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「それにしても、声って、売れるんですね」

 印鑑は持ち歩いていなかったので、言われるがままに拇印を押して、もらったティシューで指を拭きながら聞きました。

 すでに、スマホアプリのネットバンクで、入金手続きも完了していました。信じられないくらいの大金が、今、自分の口座に入っています。どことなく、世界が変わって見えました。

 どこか、余裕を感じられるほどに。

「いいお声ですと、もちろん!」

 契約完了後のほっとしたムードで、2人は雑談をしていました。

 紅茶はまあまあ普通だったそうです。ミルクティーにすればよかったと嘆いています。

「けっこうな値が付くんですよ。特に、お客様みたいなお声は、人気があります。いいお声の持ち主は、それだけで女性からモテモテですからね。椿山様も、そうでございましょう?」

 既に契約後ですが、豊年満作は、セールストークが、本当にうまい印象です。

「一応、ひとつだけルールがありまして。声を売るのも買うのも、一回限り」

「そんなに、頻繁に売ったり買ったりするものでもないしね」

椿山さんも、けっこうその気になって、話を合わせていたそうです。

「いやあ。それにしても、だいたい相場ってこんなもんなんですか?」

 こうなってくると、人というのは現金なもので、自分の声が、世間的にどういう評価になっているのか、知りたくなってくるものです。

「いえいえ、特に今回は、名指しであなたのお声が欲しい、ということでしたので、それなりに高い金額になります。なんと言いましても、プロの方のお声ですから」

 豊年満作の口も、どんどん軽くなります。

「僕みたいな駆け出しの声優の声を気に入って下さるなんて、むしろ嬉しいです」

 ちっちっちっち、とわざとらしく言ってから、

「今、男は顔じゃないです。声です。声がいい人は、それだけで癒やし効果を持ちます。一昔前は、顔が良い方がおモテになりましたが、昨今、そんなもの何の役にも立ちはしません。今時はもう、断然、声です。だからこそ、このビジネスが成立するわけでして」

 決して、自分自身も悪い声ではなさそうな豊年満作は、そう説明しました。

「それは知らなかった。世間に疎い方ではないと思っていたけど、聞いたこともなかった」


 ——声優ブームと言われて久しいです。

「だから、なりたい人も多いし、でも、なれる人は少ないし、一握りどころか、ひとつまみ以下です。人気がある職業というのも、大変です」

 ——一説には、なりたい人は10万人、なれる人は数千人、稼げる人は数十人だとか。

「業界も日々だいぶ変わってきていますから、一概には言えませんが、厳しい世界であることは間違いないです」

 ——まるで宝くじですね。

「この業界で成功するより、東大に入ったり、宝くじで一等を当てる方が、簡単かも知れませんよ」

 ——椿山さんご自身は、ブームに乗れた方だと思いますが、どう思われますか?

「先程も言いましたが、僕が新人の頃に仕事をいただけたのは、ただの運です。ですから、ブームに乗ったと言うことでもないです。この業界は、デビューすることよりも、続けていくことの方が大変なんですから」

 ——一度売れても?

「そうですね。一度売れて、その後が約束されるという世界ではありませんから。金銭的にも、とても厳しいのは間違いないです」

 ——その中でも、椿山さんは、努力を怠らなかった。

「それはそうです。人一倍なんてもんじゃない。他人の100倍は努力しました。それだけの努力ができない中途半端な奴は、結局途中で辞めていくだけの、なんの覚悟もない連中です」

 ——覚悟。

「僕は、自分の人生の全部をかけたつもりです。レッスン以外の時間も必死に勉強して練習して、レッスンで僕に与えられた時間は、お芝居の本番をやるつもりで臨みました。命がけで。自分勝手に、僕のオンステージだと思って、同じクラスの人たちや講師をお客さんに見立てて」

 ——その辺りが、成功の秘訣のようですね。

「普通のインタビューで使えそうなパートを話しておきました(笑)」

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