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 ——人気声優・椿山侘助だと知られていたときは、どう思われました?

「人気声優はやめてくださいよ。その時は、少なくとも、無名ですよ」

——ですが、すでにお仕事はされてましたよね?

「そうですね。養成所を出てもなかなかお仕事に巡り会えない人が多い中では、幸運だったと思います」

 ——私には、実力だった、と思われます。

「買いかぶりですよ。運です。運がよかったんです」

 ——それで?

「ああ、どう思ったか、ですよね? うーん、正直あんまり覚えてませんが、多分、自分の名前を知っている人がいるってことに、少しはうれしさも感じたんじゃないですかね」

 ——うれしさ。

「なんと言っても、無名ですから(笑)」


豊年万作の言葉には、嘘がないように思えました。

そして、セールスマンであれば、当然、慈善事業ではありません。自分の儲けを考えることは何も悪いことじゃないのです。

むしろ、ネタバラシを誠実に行ってくれたことに、椿山さんは好意すら抱いてしまっていたそうです。

「本当に、この値段で?」

「それはもう! セールスマンは嘘を吐きません」

 既に、豊年満作の営業スマイルは、元に戻っています。

「一番嘘つきっぽい職業だけどね」

 そう言いながら、椿山さんは、悪い気はしていなかったようです。もちろん、金額についても、増額分込みで納得の上です。

「わかった。売るよ」

「本当ですか!?」

「ただし、お金はここで支払ってもらう、キャッシュのみ。分割ではなく、全額まとめて、で大丈夫?」

 自分で言っておきながら、本当に大丈夫かと少し悩みそうになりましたが、

「もちろん! もちろんですとも! こちらが無理を言っているのですから、当然でございます! ただ一点だけ。この場でお支払いはいたしますが、キャッシュではなく、ネットバンクへの振り込みとさせていただければと思います。もちろん、即金で入れますので」

 豊年満作は、これ以上ないくらいの快諾を示しました。キャッシュレスという点だけは致し方ないと思い、椿山さんは承諾したそうです。

そして、金額をしつこいくらいに確認しながら、豊年万作が提示した契約書に署名をしたそうです。


——契約自体はどこで行ったんですか?

「さすがに路上では無理なので、一度、喫茶店に入りました。美味しい紅茶を出すお店でした」

——契約書は、どのような形式でしたか?

「羊皮紙に、ラテン語の文言が書かれていて、自分の血で署名をする形式」

 ——……悪魔メフィストフェレスの契約ですね?

「よく知ってるね。もちろん、冗談だよ」

 ——実際には?

「普通の契約書だよ。名前を書く欄があって住所、連絡先などを記入して」

 ——それは、お手元にありますか?

「これがねえ。普通だったら、複写式になってて、一部ずつ保管、というところなんだろうけど。契約そのものに慣れてなかったから、気にせずにいたら、結局、こちらの保管分はなかったんだよね」

 ——でも、その時にはおかしいとは思わなかった?

「今だったら、もちろんおかしいと思うよ。でも、あの時は、話の突飛さ、金額の大きさ、クリスマスムード、全部が後押しして、そういうもんだって思っちゃったんだよねえ」

 ——クリスマスムード、ありましたか。

「あるある! なんかほら、奇跡が起きる時って言うの? 目の前にいる、いかにも怪しいセールスマンが、ドラマなんかに出てきそうな、不思議なサンタなんじゃないかなって気分になったんだよ」

 ——ブラックスーツのサンタ。

「ありそうでしょ?『如何にも不思議な物語』とかでさ」

 ——でも、それだと。

「そうだね。結末にハッピーエンドはやってこないよね」

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