第8話 囚われの姫 心配される

 あれからリリアはまる2日うなされていた。熱が引き、呼吸も落ち着いたところで、医者からようやく「もう大丈夫」とお墨付きが与えられた。


「リリアちゃん、落ち着いたみたい」


 ルクティの報告に、ハルは玉座にしなだれかかった。


「良かった」


 部屋で倒れているリリア姫を見たときは、心臓が弾け飛ぶかと思ったものだ。我を忘れて特大魔法を発動し、厚い扉をぶち壊したのも無理はない。

 ハルは胸に手を当てほっと息を吐いた。

 ルクティが面白そうに見つめてくる。


「でも、あなたが見つけたなんてね――ようやく会いに行ったんだ?」


 ハルは不満そうに鼻を鳴らした。


「…結果は知ってのとおりだがな」


 あの日、ハルはついに決心をしたのだ。リリア姫ときちんと話をしようと。そして、自分の好感度を上げようと。さすれば二人のハネムーンもそう遠くはないだろうと、淡く激烈な期待を抱いて彼はリリアの部屋へ向かったのだ。


 その後どうなったかはご存知のとおりである。


 ルクティが妖艶に微笑んだ。


「でも、今がチャンスかもよ。弱ってるときに優しくされたらコロッといっちゃうかも」


 ハルは玉座からガバリと立ち上がった。


「そんな、弱みにつけ込むような卑怯なことできるか!」

「誘拐する人に言われたくないわね」


 ルクティが両手のひらを上に向け、肩をすくませた。本当に腹のたつ奴だ。ハルはそそくさと出口に向かいながらルクティを睨みつけた。


「ちょっと…ワイバーンが気になるから…見てくる」


 城の外にはワイバーンの小屋がある。魔族にとってワイバーンは人間にとっての牛や馬のような存在だ。ルクティはしたり顔で微笑んだ。


「いってらっしゃいませ。途中に白のもあるしね」


 白の間には病み上がりのリリア姫が眠っている。ハルは足を踏み鳴らした。


「ばっ、ちがっ、出産間近のワイバーンがいるから見に行くだけだ! それだけだ!」

「ワイバーン卵生なんだけど」

「う、うるさい! そんなにリリア姫の様子が気になるなら、俺が代わりに見てきてやろう…しょうがない…まったくルクティは心配性だな!」


 呆れ顔のルクティを玉座の間に捨て置いて、ハルはビロードの絨毯をスキップで駆けていった。


 ◇◇◇


 白の間にはすぐ到着した。

 大きな両開きの扉の前で、髪の乱れを直し、マントについた埃を払い、咳払いして喉の調子を確かめ、角の継ぎ目を一撫でした。最後に深呼吸して、扉に手を伸ばす。


 その瞬間、ハルの目の前に大剣が振り落とされた。よく磨かれた大剣には不満げなハルの顔が映っている。ハルは微動だにせず視線だけを動かした。


「なんの真似だ、ガモット」


 扉の脇に控えていた精悍な顔立ちの男が、大剣を主に向けたまま返事をした。


「はっ。ルクティ殿から何人なんぴとたりともこの部屋に入れるなと申しつかっておりますので」

「そのめいは俺がルクティに出したものだ」


 では、とそのまま部屋に入ろうとするハルに、ガモットは自身の背丈ほどの大剣を再び突きつけた。


「…おまえ何をしてる」


 ガモットは片手で軽々と大剣を水平に保っている。その顔には少しの迷いも無かった。


「ですので、ルクティ殿が何人もこの部屋に入れるなと」


 ハルは思わず天を仰いだ。そうだ、こいつはこういう奴だった。この男、鬼璃きり魔国の暗黒騎士団団長ガモットは、忠実に仕事をこなすが、忠実にしか仕事をこなせない、いたって単細胞な奴なのだ。


 まったくこの城には禄な魔族がいない。


 まずは、ルクティよりも自分の方が偉いのだと、この男に改めて理解させなければならない。

 ハルは年端の行かない子どもに諭すように、努めて優しくガモットに問いかけた。


「俺は誰だ?」


 ガモットは目を見開いた。


「あなたは魔王様ですよ。もしかして…記憶喪失ですか?!」


 ガモットの大声に、ハルは一瞬立ちくらみがした。こんな奴が我が国の騎士団の団長だなんて心配になってくる。しかし、これでいて戦闘となるとめっぽう強いのだ。多少のバカさ加減には目を瞑ろう。多少…かなり…? 


「……そうかもしれん。ルクティを呼んできてくれ」

「はっ。かしこまり…いや、それでは、この部屋の警護という役目を果たせなくなってしまう…! 私は、いったい、どうすれば…!」


 まるで世界の終わりとでもいうような絶望感を漂わせるガモット。ハルはどっと疲れた。


「…俺がここで見張っておく。誰も通しはせん」

「それなら安心ですね。さすが魔王様!」


 ガモットは瞳を輝かせると、ハルの両手を掴んでぶんぶん振った。そしてルクティ目指して猛ダッシュした。


「廊下は走るな」

「はっ」


 指示どおり律儀にゆっくり歩いていく大男の後ろ姿を見送る。こちらを振り返ることはなさそうだ。ハルは白の間に入っていった。


 白の間は、この城の中では珍しく、その名のとおり白を基調にした部屋である。


 広い室内の真ん中には大きなベッドが据えられ、その横には老医者が控えていた。先々代の頃からずっと、この城で病人を看てきた名医である。リリア姫が運び込まれてからは、この男がほとんどつきっきりで看病していた。ハルは老医者を労った。


「ご苦労だった。お前も少し休め」


 白の間でハルとリリアは二人きりになった。

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