Recode 03 夢彩色

 スズナが目覚めたのは電車の中だった。

 閑けさの染み渡る車内で彼女は目覚める。柔らかな椅子の上に座る彼女の向かいには、黒髪を王冠のように束ねた雅な少女が微笑んでいた。


「起きたのですね」

「アナタは……ナギサ?」

「ええ。そうですよ。向こうの世界の姿です」


 白と淡青色を基調にした涼しげな制服。第一高校の伝統の夏服に、薄い黒アームカバーで肌を隠す少女はたおやかに腕を上げて、衣装を見せる。


 電車は暗いトンネルの中を進んでいる。その窓に映るスズナの服装もナギサと同様第一高校の制服だった。


 その姿に驚くのも束の間、スズナの瞳は鮮明な青を映す。トンネルを抜けたのだ。


 晴れ渡る空。その空に刺さるような黒鉄の楔が高層管理ビル群であるとスズナは知らない。その精巧さは神話の魔法の如く。仮想世界では再現できない三次元の街が彼女を歓迎する。


「ここは……アナタ達の世界なの?」

「そうとも言えますし。そうでないとも言えます。此処は貴方の夢の中なのですから」


「こんな景色、アタシは知らないわ。きっと想像もできない」

 それは町の外に出た時よりも遥かに鮮烈な衝撃だった。どれだけ魔法文明が発達すれば、これだけの緻密な景色を造れるのだろうか。


 仮想世界では複雑さや巨大さに魔力的な資源消費が発生する。都市迷宮で賄って初めて、二十一世紀前後の文明レベルを再現できる。


 故に旧時代の高層ビルですら、普通の町に住むスズナが目にする機会はなかった。故にスズナには眼前の景色を夢見る地盤がない。


『夢彩色』。ナギサの力がスズナの夢にあり得ない世界を構築していた。ナギサにとってもまたあり得ない世界を。


 人のいない電車の行く先はあくまで空想の町だ。何処か彼女の世界に似た、それでいて無駄のないシンプルな美しい世界。


「これがナギサたちの世界……」

 スズナの言葉は否定されなかった。

 彼女が景色を眺めやすいようにゆっくりと進む電車の走り抜ける町はより正確にはスズナのための世界だった。


 やがて、落ち着いたスズナ。零れ落ちた幾多の感情は言葉になることはなく、世界に溶けるように消えていった。それで良い気がした。


「この服は制服よね。学校、見てみたいわ」

「良いですよ。では、次の駅で降りましょう」


 降り立った駅は無機質なデザインを基調にしながら、拡張現実で色付けされたありふれたものだった。


 拡張現実は魔法と近しいところがあり、スズナにも受け入れやすい技術だ。魔法の方がより現実を拡張しているとも言える。


 そんな駅の先にはナギサたちの通う第一高校があった。名門に相応しい豪奢な校舎は、国の威信の現れでもある。


 屈強さを示すような四階建ての箱には和の意匠がふんだんに盛り込まれ、細部にも拘った儚げな美しさが絶妙に融合されている。


「これが……学校なのね」

「ええ。私たちの通う国立第一高校です」

「ここにはナギサたちみたいな凄い同世代の人が沢山いるの?」


「私も優秀であろうと努力はしていますが、成績は二十位くらいがやっとです」

「世界は……広いのね。アキト君はやっぱり一番なの?」


「実力ではそうだと思いますが、成績はそうとも限りません。アキトさんは仕事や研究で忙しい上、私の補佐もしてくださっていますから」

「……凄い世界ね」


 前庭を抜け、正面玄関から校舎内へ入れば、広めの廊下が待ち受けている。二人分の足音を静かに響かせながら、ナギサたちの教室へ向かう。


 ナギサたち特進クラスの教室は三十人用だが、他の教室より些か大きい。更に、在校生の親や卒業生からの寄付によって揃えられた設備はどれも一級品だ。


 特進クラスのその扉を開いた時、スズナは何処かの城に迷い込んできたのかと錯覚した。あまりの境遇の違いはともすれば絶望にも繋がりかねない。


 しかし、これは彼女の夢。スズナの望まないことを起こすようにナギサはスキルを使ってはいない。


 スズナは知りたかった。同世代で自分よりも凄いと思えた初めての人たちのことを。そこにある絶望や恐怖にさえも、今までの窮屈な生活よりは希望があった。


 その部屋は輝いていた。最高峰の環境と最高峰の生徒たち。現実世界でもそう実現できないその情景が、長い長い歴史をかけて形になっている部屋。


「ナギサの席はどこ?」

「私の席は……ここですね」


 最後列、窓側から二番目。教室全体を見渡せる位置にナギサの席はあった。その席にナギサが、そして窓際の席にスズナが腰掛ける。


「アキト君はこの席?」

「ええ。よくわかりましたね」

「偶々よ。何だか、そんな気がしたの」


 暖かな風が窓から吹き込み、スズナにこの教室での生活を夢想させる。その穏やかな日常はあり得ない妄想だった。


「どんな子が通っているの?」

「色んな方がいますよ。例えば……」


 コノミさんやシャルさんをはじめとしたクラスメイトを紹介するナギサ。興味津々といった様子でスズナは質問を重ねていく。


 彼女が満足するまで絶え間なく質問は続いた。ここは彼女の夢の中、時間は充分にあった。


「会ってみたいなぁ。同世代の凄い子たちと」

 スズナの町にはなかった希望がその瞳の奥に輝いていた。


「東都に来れば、いつか会えますよ」

「……そうね」

 東都までは遠いが近い。移動は現実的だ。もう少し力をつけるか、仲間を見つけるか。幾らでも方法はある。


「アタシはたぶん、沢山のことを知らなかっただけなのね」

「世界は、知らないことで溢れています。誰にとっても、きっと」

「そうね」


 たとえ知らないことがあっても、想像で補うことはできてしまう。それでもきっと世界には予想だにしないことが溢れていて。それは未知の世界に飛び出してこそ気付けることなのだろう。


「もっとこの世界を見ておきたいわ」

「良いですよ。まだ時間はあります」


 校内を巡り、街に飛び出し、二人だけの東都を行く。夢彩色の東都はナギサの記憶より鮮明だ。彼女が知らない部分も再現される。


 ただ今のナギサには他者を呼び出すことは難しい。人というのは存外リソースを要するためだった。一方、モノや自然はそうでもない。


 電車も自動車も簡単に出せる。その上、転移移動門なくして、座標を変えられる。先程第一高校に来たときのように。


 もっとも変化しているのは座標ではなく、夢の世界自体の方かもしれないが。


 そんな不自由で自由な夢の中。二人の少女は東都の観光名所や大型商業施設を廻っていく。ありふれた放課後のように、アクセサリーを贈りあい、カフェで軽食をとる。


 今日出逢った二人。それでもスズナにとっては誰よりも大切な憧れの人に、ナギサはなりつつあった。風変わりで厳威にして、繊細で優美。


 才能や実力はある。が、スズナのように卓越している訳では無い。それなのにナギサには格上を思わせる強度がある。筆舌に尽くしがたい不思議な感情をスズナは抱いていた。


 だから、知りたいと思う。

 けれど、触れるには余りにも美しい。


 そんな心は露知らず、ナギサはスズナの手をとって街を歩く。落ち着いたイメージを逸脱しないくらいの子供っぽい振る舞いで、スズナに外の世界を見せつける。


「ありがとう。ナギサ」

「どういたしまして。ですが、それは起きている私に伝えてあげてください」


 ナギサの意識はナギサのものだ。それでも他者の夢の内容は殆ど記憶できない。スキル使用時に分けるようにして生み出された意識だからだ。


 故に、現実のナギサが起きていても、夢の中にナギサが存在できる。


「そうね、そうするわ」

 そう答えたスズナは大きな欠伸を一つ。

 夢は永遠には続かない。終わりは近付いていた。


「もうそろそろ眠りますか?」

「ええ。ずっとここに居たいけど、眠くなってきたから。最後は、ナギサの家で寝たいわ」


「では、招待いたしましょう」

 ナギサの言葉に呼応するように黒塗りの高級車が傍に停まる。自ずから開く扉に導かれるように二人は乗り込んだ。


 そうして招かれた水無邸。重い瞼は言うことを聞かなかったが、どうにかナギサの部屋まで案内され、その天蓋付きのベッドに倒れ込むようにしてスズナは眠りにつく。


 目覚める、と言うべきだろうか。

 夢と現の境界線で少女は世界が広がっていく音を聞いた気がした。








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