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(僕の声?)

 まったく関係のない事故に、自分の声がどう関係するのか、当初、椿山さんには理解できませんでした。

 少年は、大手術から文字通り生還し、入院生活を送ることになりました。

 状況だけ聞けば悲劇でしかありませんし、症状も悲惨のひと言。ところが、案外当事者の少年にとっては、そこまで深刻ではなかったそうです。

 もちろん、目が見えなくてしゃべることもままならない状況では、周りの人が発する言葉に、肯いたり首を振ったり程度の反応しかできませんでした。

 ですが、事故の程度が大きかった割に、外傷はあまりなく、端から見た感じでは、元気な普通の少年にも見えなくはない。

 頭にも目にも、喉にも包帯を巻いているので、悲惨であるのは間違いないのですが。

 あの日、帽子を借りてしまった友だちも、何度も何度も見舞いに来て、泣きじゃくりながら、謝ったそうです。でも、少年は、ただの一度も、友だちを責めることはしなかったそうです。

 そうこうするうち、最初は、保護者に連れられて恐る恐る見舞いに来ていた友だちも、次第にそれが当たり前の日課になってきて、いつしか、普通に元気よく接することができるまでになっていました。

 もちろん、少年は目も見えず言葉を発することもできないので、意思の疎通はもっぱら友だちが話し、少年は笑ったり肯いたりの反応を示すだけでしたが、周りからは、ただただ仲のいい友だちが元気に話しているだけにしか見えなかったそうです。

 そんな中、友だちは、少年に、アニメのDVDを持ってきます。

 テレビを録画したものを、一枚のDVDにダビングしたもので、雑多にたくさんのアニメが入っていました。

 何年にもわたってシリーズ化されている超大作や、世界中でヒットしている作品、単発の映画、その他もろもろ、片っ端からダビングした映像です。

 目が見えなくて話すことができなくても、声を聴くことはできる。

 アニメが大好きな少年は、声だけでアニメを楽しんでいました。

 絵は見えないけど、音だけを聞いて。

友だちが持ってきたDVDには、過去のTVアニメもいくつか録画されていたそうです。

その作品の一つが、再放送されていた、『マリオネットミラージュ』。

その、最終回だったそうです。

そこに、椿山さん演じる主人公の、決め台詞が入っていたのです。


『俺はおまえを守る。たとえ目が見えなくても、声が聞こえなくても、俺はおまえに届くように、一生叫びつつける。おまえが、好きだ』


ぜんっぜん視聴率がとれなくて、打ち切りになった伝説のアニメ。

その、厨二病的なセリフ……。

「彼は」

豊年満作が、笑顔に戻って言いました。

「彼は、あなたの声が、大好きなんだそうです」

まるで、我がことのように、満足げに。

(たとえ目が見えなくても、声が聞こえなくても、)

「あなたの声に、言葉に、勇気をもらったのだと」

 力強く、元気付けるように。

(俺はおまえに届くように、一生叫びつつける)

椿山さんは、少年から目が離せなくなった、といいます。

「彼は、声のセールスマンである私に頼みました。『この声が欲しい』と」

 それが、去年のクリスマスのことだったそうです。

「椿山さんのお声を、なんとしても買い取りたい。それは、彼の願いでした。お支払いした料金は、そのほとんどが、加害者からの慰謝料です。少年の家は裕福ではないので、慰謝料の全てを使って、それでも足りなくて、借金までして、椿山様のお声を買い取りました」

(じゃあ、今あの少年は)

「はい。喉に包帯を巻いてはいますが、声を出すことができる様になりました。それもこれも全て、椿山様のおかげです。彼が発する声は、まさに、椿山様のお声そのままです」

 少年は、車椅子を押す看護師と、楽しそうに会話をしています。

 椿山さんの声で。目は見えなくても、耳で聞いて、声に出して。

楽しく、元気よく。

事故と手術から、既に一年以上経っていますが、毎日、リハビリセンターに通っているとのことです。

「ですが、確かに、私も、ちょっと、騙したようになってしまったな、というのは反省しています。なので、これから彼に交渉にいってきます」

 声のセールスマンが、始めて、譲歩してくれました。

 それは、とても意外な申し出でした。

「返品はききません。ですが、あなたの声を、逆にこちらに売ってもらえるように」

(できるの!?)

「本来ならば、できません」

 うなずくとも首を横に振るとも言えない微妙な動きをして、言葉を続けます。

「ですが、聞けば椿山様の身に起きたことは、確かにひどい。私としましても、取引相手が不幸のどん底に落とされるのを見て、楽しみたいわけじゃありません」

 椿山さんにとっては、まさしく青天の霹靂。声が戻る。

 自分の声が、戻ってくる。

 ただ、声を売るとは、声をなくすこと。

(でも、そうなったらあの少年は? 声はどうなるの?)

「あの少年の声は、再び失われます」

(じゃあ、別の声を、買い取れるの?)

「無理です」

声のサラリーマンの言葉は、笑顔とは裏腹に、にべもありませんでした。

「声を売るのも買うのも、一回限り。それが、ルールなんです」

 つまり——

(じゃあ、彼から声を奪ったら)

 椿山さんが、慎重に確認します。

(彼は一生、声を出せないということ?)

 豊年満作は、ネクタイを締め直して、まっすぐに椿山さんの目を見ながら、言いました。

「仕方ありません。神は無慈悲なのです」

 にっこりと、どうにも人を安心させる、輝かんばかりのものすごい笑顔で。

(うあああああああああああああああああああああああああああああ)

椿山さんは、絶望しました。

もちろん、声は出ません。涙がいくら流れようとも。

こんなの、卑怯だ。最悪だ。こんなことが、あっていいはずがないだろう!

だから彼は、声のセールスマンを、止めました。

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