第15話 逃げられの魔王 振り返る
リリアが魔城から逃げた数日後―
魔王ハルは力なく玉座にしなだれかかっていた。このところまともに食事も取っておらず、光を失った眼窩は落ち窪んでいる。
見兼ねたルクティが粥を掬ってハルの口元にねじ込んだ。
「はい、あーん」
「…ん」
「はい、次」
「…もういい」
「だめよ。ほら、あたしをリリアちゃんだと思って。あーん♡」
ハルは目を瞑り、スプーンを己に差し向けるリリアを想像した。照れたように頬を染め、瞳を潤ませる妄想上のリリア。ハルの唇をスプーンが割った。粥の控えめな塩気が、米の甘さを引き立て、口の中に広がっていく。新婚家庭の優しい味――
「おいひぃよぉ♡」
「相変わらず気持ち悪くて安心したわ」
くねくねするハルに、冷たい眼差しを浴びせるルクティ。突然、扉が大きな音をたて開き、二人の前へ凛々しい顔つきのガモットが現れた。
「リリア姫の行き先が分かりました」
「なにっ?!」
その瞬間、ハルの背筋はピンと張る。瞳にはみるみると光が宿ってきた。ルクティはふっと微笑んだ。
「で、どうするの。魔王様?」
ルクティとガモットの視線がハルの背中を押す。ハルは玉座から飛び出し、颯爽とマントを翻した。
「リリア姫をもう一度攫いに行く」
思えばあの日からずっと追い求めていた。これまで一度たりともよそ見はしなかった。別に我慢や無理をしていたわけではない。ただ単に他のものには目がいかなかっただけだ。彼女以外に欲しいものなど、ついぞ見つからなかったのだ。
ハルは出口へ足早に向かいながら、銀継ぎの角を慈しむように撫でた。
◇♢
ハルが魔王になるずっと前―
ハル少年は魔王になるための修行中に、見知らぬ土地で迷子になっていた。
ハルには物心ついた時から「魔王たるもの」を教えてくれる家庭教師がついていた。その家庭教師は非常に優秀で、エキセントリックに謙虚だった。だから、自分にさえできることは当然ハルにもできると思い込んでいた。
ハルもそれなりに優秀だった。家庭教師の修行に、いつも辛うじてついてきていた。だから、家庭教師は恥じ入ったのだ。
「こんな修行では、ハルお坊ちゃまを馬鹿にしているも同義っ!」
そうして、ハルは突如として九頭蚯蚓の巣窟に放り込まれた。そこは、れっきとした魔王でも生存率2割の超危険地帯。ハルは泣きながら、九頭蚯蚓と激しい死闘を繰り広げ、八頭までなんとか倒し、最後、残る九頭にぺろりと丸呑みされた。
しかし、ハルは諦めなかった。胃の中で溶けそうになりながら必死に悪あがいた。九頭蚯蚓もとい一頭蚯蚓は自身の体内で発生している異常事態にもがき苦しみ、地中深くをのたうち回った。のたうち回るうち、鬼璃魔国から何ヵ国か旅し、いつの間にかジャヤ国の地中にきていた。一頭蚯蚓はついに事切れた。
おかげで勝者ハルは地中を自ら掘り進めなければならない羽目になった。酸素の薄さに薄れる意識。爪の間に、耳の中に、そして口の隙間に、泥土が容赦なく入り込んでくる。魔法が使えなければとうに死んでいた。
どのくらい掘り進めただろうか。真っ暗闇の中、自分が地上に向かっているのか分からなかったハルの耳に、賑やかな音楽が聞こえてきたような気がした。
(「何かの祝いか…?」)
それほどその音楽は晴れやかで、同時にハルの萎えた生気に再び活力を与えた。まるで、ハルの地上への帰還を祝うようなパレード感。沈んだ気分が音に合わせて高揚する。
その時だった。突然、頭上がふっと軽くなり、音が一際大きくなった。地面と水平の目の前は月光で照らされている。視界が一気に開け、ハルは目の前の人影にようやく気がついた。驚いたような興味津々なような声が静かに落ちてくる。
「だ、大丈夫?」
視線を上げれば、目の前に少年がいた。キュロットにベレー帽を目深に被った少年がおずおずとこちらに向かって小さな手を差し出している。
「だ、大丈夫だ」
「そうは見えないけど」
ハルはプイッと顔を背けた。その瞬間、土が口の中に入ってきたが我慢した。正直、それどころではなかった。目の前の少年には角も尻尾も無い。つまりは、ここは魔国ではなく人の国なのだ。
本来、魔族にとって人を相手取ることは赤子の手をひねるに等しい。しかし、今、ハルは、体の9割近くを土中に埋めている。魔力も消耗し尽くし風前の灯火状態。もし、この少年が、武器を手にした大人を数人連れてくれば、ハルの人生はここで終わる。
少年はしばらくハルを怪訝そうに見下ろしていた。ハルは息を殺し、残り少ない魔力をかき集めていた。かき集めれば、こいつ1人くらいならどうにか始末できる。そう、自分を励ましながら。
突然、少年は何かに気がついたように周りをきょろきょろ見回した。
(「大人でも呼ぶつもりか」)
しかし、警戒したハルの予想はあっけなく裏切られた。少年は神妙な顔をして、ハルの周りの土を手で掘り始めた。白く柔らかそうな幼い手がみるみる泥まみれになっていく。
「何してる?! 俺は大丈夫だと言ったはずだ」
少年は額から玉のような汗を吹き出しながら頭を振った。
「うそばっかり。大丈夫じゃないだろう? でも、分かったよ。きみはここにいちゃいけない人なんだね。手伝うから、早くここから出ていこう?」
少年のあどけない顔がハルに近づく。長いまつ毛が月光に照らされている。ベレー帽から覗く髪色と同じ青磁のまつ毛。ハルはその美しさに思わず瞬いた。そして、少年は少女なのだと気がついた。
体は次第に軽くなっていった。腕が外に出てしまえばあとはもうすぐだった。両手で踏ん張り力任せに体を引き抜く。すぽっと土から抜け出て、転がり、ハルの左の角がぽっきり折れた。
九頭蚯蚓の酸で弱っていたのだろう。欠片を手のひらにため息をついていると、少女が大事そうに手に取った。
「しゃがんで」
ハルは言われるがまま膝をつく。少女はポケットから色とりどりのリボンを取り出すと、ハルに一つ一つあてがっていった。しばらくして、少女の手がピタッととまる。
「うん。これがいい」
そう言って少女は銀色のリボンでハルの角を結び合わせた。
「よく似合ってる。今日の主役はきみだね!」
少女は満面の笑みを浮かべた。夜風が2人の間を駆けて行く。少女のベレー帽が攫われ、と同時に豊かな長髪が月夜に美しくたなびいた。
その姿はさながら月光下のヴィーナス。
これがハルの初恋の原点である。
♢◇
「はっくしょーい!!」
リリアは盛大にくしゃみをした。横を歩くピンクちゃんが顔を覗き込んでくる。リリアは苦笑いして、人差し指で鼻を擦った。
「えへへ。誰かが私のことを噂してるのかな?」
「…きっと、魔王様」
「え、どうしてぇ? もう関わり合いたくないなぁ」
「…魔王様、どんまい」
「?」
リリアの受難はまだまだ続きそうだ…多分。
囚われの姫 囚われをやめる イツミキトテカ @itsumiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。