友好の蟹

 最初に料理に手をつけたのは、意外にもスコーディアだった。異様な雰囲気の中、突然招かれたことへの重圧などないかのように……外向き、メイドとしての話し方で箸を進めていく。


「この唐揚げ、とても美味しいですね」

「そうか」


 ──羽場切に聞いた話によれば、彼女はご主人様と出会った時……つまり、失敗作として捨てられ、ボロボロのままさ迷っていた所を拾われた時点で、既に味覚と視力の一部を喪失しているらしく。

 こうして美味しいと言いながら食べているのは、全て「そうした方が喜ぶだろう」という思考に基づいたものらしい。


「いやぁ本当に美味しいね! 僕も食事にはお金をかける方だけど、ここまで美味しいのは中々珍しい!」

「そうか」


 だから、こうして味の評価が合っていたのは幸運なことなのだろう。恐る恐ると言った形で後に続いた水瓶座は、先程から楽しそうに味を伝えている……知らなかったが、大食いなんだろうか。


 そして2人が食べ始めたなら、当然私も食べる必要があるわけで。

 あまり食に拘りがある方ではないが、なるほどこれは確かに美味い。水瓶座がはしゃぐだけの事はあるだろう、私も食事の手が進んで、テーブルの上の料理はどんどん──。



 ……減らない。

 全く減らない、というか増えている気がする。いや違う、気の所為ではなく増えているのだ。


「なるほど、エリナ程では無いがよく食べる。食材を買い足しておいてよかった」


 私達が食べるよりも速く、テーブルに料理が追加されていく。気づいた水瓶座が手を止めて、蠍座にすら気持ち少し困惑の表情が浮かんでいるような気がする。

 どこまで料理に精通することが出来れば、これほどまでの手際の良さで調理を行うことが出来るのか。いや、そもそも作り置きでもないのに食事中にこんなに追加のものを作るのは物理的に可能なのか?


「何か聞きたいことでもあるのか、天秤座」

「……いや、味もいいが手際もいいな、好きな物こそ、というやつかい?」


 疑問、というか若干引き気味な表情を見て声をかけてきた蟹座に、私は出来るだけいつもの調子で返す。

 その言葉を聞いた蟹座は、少し真剣そうな表情で考える素振りを見せた後。


「味はそうだ、料理を作るならそこにも凝るべきだと思った。ただ、手際の良さだけで片付けられる速さでないことはお前も気付いているだろう」


 淡々とした口振りで語りながら、食べ終わった皿を1枚取り上げる。そして一歩下がり──おもむろに、その手を離した。


 異常な状況であっても、私の頭はしっかりと情報を捉える。

 落ちるな、とそう思った。皿に糸が繋がっている訳でもない、極めて無感動に放り出された皿を空中で受け止める気は無いようだ、そういう手の動き。


 ……椅子から立ち上がってあの皿を落ちる前に拾う、まあ出来るだろう。なんなら近くの空間を固定して加速がつかないようにしてやってもいい。

 そこまで考えて、止めた。何らかの意図があるんだろうし、この手の人は邪魔されるのを嫌がる筈だ。鈍化する思考の中で、皿がゆっくりゆっくりと──。


「こういう能力だ」


 静かに告げられたセリフの間にも、皿はゆっくりとした速度で落ちている。

 隣では水瓶座が感心したような様子でそれを眺めていて、蠍座はなにか記憶しておこうとしているのかその動きを凝視していた。


 つまり、私だけがそれをゆっくりと認識している、という訳ではないらしい。


「物体の減速、及び加速。蟹座の権能、調理時間はこれでサポートしている」


 落とした皿が地面につくスレスレで、彼はそれを拾い上げる。


 なるほど便利な能力だ、物体の加減速……料理に使っているということを考えれば、相当影響範囲を調整することが出来るのだろう。

 会った時に、料理が冷める心配はないと言っていたのはこういうことだったか。単純な落下速度等だけでなく、時間が経つ速度そのものに干渉する力。


「……それを、なぜ私に?」


 だからこそ、ほんの少し疑問に思う。

 そんな力を、わざわざ目の前で分かりやすく示してきたのは何故なのか。料理さえ出来ればいいという中立の立場でいるなら、自分の力を教える必要も無いだろうに。


「決まっている、腕を買って貰うためだ」

「……はぁ?」

「もし本格的にお前とイオン・ヘブンズウォーズが対立した場合、恐らくお前寄りになるからな」


 話を終えた。とでも言いたげに片付けを始めようとしたその背中に、私は怪訝そうな声を返す。

 今のところの話の流れに、どうして私の味方をする理由がある? 良くて中立、悪くて現状維持のために敵対だと思っていたが……。


「料理が出来るのであれば、次に優先するのは娘のことだ。娘の夢は平和な世界でな」

「私の目的の方が一致する、と?」

「俺はそう考えるが、違うのか?」

「……違うつもりは無いさ、私が望むのは普通の人と星座適合者が別々に、そして幸福に生きる世界だ」


 どういう思考回路を持っていて、どういう理屈で動くのか。全てを理解出来る気はしないが、どうやらある程度の理解する努力は必要らしい。


「真面目な話だねぇ、僕はよくわかんないけど」

「世界平和でしたら私のご主人も目指しているので、話が合うかもしれませんね」


 と、どこか真面目な雰囲気になっていた会話を、横合いからの声が崩す。

 蟹座の手を止めた状態で話していたからだろうか、気持ち最初の状況よりはテーブルの上の料理が減っているように見えた、この調子なのかもしれない。


「そういえば、その……スコーディア」

「どうしましたか?」

「君はご主人様の計画についてどこまで知っているんだ?」


 質問に対する答えは、首を横に振る小さい動きで否定された。

 ……こっちの方も、気になると言えば気になるんだよな。世界平和という目的が何を指すのか、あの星座は何座の力なのか。そして何より、教祖様とどんな繋がりがあるのか。


 私が十二星座として選ばれた理由を知ろうとするのであれば、必然的に彼のことも知る必要があるのでは無いかと……これも直感だが。


「なんだ天秤座、気になる人でもいるのか」

「その言い方は大いに語弊があるなぁ!?」


 思わぬところから飛んできた予想もしてない言葉に私の体が一瞬跳ねる。真面目な声で急にぶっ込んでこないで欲しい、天然だろうが……もしかしたら苦手寄りの相手かもしれない。


「恥ずかしがることでは無いだろう、俺が首を突っ込むことでもないが」

「気になるにも種類があるだろう、何でも結びつけるのはやめろ」

「……では、私はこの辺りで。そろそろご主人も心配するかもしれませんから」


 話の流れを無視するように、スコーディアが突然立ち上がる。こっちもこっちでマイペースというか、話をちゃんと読むタイプでは無いだろう。


 ──だから、その背に一言。


「後で私も向かうよ」


 そう言い残してから、私は蟹座への喋りに集中するのだった。

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その天秤は傾かない 響華 @kyoka_norun

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