第14話 囚われの姫 囚われをやめる

 リリアは数カ月ぶりに土を踏みしめた。


 革靴が小石を噛み、その度に足の裏に小石分の圧が掛かる。ここは本当に外なのだ。リリアの胸が子鹿のように弾んだ。


「ここ、まっすぐ。街に出る」


 森の小道を見やりながらピンクちゃんはリリアに耳打ちした。城の外はリリアを探す魔族たちでごった返している。もちろん街へと続く小道にも捜索の手は広がっている。暗闇の中、ランプの光がリリアの魂を求める鬼火のように揺らめいていた。


 リリアはリリア姫を探す素振りをしながら、ピンクちゃんに耳打ち返した。


「助かったよ。いままでありがとう」


 これ以上彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。軽くほほえみ、その場を離れようとする。しかし、ピンクちゃんに裾を引っぱられ、リリアは一瞬よろめいた。


 リリアはうろたえた。周りを見回し、誰かが不審な目でこちらを見ていないか確認する。誰もこちらを気にした様子のないことを確認し、ほっと胸を撫でおろした。リリアはピンクちゃんにそっと耳打ちした。


「これ以上はきみにも危険が及ぶかもしれない。私はもう大丈夫だ」


 少女は頭を左右に振った。まるで聞く耳を持たない。リリアの眉はハの字で困ってしまった。


 どうしてリリアを助けてくれるのか。リリアと関わるとろくな事にならない。自分の身が危険にさらされる可能性を分かっていないのだろうか。


 そう思ったら疑問が口を突いて出ていた。


「なんで?」


 ピンクちゃんはリリアの胸元を見つめていた。小さな口をすぼめ気恥しそうにしている。


「お花」

「?」


 ピンクちゃんはリリアを見上げた。


「お花、大事にしてくれたから!」


 聞き覚えのある声が二人の後方から聞こえてきたのはその時だった。


「近くにいる…俺には分かる!」


 振り返れば魔王ハルが城の角から姿を現し、吸い寄せられるようにこちらに向かってくる。


「ピンクちゃん、こっちだ」


 リリアはとっさに少女の腕をつかみ、そしらぬ顔で足早にその場を去った。


 ◇◇


 二人がワイバーンの小屋にたどり着いたとき、周りには誰もいなかった。


 なぜなら小屋のすぐ横は絶壁で、リリア姫が逃げられるような道はないからだ。


 ワイバーンの低く大きな寝息が闇夜の空気を震わせている。

 リリアはようやく掴んだ手を離し、ピンクちゃんを振り返った。


「朝まで小屋に潜んでいるよ。きっとその頃には包囲網が広がって城の警備も手薄になっている。そうなれば却って逃げやすくなると思うんだ。本当はそのうちに諦めてくれれば万々歳なんだけど」


 言いながら、リリアは角袋と偽の尻尾を外した。髪を解きいつもの三つ編みにする。これでは手配書そっくりではないか。リリアは思わず苦笑いした。


 視線を感じ、ふと顔を上げるとピンクちゃんが両手を合わせ心配そうにこちらを見ていた。初めて出会ったときとは大違いだ。あの時、無口で無表情だった少女はいまや感情表現豊かな少女にしか見えない。無口なのはあまり変わりないが。


 リリアは眼差しに慈愛を込めて微笑んだ。


「もし、可能なら何か着替えと、ハサミと髪染めを持ってきて貰えないだろうか。そこの、倉庫に置いておいてほしい。様子を見ながら取りに行く」


 ピンクちゃんはこくこくと頷いた。


「ごはんも、持ってくる」

「助かる。くれぐれも無理はしないでね。今まで本当にありがとう」


 その瞬間、ピンクちゃんは、わっと泣き出した。リリアは少女を抱きしめた。


「泣かないでくれ。私も泣きたくなるから」


 鼻をすすり、背中をさする。本当に彼女には世話になった。リリアだって別れが惜しくないわけがない。


 二人の世界は穏やかだった。これが最後の一緒にいられる時間なのだ。大切な二人の別れの時間に水を差す無粋な輩がいるとは思いもしなかった。

 だから、ランプの灯火が1つ、すぐそばまで近づいてきていることに、リリアは気がつけなかった。


「見つけたぞ!」


 嬉しそうな男の声とともに、二人はランプの明かりに照らされた。リリアは突然の眩しさに手をかざす。指の隙間から見えたのは、白い長髪をライオンのたてがみのようにたなびかせこちらにやってくる魔王ハル。


 不安そうにこちらを見上げるピンクちゃんと目があった。リリアはこくりとうなずくと、素早くピンクちゃんの首に左腕を回し、右手を頭の上に置いた。


「近づくな。さもないとこの子の首を折るぞ」

「ひぇ…」


 ピンクちゃんが奇妙な悲鳴をあげた。もちろん、リリアは首を折るつもりなどない。しかし、そうでもしなければ、少女はリリアの共犯者として城で手酷い仕打ちを受けるだろう。


 それだけは避けなければならない。


 リリアは魔王を睨みつけた。

 魔王は腰に佩いた鞘から剣を抜きとった。ランプの灯を受け、剣身が妖しく揺らめく。魔王は鼻で笑った。


「そんな者などどうでもいい。邪魔ならこっちから斬り捨てるまで」

「おおん…」


 その瞬間、リリアの中で何かがブチ切れた。ピンクちゃんを後ろに下がらせ、魔王に向かって歩き出す。魔王は満足そうに剣を持つ腕を下ろした。


「やっと諦めたか。それがいい。ここにいれば」

「…だな」

「一生楽して――ん、何か言ったか?」


 風が吹き両者の間を木の葉が舞い上がった。魔王の持つランプの炎が不安げに揺れる。リリアは大きく息を吸い込んだ。


「お前は最っ低な王だな!!!」

「な、な、な、な、なにー!!」


 呆然とする魔王にリリアは張り手を食らわせた。乾いた音が夜空に響き、魔王はその場にへなへなと尻もちをついた。剣身が地面にぶつかり鈍い音をたてる。


「俺が…最低…世界一…最低…」


 魔王は紅く染まった頬を抑え、口をパクパクさせている。ずっと同じ言葉を繰り返すその様はまるで壊れた喋るおもちゃみたいだ。リリアは心ここにあらずの魔王から剣をひったくると、ピンクちゃんに駆け寄り、手を伸ばした。


「ピンクちゃん、一緒にここを出よう」


 リリアの瞳は本気だ。ピンクちゃんは一瞬はっとして、そして、すぐに笑った。


「はい…!」


 ◇◇◇


 それから間もなく、鬼璃きり魔国の魔城からワイバーンの群れが飛び立っていった。群れと呼べたのは一瞬で、すぐに散り散りに思いのまま飛び去っていく。


 その中に一頭だけ不器用に飛翔するワイバーンがいた。その背には凸凹コンビの少女二人を載せている。


「ピンクちゃん、本当に初めてかい?」


 リリアはワイバーンを操縦する少女を褒めた。ワイバーンには初騎乗ということだったが、以前ピンクちゃんが持ってきてくれた動物図鑑が役に立ち、すぐにコツをつかんでしっかりのりこなしている。


 リリアはピンクちゃんの腰に腕を回し体を密着させた。そうしないと、寒いし、ワイバーンの背から振り落とされそうだ。


 前にもこんなことがあったなとリリアは思った。


 檻に入れられ、訳も分からぬまま、鬼璃魔国に連れてこられたあの日。恐ろしくて、不安で、悲しかったあの日とは、今は全然違う。


 手綱を操りながらピンクちゃんが振り向いた。


「どこ、行く?」


 その答えをリリアは既に決めていた。城の頂の小部屋にいる間、ずっと考えていたことだ。


「きっと、世界には私みたいに、囚われても誰も助けにこない姫が他にもいると思うんだ。だから、私はその姫たちを解放してあげたい」


 囚われからも、姫からも解放されたリリアの胸は未だかつてないほど清々しい。


 ピンクちゃんがくすりと微笑んだ。


「それ、名案」


 その夜は流星群の夜だった。前も後ろも右も左も、二人の行く先には星々が飛び交っている。流れ星のスコールを一身に浴びた二人は、光の祝福を纏ってどこまでもどこまでも天高く駆けていった。

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