第10話 メイクの魔法
「どぉ~お♪ エブリンちゃん、ワタシって本当に天才だと思わない~♪」
「まさに。至芸の持ち主とはマダムのことですわね」
「いやああああっ♪ 情報蜘蛛のエブリンちゃんに褒められるなんてっ♪ ワタシってなんて幸せなのかしら~っ♪」
黄色い声と青い声できゃいきゃ言っている女子達(?)を前に、私は鏡の前で絶句していた。
朝イチでマダムの元を訪れ、それから早数時間。
お腹が空きました、背中と胸がくっつきそうです、と嘆く私にエブリンが「元々さほどお変わりないですが」と残酷な一言を告げたのがつい先ほどのこと。
そして今、鏡の女王が持っていても不思議ではなさそうな豪華で綺羅びやかな金銀の全身鏡の前で、私は両手で頬を押さえて叫びのポーズを体現していた。
「これは……誰ですか……」
もしもこの世に神の手が存在するならば。
それはまさしくこのマダム・アマゾアナの御手ではなかろうかと思う程、そこにいる自分は見違えていた。
長い亜麻色の髪は波打つ稲穂のように緩く巻かれ、その綿密に計算された角度と精度に巻きゴテ嬢方のプライドが垣間見える。
簡単な手入れしかしていなかったはずの眉は超技巧のカットで長さが均等になり優しいアーチを描き、メインパーツである瞳は楊枝何本乗りますか? と試してみたくなるほど長さを強化した睫がぐるりと囲んでいた。
アイラインは主張しすぎず、けれどもしっかりと目の大きさを象徴し、淡い茜の空のようなアイシャドウはふんわりと春の夕暮れのように瞼を彩っている。
お肌は白磁の陶磁器のように透き通っているのに、そこにあったはずの毛穴もできもの痕も存在を消し、かつ薄化粧に見えるという信じられない奇跡が起きていた。
唇はぷっくりした柘榴の粒のように潤みと艶を放ち、唇のシワなど一筋も見当たらない。
これはもう、詐欺とかの度合いを超えてやしないだろうか。ここまでくれば犯罪とすら思える。
元の世界でも整形メイクなどの情報はあったけれど、そんな次元を通り越しているように思えた。
これは最早トリックアートだ。
顔とはキャンバスなのだと、私は今日始めて知った。
「ちょ、ちょっと別人過ぎないかしら……? ここまでくると誰か判別出来ないのでは……?」
「何を仰ってるんですかお嬢様。今日びのご令嬢ならこの程度、すっぴんと変わりませんわよ。それに、お嬢様のお顔立ちにはなんら変化はございません。いくらマダムの神の手でも骨格までは変えられませんわ」
鏡の前で呆然とする私に、エブリンはそう言って鼻で笑い飛ばした。
すると、最後の仕上げと称して後れ毛を調整していたマダムが背後からひょい、と顔を出す。
「そうヨ~♪ エブリンの言う通りヨォ。リイナちゃんってば相変わらず自己評価が地底まで掘り下がってるんだから♪ 貴女がそれ言っちゃったらそこらの女なんてみーんなぺんぺん草になっちゃうわよう♪ それに、ワタシの信条はその子本来の魅力を引き出すことなのよ? 面の皮だけ厚くするメイクなんて邪道だもの~♪」
「ぺんぺん草……と、とりあえず、自分がお化粧映えする顔だってことはわかりました」
前から思っていたが、マダムは顔も強烈だが言葉も中々に強烈だ。エブリンと良い勝負である。
自分の変化具合にひとまず納得した私は、次にマダムが用意してくれたドレスの方を観察した。
彼女が持ってきてくれたのは淡い菫色がグラデーションになっているAラインのシルクドレスだ。
胸の方が色濃く染められており、足下にいくにつれ薄く染色されたレースがふんだんにあしらわれている。
明らかに手刺繍で繊細な花模様と真珠がおびただしい数ちりばめられていて、生地だけでもお値段が恐ろしそうな代物である。一応外出用のドレスであるためシルエットはすっきりしているが、上品さと上質さでひと目で一級品とわかるところはやはりマダムのセンスの秀逸さが窺える。
「あの……マダム? このドレス、とても綺麗で素敵で大好きなのですが、その……うなじとか胸元が、ですね、妙に空きすぎていませんか……?」
「えェ~?」
だいぶ、かなり、控えめに尋ねると、マダムが赤い唇を巨大な三日月型にした。かなり怖い。
「なぁに言ってるのよリイナちゃんってば。人妻はうなじ! 胸元! で見せるのがジョーシキでしょお~?」
わかってないわねぇ、と言わんばかりにマダムが口を尖らせる。一体何なのでしょうかその非常識な常識は。とつい突っ込みそうになったけれど我慢した。何しろエブリンが隣で頷いているのだ。この二人に逆らっては後が怖い。それに、二対一では分が悪すぎる。
つまりお色気作戦ということかと一応納得した。私に色気があるかどうかは別にして。
そうして、私は女傑二人に促されるまま、ドレスと揃いのヒール(今度は七センチ!安心!)を履いていざアルシュタッド商会へと向かうことになった。
サロンの玄関に着いた馬車に乗り込んだ私は、白いレースハンカチを片手に「健闘を祈るわぁ~♪」と満面の笑顔で送り出してくれたマダムに頭を下げ、彼女の元を出発した。
道中の馬車でエブリンに「大丈夫ですわお嬢様。今のお嬢様を見れば、クラッド様は腰も足も色々抜かします」なんて言われつつ。
それって思い切り引かれているっていう意味では―――という不安を、乾いた笑いで受け流して。
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