損である。


 しかし、良い収穫もあった。あの魔王の言うことを信じるならば、リリア以外に囚われている人間はいないし、ジャヤ国にも何も因縁はない。


 これはただの誘拐好き変態魔王による気まぐれな享楽らしい。


(「つまり、遠慮は無用ということだ」)


 リリアは不敵に微笑んだ。

 そして、ふと思い出した。


(「魔王のシャンプー私の部屋のと同じだったな」)


 リリアは自身の髪の束をそっと鼻に近づけた。魔王が背を向けたとき、これと同じ匂いがふわっと鼻腔をくすぐったのだ。


 リリアは知らない。


 彼女の部屋に置かれているシャンプーが、髪に抜群の潤いと艶めきを与える最高級グレードで最高にお値段が高い、この国一番のシャンプーだということを。

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