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それは、クリスマスイブのことだったそうです。

忘れることのできない、クリスマスイブ。

年内の仕事は全て終わり、一段落したところで、彼は、付き合っている彼女へのプレゼントを探して町を彷徨っていたそうです。

既に日は落ち、辺りは夜でしたが、町中のネオンはより一層明るさを増している状態でした。

「その日、僕は、声を売った」

 街中には、いろんなお店から、さまざまなクリスマスソングが自己主張激しく鳴り響き、ケーキやプレゼントなどを、当日までに買い忘れた人に向けて、販売していました。

 様々な誘惑のある中で、彼は、目的の物を探して街を歩いていたそうです。

そんな中、クリスマスムードにまったく流されない、ブラックの中折れ帽に、シャツは白だが、ネクタイは黒、ピシッと仕立てたブラックのスーツを着た男が、目の前に現れ、こう言ったそうです。

「あなたの声、高く買います」

 男は、非常に姿勢がよく、ぴっちり45度の角度を保ったお辞儀をして、しかし、その目はまっすぐ見つめてきたそうです。

「……はい?」

 何を言われているのか、そもそも自分に向かって言われているのか、よく分からなくなりながら、周りを見渡しても、通行人はたくさんいますが、やはり自分に向けて話しているのは間違いなさそうでした。

「あなたの声は、素晴らしい。最前より幾多のお店で店員さんとああでもないこうでもないと会話をなされているあなたのお声を、つぶさに聞かせていただきました。素晴らしい」

と言うや、両手をこれまた姿勢良くぴっしり前に突き出して、拍手をしてから、

「あなたの声は、本当に素晴らしい」

 と、重ねて言ってきました。

「ちょっと待って下さい。さっきからって、え? 尾けてたんですか、僕のこと?」

「スパイのような真似事をしたことに関しては謝ります。ただしこれも、やむを得ない事情があってのことなので、ご容赦いただきたいのです」

 スーツの男は、平身低頭、謝罪を述べながらも、その丁寧な物腰は崩しません。

「事情って、何なんですか?」

「いえ、ですからね、あなたの声を、私めにお売りいただきたいのです。是非とも」

 なかなか話が通じなくてイライラしているようにも思える態度でしたが、物腰だけは、あくまでも丁寧でした。

「ちょっと待って。声って売ることができるの? というか、その前に、あなた誰?」

「これは申し訳ありません。申し遅れました。私、こう言うものです」

そう言って男が差し出してきた名刺には、こう書いてあったそうです。


【 声のセールスマン 豊年万作 】


「ほうねん、まんさくぅ? いかにも偽名っぽいですね」

「よく言われます。ですが、これも愛する両親からいただいたれっきとした本名ですので」

 豊年万作は、どこかの国の執事の様に、胸に手を添えて、軽くお辞儀をしながら気取って答えました。

「それと、あなたのその顔」

「おかしいですか?」

「いえ、ステキな笑顔をされているなあ、と思いまして」

 ただでさえ、満面の笑顔が、更に大きな満面の笑顔になった。

「ありがとうございます。私、こう言いましても生まれついてのセールスマン、そして、なんと言いましても、セールスの命は笑顔でございますから」


——そのセールスマンの印象は、どうだったんですか?

「すごくよかった! なんていうのかな。営業スマイルという言葉が、これほど似合う顔もないって思ったんだな」

——営業スマイルって、普通は、あまりいい意味ではないですよね?

「そうなんだよね。悪い意味ではなく、いい意味でそう思ったのも、他にないだろうと言えるほどの笑顔でした」

 ——豊年満作さん。ステキですね。そんな人なら、一度お会いしてみたいです。

「どうにも人を安心させる、輝かんばかりのものすごい笑顔でしたよ」


その彼の笑顔が、彼には少しまぶしかったそうです。

そう。同時に、かすかに胡散臭いと感じるほどに。

「それで、いかがでしょうか?」

「え? ああ、声を売るってこと? 申し訳ないけど、他を当たって下さい」

 どんな商売かは分からないけど、こっちだって商売です。売るわけにはいかない。

「そこを何とか! お願いいたします!」

彼は、とにかく彼女へのプレゼントを買わなくてはいけないという用事を果たすため、豊年万作から逃げようとしました。

だけどこのセールスマンは、予想以上にしつこかったそうです。

「あの、待ってください! 待って!」

「なんですか。あなたのお話は、お断りしたはずですよ?」

「ちょっとだけ。きっとお役に立ちますから!」

 万作は、必死になって食らいついてきます。笑顔だけはなくさず。

「なんなんですか。あんまりしつこいと、警察呼びますよ?」

「……彼女さんへのプレゼント、いいものが見つかりましたか?」

 豊年万作の質問は、今、一番気になることではありました。

 足を止めさせるくらいには。

「余計なお世話だよ」

「私めのお話を聞いていただければ、ご希望のプレゼントを買うだけの資金が提供できるかと存じますが」

そう言うと、豊年万作は、スーツのポケットから、スマホを取り出して電卓アプリを起動し、いくつかの数字を叩いたそうです。

「いかがでしょう? これくらいほどまではご用立てできますが?」


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