第22話 金色の瞳
「クックックック」
「……おい」
山と積まれた書類の上に、ふてぶてしい顔で座っているのは現代世界なら精霊の名で知られたフォールカだ。
彼は何が面白いのかにやけ顔で俺に視線を送っている。
普段は好き勝手ほっつき飛んでいるくせに、珍しく商会の書斎にやってきたかと思えばこれだ。
正直なところ鬱陶しくて仕方がなかった。
「何か言いたいことがありそうだな」
話しかければ、生意気な面持ちが一層にやりとしたり顔になる。ますます不愉快だ。
「イヤナニ、オモシロイナトオモッテナ?」
「何がだ」
誰のことを面白がっているのか、予想はついていたがわざと尋ねた。
彼女という人間が妖精にはどう写っているのか知るために。
「オモシロイ、ニンゲンン、ジャナイカ。オマエノ、キヲヒクタメニ、ビヤクマデ、ツクッテミセタンダカラナ!」
人間をそのまま小さくしたような妖精が、おかしくてたまらないと言った風に腹を抱えて笑い転げる。
その姿に、煮えたぎる怒りが沸々と登ってくるのを感じながら、俺はソイツ、フォールカを睨みつけた。
「彼女を笑うな。お前でも許さない」
「ハハッ!」
嗜めれば嫌味たっぷりに笑い飛ばされる。今ここに蝿叩きがあれば叩き潰してやるのに。
懐かしい世界にあった道具の名前が咄嗟に浮かぶ。
確かに、リイナがしていたことは見ようによっては滑稽かもしれない。
だが、俺にとってはそれすらも愛おしく、こんな道理の通らない生き物に馬鹿にされるのは我慢ならなかった。
「ほとんど帰らない夫に、あそこまで心を尽くしてくれているんだ」
「ソノカエラナイオットガ、ヨクイウ」
「五月蝿い」
ああ言えばこう言う。かつて日本でいたころに持っていた妖精のイメージがコイツのせいで台無しだ。
けれど俺は正直、理依奈が……彼女がしてくれるすべてのことが、愛おしくて仕方がない。
年甲斐もなく顔がにやけてしまいそうになるくらい、嬉しいのだ。
愛されようと頑張ってくれているところも、今日のように化粧をして着飾って現れてくれたことも、すべて。
他の男共になど見せるのが惜しいほど、彼女を独占し、誰の目にも触れさせず、己の腕の中に閉じ込めてしまいたいと、どれほど考えたことか。
けれど、俺にはその資格など無いのだ。
それに……彼女には失礼だと思うが、もしかして、とも考えてしまう。
彼女は、塚本理依奈という女性は母親に、そして恐らく父親にも愛されずに育った人だった。
だからこそ彼女は、俺という伴侶を必要以上に愛そうとしてくれるのではないだろうか。
自分がされなかったことを、俺にしようとしてくれているのでは、と。
そんな風に思ってしまうのだ。
「オイ、クラッド! マタホウケテルゾ!」
「いてっ、何をする!」
「ケケケッ」
懐かしい世界、けれど悔恨しか残らない世界の彼女に思いを馳せていると、いつの間にか顔の前まで移動してきていたフォールカに額を小突かれ我に返った。
彼の爪でひっかいた月のような瞳が嗤っている。
眉間に皺を寄せ睨み付けると、憎らしい妖精は羽音をわざと五月蠅くはためかせた。
こんなものを崇め奉るなど馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
こんな……人の『生』を玩具にするような奴らなど。
苛立たしいが、しかし彼の振った話題と感想については俺自身も思うところがあったので共感してしまった。と言うか、思い出すだけで照れてくる。
なんというか……気恥ずかしい。
彼女が俺を、その、夫として見てくれているなんて……幸せ過ぎて。
「ダガ、イツマデチャバンヲツヅケルツモリダ? モウジカンハナイゾ」
「……わかっているさ」
そう。わかっている。言われずとも。
俺は幸せに浸っている時間など無いのだ。
リイナは俺の事を気に入ってくれている様子だ。それは素直に嬉しい。
嬉しいからこそ、罪悪感に押し潰されそうにもなる。
あの懐かしい世界で俺は、たかだが一本の電話をするのが精一杯で、彼女が死ぬのをただ眺めていただけなのだから。
彼女を救えなかっただけじゃない。
俺は、彼女の前世を見殺しにしたのだ。
「こんな俺が、彼女に愛されて良いはずがない」
たとえ、短い時間であったとしても。
「ナラドウスルンダ? ニンゲンハアイノナイケッコントイウノモ、フコウナンダロウ? ソレニ、コノママジャミボウジン、ッテヤツニナルゾ。ダレカホカニ、ツガイヲツクッテヤルツモリカ?」
「っ五月蝿い!!」
一番考えたくなかったことを指摘されて、かっと頭が沸騰した。目の前で鬱陶しく飛び回っているやつを、怒り任せに掴もうとして、けれどひらりと躱される。
「っくそ……!!」
「ハハ、ハハッ。ソンナカオヲスルクセニ。ホントオマエハ、オモシロイナァ!!」
俺の手が届かない天井近くに舞い上がりながら、フォールカはけたけたと意地悪く笑った。
ぎり、と握った掌が音を立てる。本当に、【この眼】の事がなければこんな奴、くびり殺してやるのに。
リイナには決して知られたくないどす黒い感情が、心に渦巻く。
「この性悪精霊め……!」
「クックック、オマエノソノヨウス、リイナニモ、ミセテヤリタイナ! オット!」
商会ローブの裏に仕込んだ長細の針を取り出し投げつければ、またもや軽く躱された。
「ふん。見せてたまるか」
見せるものか。決して。
こんなに汚れきった身の内など、彼女に晒せるはずがない。
「―――クラッド様」
そうしているうちに、カーテンの影の中から声が聞こえた。
どうやら事態が進展したらしい。
「来たか。進捗は?」
「首尾良く。本日動きがございました」
「わかった。なら後は筋書き通りに頼む」
「はっ!」
返事を最後に、影の中にいた人物は気配を消した。
まるで小説や映画の世界だ。けれど、そういう【裏側の人間】を使う立場に今、俺は座している。
おかげで何度死にかけただろうか。それもこれも、一つの願いを叶えるためだ。
「ドウヤラ、ジカンノヨウダナ」
「ああ。そのようだ―――ヴェルナーも来たらしい」
扉に近づいてくる気配は、最早わかりきっていた。
「よっ。クラッド。俺の所にもきたぜ」
「そうか」
留め金を外し、眼帯を取る。
覆っていた異物がなくなり、右目と右側顔面に開放感を感じた。
「ーーーリイナを、彼女を幸せに。それこそが、今の俺の、生きる意味だ」
硝子のインク壺に、
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