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 私は、レコーダーの録音をやめ、メモを閉じました。

もうこれ以上、書くことはありません。

 ——ありがとうございました。

「もういいのかい?」

 ——使い物になりませんから。

「じゃあ、プランBだね。通常の内容のインタビュー」

 ——それもどうするか、これから検討します。

「言いたいことはわかってるよ。今、おまえは声が出せてるじゃないか。そう言いたいんだろう?」

 ——そうですね。

「うん、もちろんそうだよ。僕は、声を失った。だけど今、こうして声を出している」

——そうですね。

「あのとき、セールスマンから、声を買い戻すことはしなかった」

——そうらしいですね。

「もう興味なしかい?」

——誤解しないでいただきたいのですが、私は、どんなお話でも信じるつもりでお伺いしていました。ですが、ただの与太話であるなら、話は別です。

「そう思えるよね。無理もない」

 ——あなたは声を失ったという。しかもその声は、取り戻せるはずの時に、取り戻さなかったという。なのに今、あなたは、あなたの声で話している。椿山侘助その人の声で。

「そうだよね、そう聞こえるよね。僕自身も本当に驚いたんだ」

 ——奇跡が起きたとでも?

「いやあ、奇跡は起きるものじゃない。起こすんだよ」

 ——何を言ってるんですか?

「声を売るのも買うのも、一回限り。だから僕は、別の人間から、新しく声を買ったんだ。自分の声は戻ってこないけど、他人の声なら買い取れる。売るのも一回、買うのも一回」

 ——それは、……理屈ですね。

「そう、理屈だ。奇跡じゃない。奇跡は、たまたま似た声の人間がいたってことと、その声が、僕に馴染んだと言うこと。まるで元通りになるように。なんとも奇跡的だろう?」

 ——似た声の人間?

「この声は、僕の仕事を奪った、あの、代役に収まった後輩の声優の声だよ。彼は才能があったからね。あのまま成長したら、大人気の声優になったことだろう。困ったことに、僕を差し置いて」

 ——代役の声優さんは、いつの間にか、消える様にいなくなっていた……。

「彼はまんまと騙されてくれたよ。言葉にして言うなら、チョロかった」

 クツクツと、椿山さんは笑いました。

「だってしょうがないだろう? 僕は、僕ほどの努力をしていない人間が、たまたま、本当にたまたま僕と同じ事務所にいて、たまたま僕の声に似ていたという、ただそれだけの『運』で、役を得たような奴を、放っておく訳にはいかないじゃないか。それはダメだよ。だって、彼が居座ろうとしていたのは、僕の席だったんだからさ」

 ——だから、声を奪った?

「声優としての未来はどこにも保証されていないことの不安を煽り、加えて、提示した金額が大きかったのも良かった。豊年満作は、実によくセールストークを展開してくれた。さすが、生まれついてのセールスマン。もっとも、借りたお金を返すのに、時間がかかったけど。去年、ようやく返済が終わったんだ」

 ——去年。

「そう。30年かかったよ。でも、そのおかげで、僕は声優に復帰、その後、30年間、今の地位を守っているのは、君も知っての通り。一流の声優としての地位をね。だから、感謝しているよ、後輩にも、あのセールスマンにも」


 窓の外から、クリスマスソングが流れてきていました。

 なぜかそれが、かんに障ることもなく、邪魔でもなく、どこかこの状況にふさわしくすら思えました。

 録音もメモも、もう取っていません。

「紅茶、まだありますか?」

 ——どうぞ。

「うん、美味しいね。さすがに少し冷めてきたけど、雑味がなくていい」

 ——ありがとうございます。

「まるで、彼女が入れてくれたみたいだ」

 ——たきびさん。

「彼女は今、どうしてる?」

 ——存じ上げません。

「そう」

 ——なぜ、彼女のことを?

「いや、知ってそうかなと思っただけだよ。確率ではなく、奇跡的に」

 ——……最後に、一つお伺いしてよいですか?

「僕の話を信じなかったのに?」

 ——それは、失礼しました。ご気分を害されたのであればお詫びいたします。

「いや、いいよ、美味しい紅茶のお礼だ。なんだい?」

 ——今のあなたは、幸せですか?

 椿山侘助は、ゆっくり時間をかけて、紅茶を飲み干しました。

「そうだね。うん、そうだね」

 ゆっくり首肯してから、それから、付け足すように、重々しく口を開きます。

「ただ一つ。クリスマスソングを聴くと、あれから二度と会うことがなかった、そう、今僕の目の前にいる君に、とてもよく似ていた、若かりし頃の彼女のことを思い出すのだけは、辛いかな」


<了>

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