4
——人気声優・椿山侘助だと知られていたときは、どう思われました?
「人気声優はやめてくださいよ。その時は、少なくとも、無名ですよ」
——ですが、すでにお仕事はされてましたよね?
「そうですね。養成所を出てもなかなかお仕事に巡り会えない人が多い中では、幸運だったと思います」
——私には、実力だった、と思われます。
「買いかぶりですよ。運です。運がよかったんです」
——それで?
「ああ、どう思ったか、ですよね? うーん、正直あんまり覚えてませんが、多分、自分の名前を知っている人がいるってことに、少しはうれしさも感じたんじゃないですかね」
——うれしさ。
「なんと言っても、無名ですから(笑)」
豊年万作の言葉には、嘘がないように思えました。
そして、セールスマンであれば、当然、慈善事業ではありません。自分の儲けを考えることは何も悪いことじゃないのです。
むしろ、ネタバラシを誠実に行ってくれたことに、椿山さんは好意すら抱いてしまっていたそうです。
「本当に、この値段で?」
「それはもう! セールスマンは嘘を吐きません」
既に、豊年満作の営業スマイルは、元に戻っています。
「一番嘘つきっぽい職業だけどね」
そう言いながら、椿山さんは、悪い気はしていなかったようです。もちろん、金額についても、増額分込みで納得の上です。
「わかった。売るよ」
「本当ですか!?」
「ただし、お金はここで支払ってもらう、キャッシュのみ。分割ではなく、全額まとめて、で大丈夫?」
自分で言っておきながら、本当に大丈夫かと少し悩みそうになりましたが、
「もちろん! もちろんですとも! こちらが無理を言っているのですから、当然でございます! ただ一点だけ。この場でお支払いはいたしますが、キャッシュではなく、ネットバンクへの振り込みとさせていただければと思います。もちろん、即金で入れますので」
豊年満作は、これ以上ないくらいの快諾を示しました。キャッシュレスという点だけは致し方ないと思い、椿山さんは承諾したそうです。
そして、金額をしつこいくらいに確認しながら、豊年万作が提示した契約書に署名をしたそうです。
——契約自体はどこで行ったんですか?
「さすがに路上では無理なので、一度、喫茶店に入りました。美味しい紅茶を出すお店でした」
——契約書は、どのような形式でしたか?
「羊皮紙に、ラテン語の文言が書かれていて、自分の血で署名をする形式」
——……悪魔メフィストフェレスの契約ですね?
「よく知ってるね。もちろん、冗談だよ」
——実際には?
「普通の契約書だよ。名前を書く欄があって住所、連絡先などを記入して」
——それは、お手元にありますか?
「これがねえ。普通だったら、複写式になってて、一部ずつ保管、というところなんだろうけど。契約そのものに慣れてなかったから、気にせずにいたら、結局、こちらの保管分はなかったんだよね」
——でも、その時にはおかしいとは思わなかった?
「今だったら、もちろんおかしいと思うよ。でも、あの時は、話の突飛さ、金額の大きさ、クリスマスムード、全部が後押しして、そういうもんだって思っちゃったんだよねえ」
——クリスマスムード、ありましたか。
「あるある! なんかほら、奇跡が起きる時って言うの? 目の前にいる、いかにも怪しいセールスマンが、ドラマなんかに出てきそうな、不思議なサンタなんじゃないかなって気分になったんだよ」
——ブラックスーツのサンタ。
「ありそうでしょ?『如何にも不思議な物語』とかでさ」
——でも、それだと。
「そうだね。結末にハッピーエンドはやってこないよね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます