エピローグ 先生

「へぇ、そっかぁ。結構大変だったんだねぇ」

 六月二十四日日曜日。品川駅近くのファーストフード店で、笠原由衣が瑞穂に対してそんな感想を述べていた。

 先週の事件の後、香から由衣の様子を聞いた瑞穂が久しぶりに由衣に電話をしてみた結果、最初に「心配したんだから!」と少し怒られたものの、その後は色々と盛り上がって久々に会おうという事になり、こうして三ヶ月ぶりの再会を喜んでいるわけである。が、その話題は当然のように先週発生した殺人事件の事になっていた。

「香ちゃんから大体の話は聞いていたけど、改めて聞くと、本当によく生きてたよね」

「自分でもそう思う……」

 瑞穂はため息をついてそう答えるしかなかった。正直なところ、誰が殺されてもおかしくなかったあの状況で、よく生き残れたものだと思っている。

「でもさぁ、その野川って人、肥田って人まで殺してたんでしょ。つくづく本当の殺人鬼だったんだねぇ」

 あの後、野川有宏は九人殺害の容疑で個々の事件で再逮捕されていったが、その途中で行方不明だった肥田涼一を殺害した事まで自供し、その自供から東京湾の一角を捜索したところ、トランク詰めの遺体が見つかっていた。死因は撲殺。動機はまたしても口封じで、簡単に言えば彼から横川と自分がつながっていた事がばれるのを恐れての犯行だったらしい。

「で、結局文化祭は?」

「できるわけないでしょ。校内から殺人犯が出たのよ。そのまま中止で、七月まで学校も臨時休校。そもそも、事件のあった部室棟も解体される事になったし」

 現在、三つの部室棟は完全に立ち入りが制限され、このまま解体した後、新しい部室棟が建てられる事になっている。臨時休校はまだしばらく続くが、事件後の処理などで実際は毎日学校に行っている状態だった。

「ミス研は?」

「部員四人が殺されて、部長が殺人容疑で逮捕。ただで済むわけなくて、当面活動停止処分」

 瑞穂はため息をついた。生き残ったメンバーのうち、中栗と佐脇は即日ミス研を離れる意思を固めていた。特に中栗は尊敬していた野川が大量殺人鬼だったという事実が相当ショックだったらしく、ふさぎこんでいる事が多いとの事だった。このまま転校する事になるかもしれないというのが、佐脇の言葉である。

 その佐脇は、それほどショックは受けていないようだったが、このまま部活は続けられないとの答えだった。

「すまない……」

 佐脇はそう言って、本当に申し訳なさそうに瑞穂たちに頭を下げていた。彼としても、色々考えた末の結論である。瑞穂は何も言えなかった。

「それにしてもさぁ」

 由衣は呆れたように瑞穂を見た。

「先生に直談判するって、瑞穂も本当にどうかしてるよ」

 瑞穂は照れたように頭を下げた。


 当然のごとく、学校側はミス研を廃部処置にしようとした。何人も人が死に、部長が殺人犯として逮捕される事態である。学校にとっては大汚点もいいところであり、ある意味当たり前の処置だった。一刻も早く、事件の記憶を消し去ろうとしたのである。

 だが、瑞穂がそれに物申した。

 死んでいった者たちのためにも、事件を風化させてはならない。何らかの形で残すべきだ。

 瑞穂はそう言って、ミス研を残すように学校側に直談判したのだ。

 まさか、当事者から「部を残せ」という話が出るとは思わなかったらしく。学校側も唖然としていた。

 それからしばらく交渉があったのだが、結局、当面の活動停止処分、及び来年度における新歓活動停止、かつ来年度に一年生の新入部員がいなかったら即廃部というかなりシビアな条件で、学校側と合意するに至った。ちなみにこの合意には瑞穂だけではなく、朝子やさつき、美穂なども協力していた。


「って事は、今のミス研部長は?」

 由衣の問いに、瑞穂はしぶしぶ手を上げた。

「朝子先輩は協力してくれるみたいだけど、活動再開時には多分卒業しちゃってるし、名目上は文芸部だけになるんだって。となると、結局私しか残ってないから……」

 というわけで、最終的に唯一残った部員である瑞穂が、活動停止中の部活の部長に落ち着く事になった。もちろん、部室も何もない。現状では、朝子の計らいで文芸部に拠点を置いている。事件直後に開かれた部長会議で朝子がかなりのごり押しをしたらしい。

「岩坂さんが守ろうとした部を、このままつぶさせるわけにはいかないわ」

 そう言って苦笑しながらも、朝子は瑞穂に協力してくれていた。もっとも、部長会議の議長はほとんど涙目になっていたようではあったが。

「でも大丈夫? 多分、殺人部だのなんだの、みんなから言われると思うよ」

「うん。でも、誰かがやらないといけないし」

 瑞穂は、覚悟を持った目で答えた。

「……ほんと、この三ヶ月で瑞穂は変わったよ」

 由衣はため息をつきながら言った。

「でもさ、活動停止中って事は、結局何もできないんでしょ。これから一年間どうするの?」

 由衣が尋ねる。が、実は瑞穂には一つ考えがあった。

「大丈夫。考えがあるから」

「ふーん」

 と、そんな話をしていた時だった。

「これは奇遇ですね」

 振り返ると、見知った顔が立っていた。

「あれ、香ちゃんじゃない」

 由衣が驚いたように言う。国松香が手にハンバーガーの乗ったトレーを持って立っていた。後ろには、なぜかさつきや美穂の姿もあり、さつきは瑞穂に対して手を振り、美穂はぺこりと頭を下げた。

「どうしてこんなところに?」

「それはこっちのセリフ。何、そっちの子達はだれ?」

 訝しげな由衣に、瑞穂がさつきたちを紹介し、最後にさつきたちに由衣を紹介した。

「へぇ、香ちゃんの中学生時代の友達か」

「その香ちゃんと言うのはやめていただきたいのですが……」

 由衣の言葉に対し香はそう言うが、当の由衣は気にもしない。その香は休日だというのになぜか制服である。

「何で制服なんですか?」

「ああ、香ちゃんって、制服か道着かジャージしか着ないのよ」

 香が答える前に、由衣が答えた。

「嘘、まだそんな事していたの?」

 さつきが信じられないといった風に尋ねる。

「って事は、中学校の頃からそうなんですか?」

「ええ。さすがに小学校は違ったけど、中学校以降はずっとそんな感じです」

 由衣とさつきは互いにそう言った後、意味深な表情で香を見た、が、香は涼しい表情で、

「家が道場ですから、私服を着る機会があまりないのですよ。今では、むしろ道着が私服みたいなものですね」

 と、答えになっているのかいないのかよくわからない答えをした。

「美穂さんはどうして?」

「ああ、私が誘ったの。せっかくだし一緒にどうかって」

 さつきが簡単に言う。何だかんだ言って、この二人最近非常に仲がいい。美穂も以前に比べて明るくはなったようだ。

「そうだ、せっかく会ったんだし、このままどこかに遊びに行かない?」

 由衣が提案する。

「いいじゃない。私も賛成!」

 さつきが一番に賛同する。この二人、性格がどこか似ていて気が合うようだ。

「瑞穂は?」

 由衣が尋ねる。だが、瑞穂はこう言った。

「ごめん、この後行くところがあって」

「……そっか。じゃあ、仕方ないよね」

 由衣は残念そうな顔をする。それを期に、瑞穂は立ち上がった。

「じゃ、私、行かなくちゃ。また誘ってね!」

 瑞穂はそう言うと、自分の料金を払って店を出る。

「瑞穂ったら、どこに行くんだろ?」

 さつきが疑問を呈する。それに対し、香は何か悟ったような目でこう言った。

「おおよその予想はつきますけどね」

「ほんと?」

 由衣が驚いた表情をする。さつきがやれやれと言わんばかりに首を振った。

「香は昔からこんななのよ。どこか大人っぽいって言うか、何でも見透かしたような感じっていうか……」

「性分ですので」

 香はそう言い、その場に和やかな空気が漂った。


 瑞穂はドアの前で一度深呼吸した。

 まさかまたここに来る事になるとは思ってもいなかったが、一度決意した以上、引く事はできない。

 瑞穂はもう一度覚悟を決め、ドアをノックした。

「はい」

 中から声がする。瑞穂はドアを開けた。

「あら?」

 ドアを入ってすぐの横にある秘書席から、二ヶ月前にもいた大学生らしき女性……確か亜由美といったはず……が驚いたような表情をした。

「あなたは……」

「お久しぶりです」

 瑞穂は頭を下げる。

「榊原さん、この前の子が来ましたよ」

「ん?」

 奥の事務机で本を読んでいた男……榊原恵一は亜由美以上に驚いた表情で瑞穂を見ていた。ここは品川裏町の榊原探偵事務所である。

「君は……」

「この前はありがとうございました」

 瑞穂は再び頭を下げてそう挨拶する。

「どうしてまたここに?」

 榊原は当惑しながらも瑞穂にそう質問した。

「まずは、この間の事件のお礼に。あなたがいなかったら、私は死んでいたかもしれませんし」

「別に礼を言われる筋合いはない。私は、神崎さんからの依頼を遂行していただけだ」

 榊原はそう言って瑞穂の訪問の意図を読み取ろうとしているようだった。これに対し、瑞穂はしばらく黙った後、こう言った。

「言われてみれば確かに、私をこの事件に巻き込んだのって探偵さんの方でしたよね」

 榊原は思わず椅子からずり落ちそうになった。

「ど、どういう……」

「だって、探偵さんが入学式の校門前であんな事を言わなかったら、私はミス研に興味を持たなかったわけで……」

「あの忠告でミス研に入ろうとする方がよっぽどおかしいと思うが」

 榊原は不満そうに呟く。

「でも、探偵さんのおかげで助かったのは事実ですから」

「……まぁ、いい」

 榊原は極めて納得できないように言った。

「だが、それだけではないはずだ。その程度でわざわざこんなところまで来るとは思えない」

「……やっぱりわかっちゃいますか」

 瑞穂は改めて居住まいを正した。

「実は、お願いがあってきたんです」

「……依頼、という事かね?」

 榊原が不思議そうな表情をする。

「いいえ、依頼じゃなくてお願いです」

 瑞穂はそう訂正した。

「お願い?」

「はい」

 そこで、瑞穂は頭を下げ、こう言った。

「私を弟子入りさせてください!」


 事務所の時が一瞬止まった。

「あー、何だって?」

 さすがの榊原も、その突拍子もない発言にかなり混乱しているようだ。

「私を、探偵さんの弟子にしてください!」

 瑞穂はもう一度言う。

「君はふざけているのかね?」

 榊原はどう考えていいのかわからないという表情で言った。だが、瑞穂は真剣な表情で榊原を見る。

「ふざけてなんかいません。私は本気です」

 その表情を見て、榊原も居住まいを正した。

「……まぁ、理由を聞こうか」

「一蹴しないんですか?」

「私は真剣な顔の人間の言う事を最初から拒否するつもりはない。理由を聞いてから考える。それだけだ」

 榊原の言葉に、瑞穂は一瞬緊張したが、やがて話し始めた。

「私、今回の事件で本当に色々学びました。人間というのがどれだけ残酷になれるのかって事も、逆に人間がどれだけつながっているかって事も。いい事も悪い事も含めて、今まで私が知らなかったような事ばかりでした」

 榊原は黙って聞いている。

「でも、だからこそ不安になったんです。私は、今まで人間の表の部分しか見てこなかったんじゃないかって。人間の裏の部分を見過ごしていたんじゃないかって。実際、私は部長の悪意に最後まで気付く事ができなかったし、恩田先輩たちが敵を討とうと必死になっている事もわからなかった。ただ、表向きの平穏に満足して、表の部分しか見てこれなかった。そんな私に自分で怖くなったんです」

 瑞穂は続ける。

「だから、私はもっと色々な事について知りたいんです。いい事だけじゃない。人の悪い面も、裏の一面も、すべてをひっくるめてもっと知りたい。怖いかもしれないけど、そういう事から目をそらすのはもう嫌なんです。表だけでなく裏まで知って、初めて人間は判断できる。表部分だけ知っていても、表の部分の対応しかできない。いざ裏の一面が出た時、私はそれに対応できる自信がありません。でも、学校で教わるのは表のいい面ばかりで、人間の裏の一面は絶対に教えてくれない。それどころか、積極的に隠そうとする。私はもうそんなのは嫌です。私がまた世の中の裏の部分と接した時、今回みたいな事になってほしくない」

 瑞穂はどこか悔しそうに言うと、榊原を見据える。

「そして、この事務所なら……探偵さんならそういう裏の事実を正しい形で教えてくれると思うんです。だから、私はここに弟子入りしたい。興味本位と思われても仕方ないと思います。でも、私は本気です。世の中の事をもっと色々な側面から見て、自分で正しい判断ができるようにしたいんです」

 瑞穂はもう一度頭を下げた。

「お願いします!」

 榊原はしばらく黙ったまま、何かを考え込んでいた。しばらくそのまま時が過ぎる。

 やがて、榊原は口を開いた。

「私は、弟子は採らない主義だ」

 そう言って、そのまま本に目を戻した。瑞穂は頭を上げないまま、残念そうに唇を噛み締めた。

「そうですか……」

「ただし」

 と、榊原は本に目をやったままこう続けた。

「弟子は採らないが、勝手に事務所にやってきて話を聞く分には、私は特に意見を言うつもりはない」

 瑞穂は思わず頭を上げ、そしてその意味を考えた。そしてそれを理解し、思わず叫ぶ。

「探偵さん!」

「静かにしなさい」

 榊原はそう言いつつも、淡々と言った。

「断っておくが、私にくっつくという事は、色々普通じゃない事も経験するという事になる。それでもいいのかね?」

「覚悟しています。事件に向き合う以上、本気の覚悟を持て、でしたよね?」

 榊原はフッと笑った。

「とはいえ、さすがに君をこれ以上何かの事件に巻き込むつもりはない。基本的に話だけになってしまうが、それでも?」

「構いません」

 とりあえずは、この事務所に来る許可を得られただけでも充分であると、瑞穂は思った。瑞穂が周りに目をやると、秘書の女性が「よろしく」と軽く頭を下げているのが見えた。

「では、改めて深町君……」

「あ、ちょっといいですか?」

 瑞穂は遮ってこう言った。

「その深町君、っていうの、やめてもらえませんか? 何だか、堅苦しくて……」

「では、どう言えば?」

「瑞穂ちゃんでいいですよ」

 瑞穂はさらりと言う。逆に榊原の方が少し戸惑った。

「いいのかね? さすがに色々と呼びにくい部分が……」

「この際関係ないですって」

 瑞穂はにこやかに笑う。

「その代わり、私も探偵さんの事は『先生』って呼びます」

「先生……何かの罰ゲームかね?」

「いいから、いいから」

 榊原はしばらく逡巡していたが、軽く咳払いすると、姿勢を正して告げた。

「では、瑞穂ちゃん。改めて、私立探偵の榊原恵一という。今後とも、よろしく頼む」

 それに対し、瑞穂は元気に答えた。

「はい、よろしくお願いします、先生!」

 瑞穂の高校生活は、まだまだ始まったばかりである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ディテクティブ・ロジック~真の探偵 奥田光治 @3322233

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ