Episode 06 夜空
「あー、もう。何も思いつかないわ」
そうスズナさんが叫んだのは彼女の工房でのこと。花火の制作に入ってから三日が経ち、タイムリミットまではおよそ二日。
一人前の花火職人への試験では打ち上げるところまでが試験であることから事前提出等はなく、当日までに完成していれば大丈夫です。
とはいえ、打ち上げに備えるためにも早めに作業を終わらせてしまいたいところです。ちょうど様子を見に来ていた私はスズナさんに声をかけます。
「二つは完成したのですよね」
「ええ、あとは三つ目だけよ。元々は一つしか作らない予定だったけれど、時間も素材もあるし」
「それは良いかと思いますが、少し休んでください。当日に倒れては元も子もありませんよ」
見るからに疲労の溜まった様子の彼女には休息が必要でしょう。素晴らしい作品は求めていますが、それは彼女の健康あってのものです。
既に見習いでは及ばないレベルの作品が二つ出来ているという話し方ですし、ここは無理にでも休ませてしまいましょうか。
「ナギサ……わかった。休むわ。それで、その、お願いがあるの」
「お願い、ですか?」
部屋の片隅に用意されたベッドへと移動する彼女に問いかけます。早着替えからの『浄化』は現実では見られない光景です。
「また、夢を見せて欲しいの。あっちの世界の夢を。良いアイデアがもうそこまで来てるの」
「それくらいなら構いませんよ」
あちらの世界で簡単に得られるアイデアくらいなら既に実行している人がいそうなものですが、彼女ほど力を持った花火師はいなかったでしょうし、ユニークなものが出来上がる可能性はあります。
「花火でも見ますか?」
既に二つ完成した今ならば、見ても良いかもしれないと思っての提案です。元々悪いことでもありませんから。
「今はやめておくわ。面白くないもの」
それは私の心の的を射た言葉でした。釈然としないのは面白くないから。仮に現実世界と同じものが出てきたとしてもその過程は違って欲しいという我儘です。
今このときは面白さより優先すべきものがある気もしますが、彼女の決定を尊重しましょう。でも、と彼女は続けます。
「どんな舞台で花火が上がるのかは知りたいかも。夢見る人たちにも楽しんでほしいし」
観光客はまだ少ない時期ですが、街に住む夢見人も幾らかはいます。星立人と暮らす夢見人もそう珍しい話ではありません。
「わかりました。では、そういった方向性で」
厳しい縛りでもないですし、ある程度は望みの夢が見られることでしょう。
詠唱を終えて、私は彼女にスキルを施します。
「夢彩色。……おやすみなさい、スズナさん。良い夢を」
借りた合鍵で戸締まりを済ませて、アキトさんと街を観光します。
想定よりは長く滞在することにはなりましたが、スイレンカは中規模の街ですから見て廻るにはちょうど良かったかもしれません。
特徴的な産業としては
ただ、こちらも少し時期が早いのか蕾がちらほらといった程度となっています。夏の観光客にとっては見物なのでしょうね。
早咲きの花を愛で、観光客向けの資料館などを巡り、有名な飲食店で食事を摂る、そんな生活が続いています。
今日の朝食は夏野菜のサラダとエッグサンドです。雑誌に載っていた喫茶店を訪れ、テラス席で街並みを眺めます。
ドリンクはこの街で採れるアッサムに近い茶葉に柑橘類の精油を合わせたフレーバーティー。
何でも好きなものが飲める現実世界とは異なり、輸送が大変な仮想世界では地産地消が基本です。食事の自由度は下がるものの、料理人の工夫を楽しめます。
「野菜が美味しいですね。紅茶がメインかと思いましたが、野菜にあったものを選んでいるのでしょうね」
「ああ、旬はまだ先かとも思ったが、歯応えが良い。爽やかな朝に相応しい」
「ふふ、そうですね。冒険も良いですが、このような穏やかな日々もまた良いものです」
「そうだな」
「今回は危なかったですからね。余り無茶はしたくないものです」
「早く安全に冒険できるだけの力をつけたいものだな。俺の力は全然足りなかった」
「アキトさんの規格外の力がなければ、戦いにもなっていませんよ。ただ……二人で強くなっていきましょう。これから、ゆっくりとでも」
「ああ」
急ぐ必要はあっても焦る必要はありません。
今思えば、今回は随分と無理をしたものです。スズナさんが覚醒したとしても灰亜竜を倒せる可能性というのは低かったでしょうし、多少無理をしてでも撤退するべきでした。
最良の結果にはなりましたが、反省の方が多い冒険だったと言えるでしょう。無理をした分、成長できたというのも考えものです。
と、追々考えれば良いことは置いておいて、今日はショッピングにでも行きましょうか。北部地域には街一番の商業地区がありますので、要チェックです。
整備された大通りに商店、露店が並びます。街の規模にしては出店数も多く、街を訪れる人の数も相当なものなのでしょう。
街道なら護衛さえ雇えば、比較的安全に来訪できますから、東都からのツアーなんかも組まれていると聞きます。
ぶらりとお店を回って、掘り出し物を探しつつ、お土産を購入してしまいましょう。軍資金は潤沢とは言えませんが、スズナさんとの冒険で手に入った素材の売却益があります。
気分はお忍びのお姫様。ローブを深く被ってみたりして、アキトさんと買い物を愉しみます。私の行きたいお店ばかりに行くのは、アキトさんに行きたいところがないからであって、私が我儘だからではありませんよ。
食品などの消耗品も幾ばくか買い足しておきます。野菜が美味しかったので、そのあたりを中心に。
「アキトさん、なにか気になるものでもありましたか?」
「このナスを買うか迷っている」
形も色も良いナスが陳列された棚の前で立ち止まったアキトさん。ナスは先程の店でも買ったからでしょうか。
「買いましょう」
私が即断します。アキトさんの悩むはどちらでも良いということです。僅かに買いたいに寄っているようですが、拒否しても不満がでない程度。
「どれが良いものか」
「ここの列を買います。『倉庫』もありますし」
「そうだな。いつかは食べ切れるだろう」
観光であり、単なる日常のようなそんな時間を過ごしつつ、スイレンカの商業地区を満喫します。
モノの価値を見極める『鑑定』に関してはアキトさんの『高等分析』にも劣らないようで、お宝を探しながら、お互いのスキルの特徴を分析するのが最近のブームです。
悩んだり、迷ったり、それもまた買い物の醍醐味です。二人で話し合って、私が買うかを決めるまでがお約束。
「見習いの花火大会のポスターも沢山貼られているのですね」
「そりゃあ、この街の未来だからねぇ」
そう答えたのは、服飾店の店主です。人の良さそうなお婆さんで、伝統衣装やアクセサリーを自分でも作っているのだとか。
「今年、注目の方はいますか?」
「そうだねぇ。やっぱり街有数の花火師デガルクの息子かねぇ。あと今年は女の子が出るって聞くねぇ。まあ難しかろうねぇ。推薦状が手に入ったということはそれなりに実力はあるのだろうけど」
推薦状は今はなき祖父が生前に提出してくれていたようです。ですので、一度だけの裏技となります。
「女の子だとやはり難しいのでしょうか?」
「そりゃあ、まあ。今でも古い考え方の大人が多いからねぇ。考え方は簡単に着替えられやしないとはいえ、彼女には酷な話だねぇ」
「そうかも、しれません。ですが、きっと変わりますよ。この街は」
「旅のお嬢様が言ってくれるなら心強い」
「ふふ、期待していてください」
店主の言葉は私たちの購買の結果かもしれませんが、商人は男女という理由での職業の棲み分けが夢見人の感覚に合わないことを知っています。
観光地としての発展を目指すならば、夢見人の価値観を受け入れる必要があります。だから決して彼女の敵ばかりではないはずです。
いつかを今にできるかはスズナさんの行く末次第でしょうね。少女が世界に羽ばたくその日までに、この街は彼女の期待に応えられるのでしょうか。
街が変わるというのならば、今このときの街を知っておきましょう。そうした方がきっと未来でその違いを楽しめますから。
スズナさんの工房を訪れたのは翌日。
彼女が待ち構える作業台には精巧な魔石が鎮座します。眩い光を完全に閉じ込めたその魔石こそが花火玉です。
「出来たわ。今の私にできる最高傑作が」
スズナさんの言葉以上に彼女の清々しい笑顔が花火の出来を物語っていました。
楽しみですね。明日の夜が。
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そして翌晩。
新月の夜。空は深黒のキャンパスへと変わります。
そこに描かれる見習いたちの作品は彼らの青写真でもあり、可能性そのものです。
打上花火と言いましても、花火といった
見習いとはいっても試験を受けられるレベルとなるとある程度は形になっているようで、荒削りながらも存外面白い作品が続きます。
個性を出そうとするも似通ってしまうのは狭い世界故に仕方ないところもあるのでしょうが、もったいないですね。
私とアキトさんはテラス席のあるレストランで観賞用のコースを頼んで、ゆっくりと夕食を摂りつつ、夜空を見上げていました。
批評家よろしくアキトさんとあーだこーだと評価し合うのは、これを試験と見てしまっているからでしょうか。
毎回三人、夏と冬の二回で毎年六人の合格者がでるわけですが、参加する見習いは五十人ほど。中々シビアな試験です。
後半になると、見習いの技術が次第に上がってきます。これまでの成績や推薦によって順番は決まっているそうで、スズナさんは大取りになったようです。
ただ、スズナさんの場合は実績というよりも最も上手い花火の後に上げさせることで、技術の対比をしたいのだろうと彼女は言っていました。
スズナさんの実績は程々に知られているはずなので、様々な思いが交錯した結果でしょう。彼女の敵ばかりというわけでもないようです。
デザートも食べ終え、ドリンクを飲みながら終盤に入った花火ショーを眺めます。
「浴衣でも来てくれば良かったでしょうか?」
ふと、そんなことを思います。
「次はそうすればいい」
「そうですね。次もまたあるでしょう」
「もうすぐだな」
「ええ、楽しみです」
覚醒があるとはいえ、アキトさんを超えるステータスの同世代が現れるとは思いもしませんでした。
そういった意味でも期待を超えてくれたスズナさんの作品。素晴らしいものであることは間違いないでしょう。
「次がスズナさんを除いた最有力候補ですね」
聞こえてくるアナウンスは五十一番目の見習いの名を告げます。
そして、勢いよく上がった花火を見て。
「抜けて上手いな」
「ですね。技術力の高さが伺えます」
万華鏡のような花の紋様を浮かび上がらせる
街のざわめきが彼の作品の良さを証明しているでしょう。他の見習いより数段上の有力候補。簡単に圧倒的な才能を示させてはくれないようです。
二つ目はより華々しく、三つ目は古来よりの打上花火に近く、どれもかなりのクオリティで仕上がっていました。
期待以上の新人が現れた衝撃の残る街で、彼女の番がやってきます。
「いよいよです」
「ああ」
彼女の名前がアナウンスされました。
夜空は漆黒。少女の可能性を待っています。
一つ。
静かに上がった花火。
誰よりも高い空でゆっくりと。
大輪の花が咲きます。
低い爆発音を耳に残し、夜空を覆うような大きさのシンプルで細やかな、至極普通の打上花火。
誰よりも大きく。誰よりも繊細に。
それは、圧倒的な才能を簡明に示す方法でした。
普通であればこそ技術力の高さが如実に反映され、その解像度に観衆は息を呑みます。
微細にまで心が尽くされた巨大な華は世界を包むように広がったままに、淡く淡く消え行くのです。
火薬式より長く、儚さは感じてしまう短さ。
その瞬間を止めてしまいたいと思える美しい情景を演出した第一弾に遅れるような大歓声が響き、彼女の舞台が幕を開けました。
二つ。
示された圧倒的な才能を更に超える一撃として、彼女が選んだのは飛亜竜でした。
打ち上がった魔石花火は自由な空でワイバーンの形をとり、魔法を使った演舞を
緻密な設計による生きているかのような動きは大迫力です。岩と炎の魔法が夜空を彩り、広い空間を余すことなく支配します。
魔法のバリエーションは数多く、モデルとなった灰亜竜の技とスズナさん自身のスキルを知っていても想像できないほどの多彩なエフェクトが飛び交います。
飛亜竜の飛行、魔法、その行動一つ一つに歓声が上がり、街全体がヒートアップしていくような感覚は決して錯覚ではないでしょう。
右肩上がりの盛り上がりの最中、終わりの時はきます。仮初めの魔物は最後の舞へと空の真中に陣取りーー
咆哮。そして、ワイバーンの命を燃やすような怒涛の攻撃魔法が夜空を埋め尽くし、その陰で燃えるように
灰亜竜を知る私たちですらこんな猛々しい魔物がいるのかと思った程です。魔物を目にする機会のない街の人々へのインパクトは相当なものでしょう。
興奮冷めやらぬ喧騒の中、煌々と輝く三射目が打ち上がります。
誰もが期待し、息を呑み、訪れる静寂。
そして、漆黒の世界に間もなく疎らな輝きが夜空を照らし出して……。
それが何を示しているのか理解するのに数瞬の時間を要しました。
「星空……」
誰かの声が夜の静寂に響き渡ります。
仮想世界の
それでも、根源から来る無限の
初夏の夜空を彩るのは星々であり、人々の夢や感動という色とりどりの心でした。溢れる感情は言葉にならず、初夏の夜空に溶けていきます。
夢見人も星立人もこの世界で共に生きる仲間。違うからこそ、お互いの世界をもっと知りたいと思う心は誰の中にもあります。
それにしても美しい星空です。星の川を中心にしたコントラストの効いた新月の空は夢見る人にとっても十二分に感動的な一幕でしょう。
星のない空が決して常識ではないのだと。
彼女の叫ぶ声が聞こえるようです。
それは、この街の常識を変えていくという決意の声でもあります。
一瞬にして永遠のような時間でした。
天の川が次第に薄れ行き、舞台が終わり行く中、スズナさんの最後のサプライズが始まります。
「流れ星!」
そんな声が響いたと思うと、流れる星々はその数をどんどん増やし……。
「流星群……」
星の雨が降る街、スイレンカ。
星のないこの世界で、初めて星空を完成させた一人の少女が産まれた街。
「ふふ、良いものですね」
「ああ」
そんな風な話が伝わるようになるのもそう遠い話ではないような気がします。
Chapter 01 『星のない空』 fin.
永遠の潮騒 隆代水依 @orihsakat
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