遮断の天秤

 出されたのは、何の変哲もない市販のコーヒー牛乳だった。

 飲みなれた安心する味だ、普段はチョコレートと一緒に飲んでいるから、少し口寂しくはなってしまうが。


 ……と、そこまでを考えたところで、紙包装のチョコレート菓子を投げ渡しながら、彼──羽場切翔は言葉を告げる。


「それで、スコーディアにはなんの用事できたの?」

「ああ、そうだな……最初に話しておくべきか」

「一応彼女の主をやってる身だからね、安全は確保してあげないと」


 主、という表現に若干の引っ掛かりを覚えるものの、そこは飲み込んでおく。


「手荒なことをするつもりは無いさ、そうだな……キミは、私たちや彼女についてどこまで知ってる?」

「あんまり? 表向きは孤児の保護や資金援助をして、裏では星座に適合させるための人体実験とかをしてる、スコーディアはその被害者……そのくらいだね」


 詳しいとこまでは別に。

 そう言って両手をあげる彼に、私は思わず苦笑いを浮かべる。そこまで理解していて、普通正直に話す物かね。


 思いながら、斜め上を見る。部屋の隅でカメラのレンズのようなものが光った、おそらく何かしら……銃口のようなものも向けられているだろう。


「なら大して隠す必要も無いな……上からの命令でね。逃げ出した失敗作の監視をしろ、だと。人使いが荒くて困るよ」

「教団も縦社会か、大変だねぇ」

「全くだよ、とはいえ──監視して、どうするかは私に任されていてね」


 飲み終えたコーヒー牛乳を置いて、チョコレートを口に放り込む。


「キミに蠍座を使って攻撃する意思がなければ、問題はなかったと見逃してあげることが出来る……どうだい?」

「うーん、魅力的な提案だけどなぁ」


 1度思案するような顔、そして彼は楽しそうに笑った。

 空気がピリつく、意識を集中させる──半ば直感で、後は細かい動きとかでわかる。


 目の前に居る男は、星座の人体実験を受けてはいない。星座の力を宿した星素を埋め込んだ人は、特異な力に加えて破格の身体能力も得る。

 なにもなければ、一般人なんて一瞬で制圧できるのだ──特に、十二星座を宿す者であれば。


「断るような口ぶりじゃないか」

「そうだね……誰かに思想を決められるのはさ、嫌いなんだ。それに、自衛くらいは出来るつもりだよ?」

「そうか、なら──」


 一拍、間を。


「手合わせでもしてみるかい?」


 椅子を引いて立ち上がる。

 その瞬間に光が爆ぜた。視線を向けていた斜め上の隅……それともう3箇所から何かが放たれる。


 銃弾だ、それもただのものでは無い。星素の輝きをほんのり宿した銃弾は、その貫通力を大きく高める。

 4発、いずれも狙いは足だ。どうやって指示を出したかは知らないが、なるほどこういう武力を持っているわけだ。


 ──それら全てを、私は視界におさめながら観察する余裕があった。

 星素によって高まった動体視力は──多少の訓練は必要だが──この程度の速度は目で追える。情報を整理する能力は、まあ私の癖みたいなものだ。


 そして、本来必要な避ける動作だが……それも、私には必要ない。

 軽い音を立てて、弾かれた弾丸が宙を舞う。それだけだ、物理的な攻撃である限り、それが私に届くことは


 そういう風に、願われているからだ。

 誰の干渉も受けない公平の証。不正無き絶対の秤──昔の人が、空に輝く天秤座に祈ったかもしれない力。


 空間の固定化。異空への収納と取り出し。防御力の高さで言えば、仲間内の誰よりも上だという自負がある。


「その程度じゃ、かすり傷さえつかないが」

「みたいだなぁ、じゃあ……」


 手数を増やそう。

 そう言って男は指を鳴らす。さてさて次はどう出るか、私はゆっくりと歩みを進めながら電気警棒を取り出して。


「……な」


 思わず漏れ出そうになった驚きを飲み込む。

 ほんの一瞬、取り出した武器を確認するだけの時間だったはずだ。その一瞬で、視界には大量の機械が出現している。


 どこから、と思考する私の目の前で、機械のひとつが分裂した。それを1度理解して、頭が回り始める。

 明らかに星座の能力だ、私だって全ての星座の能力を正しく把握出来ているわけじゃない。教団由来の実験で得た力なら、教祖様がわざわざ監視を命じることはないだろう。つまりこの男は野良の、もしくは例の反抗組織の──。


「──バカか私は」


 増殖した機械の波が、私目掛けて押し寄せる。

 無論、そうした物理的な攻撃である以上私に届くことは無い。空間の壁に阻まれて、上手なパントマイムみたく空中に静止する。


 さっき自分で判断したばかりだ、彼は星座を宿していない。立ち方や所作、特に割れ物を持とうとする動きに特徴がはっきり出る。

 じゃあ星座は機械に宿してるか? それは違うと断言出来る。星素が人の願いを糧に動く都合、特殊な星素である星座の力は、人間のにしか──。


 ……根拠は、無い。

 それでも、この男ならやるかもしれないと、私の本能が告げている。


「うーん、硬いな……単に透明な壁じゃなくて、もっと概念的なやつか……」

「なあ、キミ……もしかして、なんだが」

「ん、どうしたのさ、ストライブさん」


 戦闘中とは思えない和やかな声とともに、迫っていた機械が止まる。

 弾や質量による突破が不可能なことに気づいたか、そのまま機械は地面に落ちた。そんなことは、今はどうでも良くて。


「機械に移植したのか? 自分の脳の一部を……どうやったか、知らないが」

「ああ、よくわかったね。ストライブも観察が得意みたいで嬉しいよ……ま、やり方は秘密だけど」


 やれやれ、とでも言いたげに両手を上げて、目の前の彼は一つ息を吐く。

 大袈裟な仕草の割に、声は平静そのものだ。まるで隠すつもりは微塵もなかった、どころか当たり前のことだとでも言いたげな声。


「さて……どうしよう、まだ続ける?」

「……いや、やめておこう。自衛くらいはできそうだし……特殊な形とはいえ、仲間は傷つけたくない」


 持ち上げていた電気警棒を下ろす。男は片付けが面倒だと言いたげに機械のひとつを持ち上げると、なんの意味があるのか棚の上に置き直した。


「よかった、このままやっても勝ち筋無かったし……全力で抵抗してたら、館が壊れてた」

「だろうな、キミの能力がどういうものかは知らないが……屋内じゃ狭すぎるだろう」


 話しながら、機械のいくつかを私の空間に拾っておく。

 ……教祖様は、このことを知っていたんだろうか。おそらく知っての行動だろう、あの男はやたらと人の脳に興味を示していた。


「ところで、さ」


 思考の中に篭もりかけた私に、彼が声をかける。

 ……どこか困ったような声だ、さっきまでの余裕がなくなってるような、なんの話しを切り出すつもりだ?


「こういう風に機械を出すのって、戦う時だけなんだよ」

「……まあ、そうだろうが……それが?」

「いや、この光景をスコーディアがみたら誤解しそうだから、後ろ守っといた方がいいかもしれないなって」


 その言葉から、数拍置いて。

 足音、それが土を踏み抜く雷のような音に変わって。


「ご主人に──」


 首筋目掛けて容赦なく、振り抜かれた剣の持ち主を私は見た。


「何してるんですか!」


 それは紫色の髪をポニーテールに纏めている、毒々しい色合いの……メイド服を着た女性だった。

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