虚ろの水瓶

記憶の並び

 天秤座を宿す前の記憶を、私は鮮明に覚えている。

 私自身が望んで、適合率の高い星座を選んだからだ。本人がそうなることを望んでいないほど、そして適合率が低ければ低いほど、人体実験を受ける前の記憶は壊れやすくなる。


 そう、全て鮮明に覚えているのだ。

 頭の中に流れてくる情報が足りなくて、空腹を覚えていた日々も。


 ……痛み、という情報量の多いものに興奮を覚えるようになり、結構倒錯した性癖に目覚めたことも。


「……っ、ぐ……」


 思い返すと叫びそうになる。

 いや性癖のことではなく、それはもう仕方ないことなので一生付き合っていくしかないとして、だ。


 昨日の夜、殴られたりするのが好きか、などと突飛なことを聞かれ。

 動揺のあまり思考が纏まらずに「あっ、お願いします」なんて言葉を吐いてしまい。


 いや、すごい困惑したような顔で一発お腹を殴られたのは実際すごい興奮したし、一人では味わえないあの感覚はそれはもう大変良かったんだが。そういう趣味を人に言うつもりも無ければバレるとも思っていなかったわけで……。


「うー……」


 言ってしまったものは仕方ない。

 そう片付けられれば幾ばくか楽なのだろうが、ぱっと切り捨てられるほど常識というものを捨てたつもりは無い。


 本当なら家の中に閉じこもって、布団でも被りながらジタバタしていたいところ。悲しいことに教祖様から呼び出しを受けてしまったために、こうして思い出し我慢を強いられながら教会地下の通路を歩いているわけだ。


「浮かない顔だね、我が友よ」


 と、そんな私にふとかかる声が。


「今朝の占いで最下位でもとったかい? 気にする事はないとも、君の運勢は僕が保証しよう」

「……水瓶座か、何用だい?」


 横道を見やれば、音もなくこちらを見つめる影がひとつ。

 キョンシーのような帽子から垂れる布が、表情を完全に覆い隠している。着込んでいるのは体の輪郭を隠すようにダボついた長いワンピース。


 自分の情報を隠そうという気概が伺える装いの人物だ。私は彼のことを声音でとりあえず男性と置いているが、それにしたって中性的な声なので確実な判別はつかない。


 そんな彼こそが、水瓶座の力を持つ幹部のひとりであり……この組織内では非常に貴重な、私の友人と呼べる人物である──仲間ではない、が。


「用事は何も? ただ親友が困ってそうなら手を貸すのが普通だと、僕はそう思うね!」

「ご立派な思想だな、その調子で私の計画にも手を貸してくれると嬉しいんだが」

「それは出来ないな、我が友よ……君の誘い方も、随分教祖様に似てきたような気がするね」

「……勘弁してくれ」


 とんでもないことを言われてしまい、私は1つため息をつく。こういうやつなのだ、傷つけない範囲内で人の言われたくないことを言い放つ、面倒くさいが憎めない男。


「まあ冗談はさておいて。浮かない顔してるのは本当だよ? 悩みがあるなら遠慮はするなと、僕はそう言いたいわけさ」

「心配は嬉しいが……家でしたいことがあったのに上司に呼び出された、それだけの話だよ」

「ふむ、君は教祖様に意見を言える貴重な人材だからね。用が増えるのも無理はない」


 勘弁して欲しいね。と言いながら肩をすくめると、彼は愉快そうにくつくつと笑う。

 どいつもこいつも張り詰めた雰囲気を持つ十二星座の中で、こうやって気軽に愚痴を言える相手は本当に貴重だ──笑い事では無いのだが、本当に。


「……なあ、やっぱり私の方に付く気はないか? 私の目的でも仲間だけの世界は──」

「教祖様が呼んでいるんだろう? 早く行くといい」


 ヘラヘラとした口ぶりで、隠れた顔にどんな表情がついているのかは分からない。

 分からない、が。


「僕としても友に力は貸したいが、恩人を裏切るわけにはいかないものでね」

「……残念だ」


 諦めて通路を進み直す私の後ろ、背中を見つめる彼が……近いいつかに消えることを思うと、私はどうにも悲しい気持ちになるのだった。



 ◇



「今日は随分と……人が多いな、嫌がらせするほど暇なのかい?」

「やあストライブ、蠍座の様子はどうだった? お父さんに教えて欲しいなぁ」

「……ストライブさん、教祖様に対して無礼な態度はよくないと思うの。私たち十二星座はみんな家族なのだから、例え苦手意識があったとしてもきちんと敬意を持って──」


 教団員に配られる純白の衣服に身を包み、銀髪ショートの女性が流水のように絶え間なく話続ける。

 教祖様はその様子を微笑みながら聞いているし、その横では獅子座が呆れた表情を浮かべながら「関わらないぞ」と言いたげな視線をこちらに向けていた。


「……乙女座」

「──つまり大事なのは団欒の時間だと思うの、私も最近までは弟のことは私がしっかりと管理してあげないとと思っていたけど今は少し引いた位置から見守り続けるのも──」

「ああ、それだ。弟さんが元気そうでなによりだよ、後で話でも聞かせてくれ」

「ええもちろん……と、話しすぎたかしら」


 よくやった。と言うような視線を獅子座から向けられるのは、中々ない貴重な瞬間だ。それを見られただけでも収穫……そう思うことにしよう、じゃないととてもじゃないがやってられん。


 乙女座、剣川満月。

 私の天敵とも言っていい、組織の中で1番苦手な相手だ。彼女は基本的に人の話を聞かない。


「はぁ……蠍座の状態ならこの前データを送っただろう、口頭で聞きたいなんて都合なら早く帰して欲しいものだが」


 私の言葉に対してなにか言おうとした乙女座を教祖様の手が制止する。

 教団内での信仰度合いは人によって大きくブレがあるが、乙女座に関しては敬虔な信者と言ってもいい。まあつまり、半分くらいは私の敵であるということだ。


「流石にそれだけじゃ呼び出さないよ、確かに顔は見たかったけどね」


 用事は2つかなぁ。

 そう間の抜けた声で告げる彼の隣を見る。獅子座は我関せずといった表情だ、少なくとも暴力を振るえるような連絡ではないらしい。


「まず、昨日送ってくれた蝿座の話だけど……確かに昔、教団に支援してくれた企業に送った星座の中にあったよ。いやぁ、まさか適合者が反抗組織に仲間入りしてるなんて」

「……清々しいほどに白々しいな。知っていたなら最初に報告して欲しかったんだが」

「いや? 流石に報告されるまで知らなかったよ、お父さんだって全部知ってるわけじゃないから」


 ……つまり、今どこにしようと比較的どうでもいい事だった。そう言いたいのだろう、その位は喋り方でわかる。


「話を聞く限り、ストライブの顔は覚えられてないだろうけど……もし襲われても殺さないであげてね?」

「射手座の育成に必要だから、だろ? 肝に銘じておくよ」


 わざとらしくお辞儀をしながら、私は言葉を返す。


「それで、2つ目の用事は? 監視に報告もこなしてる私に、追加でなんの仕事を増やすつもりかな?」


 たっぷりと嫌味を混ぜ込んだその言葉に対し、彼はむしろ上機嫌な様子で手元の端末をいじり始めた。

 そして送られてきたデータを確認する……地図だ、ピンが1本刺さっている──この辺りは、比較的観光地寄りだったか。


「この辺りで、不自然な星素の反応を確認してね……少し見に行って欲しいんだ──つまり、観光しておいで」


 ……自分の言葉を返されたことに、若干の不快感が身体を走る。

 とはいえ、とはいえだ。好奇心をくすぐるような星素の動きに、半ば観光感覚でいい調査となれば、断る理由も特には──


「ああ、ちなみに満月と……水瓶座もついていくから、仲良くね?」


 そう告げられた時、ポーカーフェイスを貫けたか。

 私には、イマイチ自信が無い。

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