第四章 共同捜査

 事情聴取終了後、瑞穂たちは一度教室に帰るように通達された。瑞穂は、美穂と一緒に校舎の廊下を歩いていた。

「何だか、大変な事になってしまいましたね」

 美穂が小さな声で言う。

「ごめんね、私が文芸部を紹介したから……」

「ううん、それは感謝しています。それについては不可抗力ですから……」

 教室に着くと、外出を禁じられた生徒たちが自分勝手に話し合っていた。

「瑞穂、美穂! どうだった?」

 さつきが真っ先に駆け寄ってくる。

「ちょっと事情を聞かれただけ」

「そう、ならよかった……」

 さつきはホッとしたような表情をする。

「で、どんな状況なの? 犯人わかったの?」

「警察も苦戦してるみたい。私も全部の情報を知ってるわけじゃないけど」

 瑞穂はそう言って答えた。

「そっか」

「そっちはどんな感じ?」

「どうもこうも、刑事から一人一人呼ばれていくつか質問を受けてるところ。瑞穂たちほどじゃないけど、全員一応話を聞くって感じみたい」

「そうなんだ」

「でも、殺人事件か。信じられないなぁ。何か、こういうのってテレビの中だけの話かと思ってたから。本当はそんなわけないのにね」

 瑞穂もずっとそう思っていた。つい二ヶ月ほど前までは、であるが。

「でもさぁ、こういう時こそ、あの人の出番だと思うんだけどね」

「あの人って?」

「瑞穂の部の部長さんよ。『名探偵』って呼ばれてるんでしょ」

 確かに、野川のあだ名は「名探偵」で、実際に過去に殺人事件を解決したという話は聞いている。でも、かつて新歓の時に瑞穂が聞いたその殺人事件と比べてみても、今回の事件はまったく規模が違うものだった。それに、いくら「高校生探偵」ともてはやされようとも、彼が高校生である事に変わりはないのである。

 と、担任が部屋に入ってきて、教室が静かになる。

「えー、本日大変な事態がこの学校に持ち上がりまして、現在、警察による捜査が行われている段階です。事件の解決が見通せないため、当分の間、学校は休校処置をとる事になりました。従いまして、来週に予定されている文化祭については、部室棟が使用不可能である事も考慮し、残念ながら今年度は中止という処置をとる事に決定しました」

 何人かの生徒からは残念そうな声が出たが、さすがにやむなしと思っている生徒が多いからだろうか、瑞穂が想像していたほどの不満は出なかった。とはいえ、今まで準備してきた事がまったく無駄になるというのは、いささかショックではあった。

「警察の事情聴取を受けた生徒に関しては帰宅してもよいという許可が警察から下りました。事情聴取を終えた生徒は、速やかに帰宅してください」

 ただし、と言葉が続く。

「先程武道場に呼ばれた生徒に関しては、少し残っていてくださいとの事です。警察がまだ確認したい事があるそうです」

 その言葉に、何人かの生徒の視線が瑞穂や美穂に向く。その視線が「事件に関係してるのか」と言わんばかりで、瑞穂は針の筵の上に座っているような、何ともいえない嫌な気分を味わった。

「では、聴取の終わった人はすぐに帰宅を。表はマスコミで一杯ですので、裏門から出るようにしてください。それと、マスコミの取材には答えないように。これからの日程については連絡網で後ほど回しますので」

 それを合図に、ほとんどの生徒が立ち上がって部屋を出始めた。このクラスは割と早く事情聴取が終わっていたらしく、大半の生徒はすぐに部屋を出て行った。

 当然、武道場に呼ばれていた瑞穂や美穂は居残り組である。出て行く生徒たちが、相変わらず意味ありげな視線を瑞穂たちに向けていた。

 だが、そんな中、一人残っている生徒がいた。

「磯川さん、君も早く帰りなさい」

 磯川さつきは、さも当然といったような態度で平然と自分の席に座っていた。

「嫌です」

 さつきはきっぱりと告げる。担任は眉をひそめた。

「なぜですか? 君はもう聴取は終わっていたはずですが」

「友達を残して帰れません」

 さつきは担任を見据えながらしっかり言う。

「これは警察の要請です」

「友達の心配をして何が悪いんですか!」

 その態度に、担任は戸惑ったような表情をしている。

「さっき、先生が瑞穂たちに残るように言った時の、他の人たちの瑞穂と美穂を見る目、まるでお前らが犯人だって言ってるみたいな目だった。正直、ああ言うの腹が立つんです」

「ですが……」

「瑞穂と美穂の味方が一人ぐらい残っていてもいいじゃないですか!」

 さつきはてこでも動かないといった感じだった。担任は困ったような様子をする。

「ですが、これは……」

「構いませんよ」

 と、不意に入口から声がかかった。その場にいた全員がそちらを見ると、斎藤が立っていた。

「捜査責任者の斎藤です」

「よろしいんですか?」

「正直、こちらとしても色々と情報がほしいので、残ってもらえるなら助かるんです。個人的に残りたいというのなら構いませんよ。ただし、むやみにここを出ないようにという条件付ですが」

 担任は逡巡しているようだったが、

「まぁ、警察の方がそうおっしゃるなら」

 と、呟くように言って、「迷惑をかけないように」と、念押しした上で教室を出て行った。すでに、教室には瑞穂、美穂、さつきの三人しか残っていない。

「さてと、さっそくですが深町さん、君に聞きたい事がありまして」

「私、ですか?」

 瑞穂は戸惑った。

「ええ。話を総合してみた結果、君は事件前に事件関係者全員に会っている。したがって、君の話から総合的に事件を見る事ができるのではないかと判断しています。そこで、君には我々の捜査に協力をお願いしたい」

「協力、ですか?」

「ええ。それに、君は裏も含めてすべての事情を知っている。そのような点も含めてです」

 意味ありげな発言に、我を押し通してこの場に残ったさつきが戸惑った。

「え、どういう事、瑞穂?」

「……ごめん、今は言えない」

 瑞穂はそう言うしかなかった。裏の事情……それは一年前から立て続けに起きているミス研関連の三つの不審死についての事である。

「だけど、この事件が解決したら絶対に全部話す。それまで、待っててくれる?」

「……当たり前じゃない」

 さつきはわけがわからないままではあったが、そう断言した。

「それと、さつき」

「何?」

「さっきはありがとう」

 さつきは少しキョトンとしていたが、

「いいって」

 と、すぐに答えた。それを見ると、瑞穂は斎藤に続いて教室を出て行った。

「あの、いいですか?」

 残った美穂がさつきに恐る恐る話しかける。

「何?」

「さっき、磯川さんは私の事を、友達って……」

「そうよ。文句ある?」

 さつきは気さくに言った。

「いえ、その……」

「私ね、こう見えて小学生の頃にいじめられててさ」

 唐突にさつきは話し始める。

「その時、助けてくれた子がいたの。その子はクラスの中でも人気者……というより、みんなから頼りにされている子で、いじめられっ子だった私と友達になるって言ってくれたの。かかわったら自分もいじめられたかもしれないのに。で、いじめっ子を論破して、いじめを解決しちゃった。私、すごい感謝した。今の私がいるのもあの子のおかげ。だから、それから私も困ってる子がいると放っておけなくって。自分もああいう子になりたいなって思ってさ」

「……素敵な話ですね」

 美穂はそう言った。

「その人、今はどうされているんですか?」

「私と同じ中学に進学して、私はバスケ、あっちは剣道で大活躍したのよ。私は関東大会止まりだったけど、向こうは剣道の中体連で全国三連覇しちゃってさ。私を含めた彼女の親友全員で呆気にとられていた記憶がある」

「その人の名前は?」

「ええっとね」

 さつきは告げる。

「国松香さんって人」


「誰か噂でもしているのですかね」

 その国松香は、武道場の前で小さくくしゃみをしながら訝しげにあたりを見渡していた。あの後、警察から帰宅許可が出て、他の桜森学園剣道部の部員はすでに後片付けを始めている。だが、香は相変わらずの道着袴姿で、一向に帰宅準備をする気配がない。

「おーい、国松さん」

 桜森学園剣道部の部長が道場の中から呼びかける。すでに制服姿に戻っていた。

「俺たちはもう帰るけど、どうする?」

「私はもう少し残ります」

「そっか。じゃ、先帰るよ」

 部長はあっさり言うと、他の部員を引き連れて帰っていった。何でもあっさりとしている性格が部長らしかったが、本当にこれでいいのかと香も疑問に思ったりした。

 と、道場の中から別の人間が現れた。

「帰らなかったんですね、香君」

 国友である。後ろには圷も控えていた。

「どうも」

「来年で勝子君の十五回忌でしたね。月日が経つのは早いものです。当時の君はまだあどけない表情をしていましたね」

「それは、皮肉でしょうか?」

「いえいえ、立派になって感心しているんですよ」

 香は圷に視線を移す。

「久しぶりです」

「ああ」

 会話はそれだけだった。

「さて、どうして残ったんですか?」

 国友はそう言って問う。

「私の学友との約束を果たしていませんから」

「なるほど。わけがあるようですし、詳しくは聞きませんよ」

「ところで、状況がどうなっているかくらい教えてもらえませんか」

「そうですねぇ。早業同時殺人に密室殺人、といったところでしょうか」

 国友はさらりと言う。

「なるほど」

「これからどうするつもりですか?」

「約束を果たすだけです。この学校にいる、私の学友の親友の力になる。それだけです」

「それは、深町瑞穂という子ですか?」

 国友が尋ねる。

「さすがに事情聴取でわかりましたか」

「ええ」

「では、深町さんがどこにいるのかは?」

「……あの子は今回の事件のキーとなると見ています。今頃、捜査協力がなされていると思いますよ」

「捜査協力、ですか」

「平たく言えば、榊原君が話を聞きたいと言っていましてね」

 香は小さく笑った。

「それで充分です」

 そう言うと、香は校舎に向けて歩き始めた。

「ああ、そう言えば」

 と、そんな香に国友は声をかけた。

「その榊原君から君に伝言がありましたね」

「伝言?」

 香は振り向かないまま答える。

「ええ。本気で深町君の力になりたいなら、少しやってもらいたい事があるとか何とか」

 香は答えない。

「どうしますか?」

「……相変わらず、あの人は何でも見透かしますね」

 香は無表情のままゆっくり振り返った。

「何ですか? やってもらいたい事というのは」

 国友は微笑むと、その内容を告げた。


 瑞穂が通されたのは、校舎一階にある会議室だった。斎藤は瑞穂をこの部屋に入れると、そのまま出て行ってしまい、現在瑞穂一人が残っている状況である。

 そんな瑞穂ではあったが、懸命にここ二ヶ月ほどの間に起こった事や聞いた事を思い返していた。

 思えば、入学式の日に榊原から忠告を受けたのがすべての始まりだった。その忠告を無視する形でミス研に入り、その後そのミス研の活動で榊原と再会し、本物の殺人事件を解決する瞬間を目撃した。そしてミス研の黒い過去を聞かされる羽目になり、ついにはミス研内部で本当に四人の人間が殺されてしまった。

 いや、過去の事件も含めるなら……そしてそれが、榊原の言うようにすべて一連の殺人事件だとするなら、すでに岩坂竜也、生田徹平、神崎十三が死んでいるので、ミス研関連で合計七人もの死者が出ている事になる。榊原でなくとも、これが異常な事態であるという事は嫌でもわかる。

 そして、瑞穂はあろう事かその渦中に、それも中心的な部分に巻き込まれてしまっているようなのだ。ほとんど自ら首を突っ込む形でこの位置にいるような形になったとはいえ、もうそろそろ、覚悟を決めなければならないところまで来てしまったようである。

 このまま逃げ続けるわけにもいかない。瑞穂は自分がもう立派な事件の当事者の一人である事を改めて認識するに至った。曖昧な態度ではもう許されないのである。

「私も、ちゃんと向き合う覚悟を決めないと……」

 榊原が言うところの「事件に臨む覚悟」。瑞穂は、今改めて事件に真剣に向き合う事を決めた。

 と、その時会議室のドアが開いた。

「やぁ」

 その人物は、昨日とまったく同じ格好で部屋に入ってきた。瑞穂はその人物に呼びかける。

「やっぱり来ていたんですね、探偵さん」

 探偵……榊原恵一はドアを閉めると、そのまま瑞穂の正面に座った。

「今までどこにいたんですか?」

 瑞穂はさっそく榊原に質問する。

「その辺りを見て回っていた。こういう捜査は現場が基本でね。『現場百回』というのも、まんざら絵空事じゃない」

「何かわかったんですか?」

「まぁ、色々とね。それについては追々話す」

 一度会話が途切れる。

「それにしても、予想的中ですね。探偵さんが入学式の時に忠告したように、結局とんでもない事に巻き込まれました」

「あまり的中してほしくはなかったがね。それに、事態が予想以上に早く進んだ。規模も当初予想していたものよりかなり大きい。まさか、四人もの人間が一気に殺されるとは、さすがの私も予想し切れなかった」

 榊原は、少し悔やむような表情をした。

「それで、君はこれからどうするつもりだい?」

 と、不意に榊原は尋ねた。その顔は真剣である。これに対し、瑞穂も真剣な表情のままこう答えた。

「向き合います。この事件に対し正面から、逃げずに向き合います。だから、捜査に……探偵さんに協力させてください。そうでないと、多分、私一生後悔すると思う」

 瑞穂は頭を下げる。

「お願いします!」

 沈黙がその場を支配する。その言葉を、榊原は少し吟味していたが、おもむろにフッと笑った。

「なるほど。本物の覚悟ありというわけか。とはいえ、君の場合、この前の生命保険会社の事件からすでに覚悟らしいものはあったのだがね」

「え?」

「湯船鞠美と対峙する直前、パトカーの中に残るか否かの時に、私に反論していたはずだ。普通はあそこまでの啖呵は切れない。まぁ、だからこそ私はあの事件に君を同伴させたわけなのだがね」

 榊原はそう言った後、こう告げた。

「最初に言っておくが、警察にとって君は事件関係者……はっきり言えば容疑者の一人である事に変わりはない。私自身は現状では君は事件と関係ないと判断しているし、だからこそ昨日あんな事を頼んだわけだが、これからの捜査次第でそれもどう転ぶかわからない」

「……」

「それでも、私と捜査をするかね?」

「……はい」

 瑞穂は、もうてこでも動かないといった、何かを決意したような表情で答えた。

「……わかった。私も、そこまで覚悟を決めている人間の頼みを断るほど野暮ではない」

「じゃあ……」

「おそらく、この一連の事件を通じて君とかかわるのもこれが最後になる。しっかり見て、そして事件の本質を見定める事だ。それが、死んだ人間に対する一番の供養になる」

 榊原は、今度は「勝手にしろ」とは言わなかった。瑞穂が事件にかかわる事をはっきりと認めた。

「さて、そうと決まれば、さっそく事件の検討を始めよう。はっきり言うが、今回は時間がそれほどない。かかわる以上はすべてをぶつける事だ」

「……はい!」

 瑞穂はしっかりとした声で応じた。

「では、まずはこの事件のおさらいをしておこう。そもそもこの事件が起こる以前に、すでにミス研に絡んで三つの不審死が続いていた。新橋駅の岩坂竜也、黒部ダムの生田徹平、それに代々木公園の神崎十三。ミス研をめぐって何かが起こっているのは明白だった。そこで私は君にミス研の監視を依頼した。だが、事件は私の想像を超える速さで進行し、あろう事か四人の人間が同時に殺害されてしまった。これに関しては、私の認識が甘かったと言わざるを得ないが……」

 榊原は瑞穂を見据える。

「率直に言うが、私はこの七つの死はすべて同じ直線上に位置していると考えている。すべてに共通するのはミス研だ。従って犯人はミス研関係者、もしくはそれに近い人間と思われる。ゆえに、事情聴取で武道場に呼ばれた、君も含めた十人の人間に行方不明の肥田涼一を含めた十一名が最有力容疑者だ」

 瑞穂は、あの時武道場に集まったメンバーを思い返す。

「さて、調査を始める前に必要最低限の情報として、あの時の事情聴取でわかった情報を君に教えておこう。私自身、先程斎藤から聞いたばかりだがね」

 榊原はそう言うと、いくつもの情報……具体的には事件当時の各容疑者の動きや不審死した三人に対する認識、現場の情報の詳細などを一気に話した。

「これに加え、鑑識の捜査でいくつもわかっている事がある。まず、見つかった焼死体は横川のものであり、なおかつその遺体の頭部には打撲痕が確認された。ゆえに、横川は殴られて気絶し、生きながら燃やされたと現状では考えられている。つまり、横川もまた哀れな犠牲者の一人だったというわけだ」

 榊原の語るその事実に、瑞穂は震撼するしかなかった。

「でも、確かに横川先輩が花瓶を落とすのを見ましたけど……」

「だが、本人が直接投げるのを見たわけではない。違うかね?」

 瑞穂は思い返してみる。

「た、確かに。急に花瓶が落ちて、そばに横川先輩がいたから先輩が投げたのかと……」

「つまり、あれは気絶していた、もしくは後頭部への強打で体を動かせない状態の横川であり、花瓶を落としたのは真犯人だったという推論に行き着く。つまり、あれは横川に罪を着せるためのデモンストレーションだったというわけだ。そして、その後あの部屋に火をつけ、横川を自殺に見せかけて殺害したという事になる」

「ひどい……」

 瑞穂はそう呟いたが、不意に疑問に思っていた事をぶつけた。

「でも、どうして横川先輩が殺されないといけないんですか? 溝岸先輩と村林先輩は、事情聴取の話からミス研の裏に関する事にかかわっていたのはわかりましたけど、横川先輩はそんな事はありませんでしたよね?」

「いや、横川も裏にかかわっていた可能性が高い」

「どういう事ですか?」

「実は、今朝になって判明した事がある。代々木の神崎殺し……これは元々半年ほど前から同じ代々木公園で頻発していたホームレス狩りを模倣しているとされているのだが、この本家ホームレス狩りの主犯格が、どうも横川らしいという事がわかった」

「えっ?」

 思わぬ話に瑞穂は驚いた。

「つ、つまり、横川先輩はホームレス狩りの犯人だったというわけですか?」

「神崎殺しについての関与は不明だが、彼が神崎殺しの犯人が模倣したホームレス狩りに関与していたのは事実だ。目撃者もいる」

「そんな……」

 瑞穂の頭に横川の顔が浮かぶ。悪ぶってはいたが、まさか本当に犯罪めいた事をしていたとは驚きだった。

「そしてだ、もう一つ耳寄りな情報があった」

「何ですか?」

「一人が横川だと判明した事で、警察はさらに重点的な聞き込みを行った。その結果、複数名いたホームレス狩りの別の一人の身元が、ほんのついさっき判明したそうだ」

「誰なんですか?」

 瑞穂は息を呑んだ。

「何と、これが肥田涼一である可能性が高くなっている」

「え、えぇ!」

 瑞穂は思わず声を上げていた。

「肥田涼一って、野川先輩の活躍でこの学校を追い出された、元ミス研部長ですよね」

「追い出された後の彼の足取りは不明だったが、どうやら、横川と肥田がいまだにつながっていたというのが真相らしい」

「信じられません……」

「だが、ほぼ間違いなく事実だ。実は、ホームレス狩りの主犯格とわかった時点で横川について調べが入ったんだが、その捜査の際に横川が頻繁に誰かと会っていたという情報がいくつも寄せられた。で、各証言者の目撃情報を基に似顔絵を作成したところ、肥田涼一の名前が浮上した。そのため、肥田涼一に対しても本格的に調べが入っている」

「どうだったんですか?」

「肥田涼一は、ここを退学して不起訴処分になった後、家を追い出されて、一人暮らしをしながら塗装工場で働いていたようだ。彼が下宿していたアパートを先程警察が急襲したが、すでにもぬけの殻で、現在も行方はつかめていない」

 榊原はこう告げた。

「以上より、横川についても肥田や神崎絡みで何か殺される要因があったのではないかという予想がつく。唯一、朝桐英美だけは殺された理由ははっきりしないが、これについては今後の捜査待ちだ」

 二人はいったん息をつく。

「……あの、聞いてもいいですか?」

「何かね?」

「探偵さんは、犯人の目星はついているんですか?」

 単刀直入な質問だった。これに対し、榊原はこう答える。

「……いないといえば嘘になる」

 この答えには質問した瑞穂の方がびっくりした。

「いるんですか!」

「ただし、まだ完全に絞り込めているわけではない。それに、この予想はこの事件が起こる前、つまり三つの不審死の段階で立てたものだ。状況はすでに変化している」

 何より、と榊原は続けた。

「誰が犯人であれ、今回の事件のあの不可能状況を覆せない限り、完全に追い詰める事は不可能だ」

「不可能犯罪……」

 推理小説などでよく出てくる用語である。まさか、瑞穂も現実に起こるとは思ってもいなかった。

「横川の死が殺人だとするなら、合計四人の人間がまったく別々の場所でほぼ同時刻に同時に殺害されたという事になる。その時間差はあっても数分。普通に殺し回っても十分前後はかかるというのが鑑識の見解だ。まして、あの三つの部室棟は事実上の密室状態だった事が判明している」

 榊原は告げる。

「つまり、容疑者全員にアリバイがある状態で、密室状態の部室棟の中及びその周辺の別々の場所にいる四人の人間をほぼ同時に殺害する。こんな状況を完璧に説明できない限り、誰が犯人であろうと関係ないという事になってしまう」

「無茶苦茶ですね」

 改めて聞いて瑞穂はそう感想を漏らした。

「ああ、無茶苦茶だ。だが、実際に起こった以上、そこには何かトリックが仕組まれているはず」

「トリック……」

 それこそ推理小説にしか出てこない用語だ。

「この同時殺人のトリックを解く。それがこの事件を解決する絶対条件だ」

 榊原は鋭い目つきでそう告げた。

「で、でも、そんな事できるんですか。普通に殺し回っても十分はかかるんですよね。ただでさえ無理そうなのに、それを密室状況下で自分のアリバイを作りながらやる。とても現実的じゃないと思うんですけど」

「そこで、状況を整理してみよう」

 不意に、榊原はそう言った。

「四人が殺された状況は、正確には以下の通りだ。まず、村林慎也が一号館新聞部の窓の前で二階から花瓶を落とされて撲殺。横川卓治は一号館二階の美術部室で村林殺害の罪を着せられる形で自殺に見せかけて焼殺。なお、村林殺しより横川殺しの方が後だったのは目撃者の証言から確実で、なおかつこの二つの殺人は今言ったように多数の目撃者が存在する」

 榊原は検証を続ける。

「朝桐英美は二号館と三号館の間にある通路のほぼ中央で刺殺されている。凶器のナイフは彼女のそばに落ちていた。一方、溝岸幸は三号館二階のミス研部室で刺殺。両名とも、関係者の証言などから犯行時刻はわずか数分、それも一号館の火災発生前後だったのは確定している」

「こうして見ると、思った以上に場所がばらばらなんですね」

 瑞穂はそう感想を漏らした。

「これが、部室棟二階の見取り図だ」

 榊原はそう言って、アタッシュケースから一枚の書類を取り出した。

「これって、どうやって手に入れたんですか?」

「学校側と交渉してね」

 榊原はそれだけ言うと、見取り図に戻った。

「毎日通っていた君には改めて言う必要はないかもしれないが、見ての通り、この二階建ての部室棟は西から一号館、二号館、三号館の順に並列して、それぞれが南北に伸びている。各棟の間の幅はざっと三メートル。廊下側、つまり各棟の東側には窓が並んでいるが、その窓にはすべて鉄格子がはまっている。これに対し、各部室の窓、つまり各棟の西側の窓は特にそう言ったものはない。入口は北側に一箇所。非常階段が南側にあるが、老朽化のため立ち入りが禁止され、使用不可能。つまり、唯一の出入口はどの棟も一階北の出入口しかないわけだ」

 榊原は淡々と状況を説明していきながら部屋の並びを確認する。三つの部室棟の構造はほぼ同じで、それぞれの階の一番北に階段があり、その南隣に男女トイレがあって、そこからそれぞれ南に向かって九部屋が並んでいる。ただし、北から一部屋目はすべての棟で倉庫になっているので、実質的に部室が入っているのは北から二部屋目からの八部屋である。つまり一つの棟に一階八つ、最大十六の部室が入っているわけだ。

 問題となっている各棟二階の部屋の並びを確認してみると、一号館二階は北から順番に、倉庫、軽音部、写真部、科学部、美術部、吹奏楽部、茶道部、演劇部、文芸部。二号館二階は北から順番に、倉庫、剣道部、男子バスケ部、女子バスケ部、柔道部、水泳部、ハンドボール部、陸上部、卓球部。三号館二階は北から順番に、倉庫、オカルト研究会、ダンスサークル、缶蹴り部、ミステリー研究会、ゲーム研究会、アニソン同好会、神無月の会、戦国武将愛好会となっている。

「美術部の部室は一号館二階の北から数えて五部屋目。新聞部は美術部室の真下で、村林はその窓の前で殺されている。一方、ミス研部室は三号館二階の北から五部屋目。朝桐英美は、二号館と三号館の間、ちょうど水泳部と、えーと、この『缶蹴り部』なる部活の間辺りで殺されている」

 缶蹴り部という聞きなれない部活の名前に戸惑いながら榊原は言った。その気持ちは瑞穂にもわかる。というより、この部活が活動しているのを見た事など瑞穂には一度もない。果たして部員がいるのかどうかすら怪しい部活だ。

「……事件とは関係ないが、聞いてもいいかね?」

 不意に榊原が尋ねた。

「何ですか?」

「この、『神無月の会』というのはどんな部活なのかわかるかね?」

 瑞穂も考え込む。

「……すみません。私もどんな活動をしているのかよく知らないんです」

 榊原は少し気になると言わんばかりの表情をしたが、

「まぁ、いい。とにかく、この場所にいる人間を普通に殺し回ろうと思っても、仮に溝岸幸を始点とした場合、三号館二階で溝岸を殺し、すぐさま一階に駆け下りて朝桐を殺害し、その後一号館まで走って二階の美術部室にいる横川を殴りつけ、気絶した彼を机にでも座らせて窓から見えるようにし、村林がいるのを見計らって花瓶を落とした上に、部屋に火をつけて一号館から脱出する、という一連の作業が必要になる。それも、誰にも目撃されずにだ」

「これだけでも充分不可能犯罪に思えるんですけど」

 瑞穂は感想を漏らす。

「今、鑑識が三号館の方の捜査を重点的にやっている。そのデータがあれば……」

 と、その言葉を見計らったように、会議室のドアが開いた。

「よう、待たせたか」

 圷がそう言いながら入ってくる。

「紹介しておこう。圷守警部。警視庁刑事部鑑識課係長。こう見えて、私とは同年代でね」

「失敬なやつだ」

 圷はそう言ったが、どう見ても二十代にしか見えない外見と、それに似合わない口調に、瑞穂は戸惑いを隠せないでいた。

「で、何かわかったか?」

「ま、色々とな。斎藤から、聞かせるように頼まれてる」

 圷はそう言って、結果を告げる。

「まず、朝桐英美の方だが、死因は胸を刺された事による出血と見て間違いあるまい。ほぼ即死だ。近くに落ちていたナイフと傷跡も一致した。おまけに、このナイフには朝桐と溝岸両名の血液が付着していた。二人を殺害した凶器はこのナイフで間違いない」

「ナイフに痕跡は?」

「ついていない。指紋一つなかった。だが、ふき取られた形跡もなかったから、おそらく最初から手袋か何かをしていたと考えられている」

「足跡は出なかったのか?」

 各棟の間の通路は土の地面である。ゆえに、そういった痕跡も期待できる。が、圷は首を振った。

「何しろここは学校だ。いくつもの靴跡があって判別がつかない」

「気になる事は?」

「一つだけ」

 圷はジッと榊原を見つめた。

「ナイフの入射角度がおかしい」

「入射角度?」

 瑞穂が首をひねった。圷が解説する。

「つまり、ナイフがどの角度から刺さっているかって事だ。傷を見れば大体はわかるし、そこから犯人の利き手や身長も割り出せる」

「それで?」

 榊原が先を促した。

「傷を見る限り、ナイフは彼女の心臓めがけて斜め上から刺さっている。角度については誤差があるが、大体地面に対して六十度前後の高さからナイフは振り下ろされていたと思ってくれればいい。そこから割り出される犯人の身長だが、驚くべき事に一八〇センチから二メートルとなった」

「え?」

 瑞穂は少し驚いた。

「本当なんですか、それ?」

「簡単な三平方の定理だ。被害者の身長が一六〇センチ前後で、四捨五入して一六〇センチとすると、入射角度が六十度である以上、有名な三角定規の比率が使用できる。一つの角度が六十度の直角三角形の斜辺と一番短い辺の比率が二対一になるあれだ。仮に犯人が被害者から二十センチ離れた場所でナイフを振り下ろしたとすれば、斜辺に当たる部分は四十センチ。残る一辺、つまり被害者と犯人の身長差が一番短い辺のルート三倍になるから、ま、大体被害者と加害者には三十四センチの差があったわけだ。ゆえに、犯人の身長は被害者の身長一六〇センチに三十四センチをプラスして一九四センチ。無論、誤差はあるだろが、それを含めても一八〇センチ以上から二メートルの間と断定できる」

 突然いくつもの計算式を話されて瑞穂は一瞬混乱したが、少し整理して考えてみると、やっている事は中学校の最後でやった三平方の定理そのままで、特別難しい事をしているわけではない。瑞穂は圷の手際に感心しつつ、「日常生活で果たして使うのか」と思っていた数学知識を使う機会が本当にあるのだなぁなどと少し感心したりした。

「犯人と被害者の距離が二十センチというのは間違いないか?」

「あくまで推測だが、人が人を刺すのに一番適当な距離だ。誤差があってもプラスマイナス五センチ。それ以上近すぎると密着しすぎて逆にやりにくくなるし、離れすぎると今度は逆に力が伝わらなくなる。この辺りが妥当だろうな。ちなみに、身長がそれ以下となると、犯人は被害者に対して少し飛び掛る形でナイフを刺した事になる」

「圷さんの見解は?」

「実際にその身長の人間が刺したか、今言ったように飛び掛って刺したか、あるいは上からナイフを落としたか、だな。だが、三番目はまずありえんと思う。単に投げたにしては傷が深すぎる。あれは直接刺した傷だ」

 圷は断言した。残念ながら、それだけの身長の人間は十人の容疑者の中にはいない。

「ざっとそんなところか」

「では、溝岸幸の方は?」

「彼女は窓の近くの机にもたれかかる形で事切れていた。死因は胸の刺傷。こちらも即死に近い。悲鳴を上げる暇すらなかったと思う」

「現場に痕跡は?」

「何もなかった。徹底的に調べたが、部員以外の指紋は見つかっていない。それどころか、室内に争った形跡すらなかった」

 瑞穂は顔を曇らせる。それは、犯人がその場にいてもおかしくない人間……つまりミス研の人間だった事を示しているとも取れるからだ。

「刺傷についての見解は?」

「こっちは床に対してほぼ水平に刺さっている。一般的な刺し方に近い」

「他に手がかりは?」

「実は一つある」

 圷はニヤリと笑うと、ビニールに入った携帯電話を取り出した。その携帯に瑞穂は見覚えがあった。

「これは、現場から発見された被害者・溝岸幸の携帯電話だ。この携帯電話の履歴を調べたところ、今日に関しては一件、リダイヤルが確認された」

「誰だ?」

 圷はビニール越しに携帯を操作し、画面を見せた。

「午後二時過ぎ。溝岸はこいつに電話をかけている」

 その画面には『野川有宏』と大きく書かれていた。

「……野川君に話を聞きたいな」

「そう思って、斎藤さんがすでに呼びに行っている」

 そう言ってから、圷はこう付け加えた。

「それに、当の野川自身もお前に何かを話したい様子だそうだ」


「確かに僕は午後二時頃に彼女から電話を受けています」

 野川は自分の携帯の着信履歴を示しながら言った。会議室に呼ばれた野川は、その場に瑞穂がいた事に少し驚いてはいたようだが、榊原がいる事には特に疑問を持っていないようだった。

「それにしても、まさかあなたがこの事件を調べていたとは、少し驚きです」

「まぁ、色々あって、警察から要請を受けた。最近はこういう仕事が多いのだがね」

「でも、確かそういうのは……」

「ああ、非公式だし、基本的に報酬はない。形式的にはただのボランティアに近い」

 榊原は軽く雑談した上で本題に入った。

「この電話の内容を教えてほしい」

「それは、あなたにも予想がついているんじゃないですか?」

 野川はそう発言した。

「……どういう事だね?」

「いえ、僕としては、あなたがどんな考えを持っているのか、少し興味がありまして」

 野川はそのように言った。榊原は少し考えていたが、やがてこう言った。

「まぁ、いいだろう。単刀直入に言うが、君は溝岸幸と組んで何かを調べていたのではないかね?」

 ズバリ切り込まれ、野川の動きが止まる。

「……どうしてそう思うんですか?」

「単純な話でね。私でも不審に思ったんだ。一件だけとはいえ殺人事件を解決した事があり、高校生探偵とまで呼ばれている君が自分の所属するミス研関連で多発している連続不審死を見逃すとは思えない。表向きにはともかく、裏では独自で調べていたのではないかと予想したのだが、どうかね?」

 野川は押し黙った。

「深町君の話では、溝岸幸は岩坂の事件に関して何かを調べていたと考えられている。その溝岸幸と高校生探偵と称されている君がつながっていたと仮定すると、君自身もこれらの事件を裏で調べていて、同じく何らかの目的で岩坂の死を調べていた溝岸幸と情報を共有していたのではないか。私はそう推測した。違うかね?」

 瑞穂は驚いた様子で野川を見た。確かに、野川がこれだけ不審な出来事に気が付いていないわけがない。にもかかわらず表向き何もしていなかったという事は、裏で何かを調べていた。そう判断できるのではないだろうか。

 野川は黙ったまま榊原を見つめている。まるで、どこまでわかっているのか確かめるように。

「ところで一つ聞きたい」

「何でしょうか?」

「溝岸幸とは何者だ?」

 榊原は唐突に聞いた。

「深町君の話だと、彼女は去年の二学期からこの学校に転入している。岩坂の死の数ヶ月後だ。その溝岸が岩坂を調べていたとなると、少し気になる」

「なぜ僕に聞くんですか?」

「さっきも言ったように、君は溝岸君と組んで今までミス研で起こった事件を調べていたと思われる。となると、溝岸と岩坂の関係も知っているのではないかと思ってね」

 野川はしばらく沈黙を続けていたが、やがて決意したようにこう言った。

「わかりました。この際ですから正直に話しましょう」

 瑞穂は息を呑んだ。

「という事は、私の推測は正しかったというわけか?」

「はい。正直、当たりすぎて恐ろしく思いましたよ」

 野川はいつもと違って真剣な表情で榊原を見ながら言葉を続けていく。

「いつからだね?」

「彼女が転入してきた後からです。正直、さすがに卒業生の岩坂先輩の死に関しては、僕としても特に不審だとは思っていませんでした。当時はまだ被害者が一人でしたし」

「だろうね」

 榊原は同調する。

「彼女が転校してきてから一ヶ月……いや、二ヶ月ほど経った頃だったかもしれません。彼女から僕に調査に協力してくれるように接触を図ってきたんです」

「内容は?」

「岩坂先輩の死の原因がこの部活の中にあるようだ。一緒に調べてくれないか、と」

「二ヶ月のブランクの意味は?」

「僕の事を調べていたみたいです。信用できるか否か。僕も関係者の一人には変わりありませんから」

 野川は苦笑する。

「では、本題だ。さっきも聞いたが、溝岸幸の正体は?」

「……妹ですよ」

 不意に野川はそう言った。

「妹?」

「ええ。彼女、岩坂先輩の実の妹なんだそうです」

 その言葉に、瑞穂はショックを受けた。

「い、妹? 岩坂竜也のですか?」

「ああ。苗字が違うのは、両親が幼い頃に離婚して、妹が母親方に引き取られたからだとか言っていた」

 瑞穂は慌てて思い出してみた。言われてみれば、昨日の居酒屋での話で、岩坂の経歴の中にそんな情報が入っていたような気がする。確か父親が家裁調査官で、岩坂自身はそちらに引き取られ、離婚した母親の方に妹が引き取られたと。

 瑞穂は思わず榊原を見たが、こちらはあまり驚いてはいないようで、表情に変化はない。

「探偵さん、知っていたんですか?」

「いや。ただ、該当者が他にいないから、何となく予想はしていた」

 という事は、この探偵は昨日の莫大な情報をすべていつでも引き出せる状態にあるという事ではないか。

「彼女の母親は娘の事にほとんど関心がないらしくて、転入にもほとんど口を挟まなかったとか。転入の目的は、兄である岩坂先輩の死の秘密を探るため。どうも両親が離婚してからも、二人はよく会っていたようです」

「それで、君たちは岩坂の死について調べ始めた、と」

「表立って調べるわけにはいきませんからね。あくまで裏からです。とはいえ、僕は部長という役職柄目立つ事が多いので、実際に調べるのは彼女で、僕は推理専門でしたけど」

 野川は実情を明かす。探偵活動をしていないなんてとんでもない。これが事実なら、彼は榊原以前からこの一件を調べていたという事になる。

「……生田徹平については?」

「彼は溝岸君や僕とは別に、個人的に岩坂先輩の死を調べていたようです。溝岸君の調査でそれがわかりました。ただし彼は誰も信用せず、一人でひたすら調べていましたから、あえてこちらから接触はしませんでしたけど」

 そこで榊原は一瞬黙ると、

「……横川の事については気がついていたのかね?」

 と、いきなり尋ねた。野川は一瞬呆気に取られていたが、

「……横川君の事というと?」

「今さらとぼけなくとも結構。横川が君の糾弾した肥田と組んでホームレス狩りのような事をしていたという話だ」

 ような事、ではなくホームレス狩りそのものなのだが、榊原はあえてぼかした。野川は一瞬口をつぐんだが、ため息をつきつつ答える。

「そうですか、もうそこまでわかっていたんですか」

「やはり知っていたのか」

「肥田先輩と組んでいたというのは初耳ですけど、彼が何かよからぬ事をやっているというのは薄々感じていました」

「いつからだ?」

「生田が黒部ダムで死んだすぐ後くらいですか。正直、生田君が死ぬまで、僕の心の中ではどこか半信半疑な部分があったのは否めません。でも、あの事件で遅まきながら気付いたんです。これは何かおかしいと。正直、悔やみますよ」

 野川はさらに続ける。

「生田君が岩坂先輩の事を調べていたのは知っていましたから、それ絡みで死んだのではないかという事は容易に想像がつきました。溝岸君も同じ考えです。それから、僕自身も本格的に腰を入れて調べる事にしたんですが、その時に横川君が何かやっているのではないかという疑惑が浮かんだんです。まだ核心までには至っていませんでしたけど」

 つまり、当時の部室では、表向き友好関係を築きながら、裏では何人もの人間が様々な思惑の元で動いていたという事になる。瑞穂にとっては、それはある意味とても怖い事のように感じられた。

「今回の事件についてどう思う?」

「正直、来るものが来てしまったかって感じです。生田君が死んだ事で、よりいっそう慎重な調査が求められましたが、溝岸君は逆に焦って……。それに、こんな表向きだけの異常な状況がいつまでも続くわけがない。必ず、どこかでこれは破綻すると思っていました。だから、破綻する前に何とか解決しようと、僕も手を尽くそうとしたんです」

 野川はジッと榊原を見る。

「例えば、部活のイベント名目で優秀な探偵にミス研について興味を持ってもらおうとか」

 瑞穂はアッと声を上げた。

「あれって、そういう目的があったんですか!」

「黙っていてすまなかったね」

 野川は瑞穂に頭を下げた。

「ミス研のこの不審な状況に気が付いてくれれば、優秀な探偵なら探りを入れるでしょう。そしたら、もっと色々な情報が飛び込んでくるかもしれないし、犯人としてもうかつに手が出せなくなる。事件に巻き込む形になりますけど、ある意味一つの策でした」

「私を利用したという事か?」

「実際、あなたはここにいる」

 榊原は答えない。実際は、彼が事務所を訪れる以前から神崎の依頼でこの事件を調べていたはずだが、野川に言うつもりはないらしい。

「では、あの推理勝負の意味は?」

「噂はともかく、あなたの実力を測ってみたかったんですよ。結局、その前に題材とした事件が解決してしまって空振りになりましたけど、賭ける価値はあると思いました」

「……それで、こいつを私に寄こしたわけか」

 榊原は懐から昨日瑞穂が渡した文化祭への招待状を取り出して、机の上に置いた。

「こういう事を何度か繰り返せば、いくらあなたでも興味を持つと思いました。まぁ、結局事件が先に起きて無駄になってしまいましたけど」

 榊原は黙ったままだ。

「……正直なところ、こんなに早く事態が急変するなんて、まして四人もの人間が一気に死ぬなんて、さすがに僕の予想の範疇を超えていました」

「その点に関しては私も同感でね。まったく、悔やんでも悔やみきれない」

 榊原は苦々しい表情で口を開いた。

「だから、僕はこの事件を解決したいんです。探偵としてだけじゃない。死んでしまった仲間たちのためにも、そしてずっと一緒に調べてきた溝岸君のためにもです」

「……」

「そこで提案なんですが」

 野川は意を決したように告げた。

「僕も捜査に同行して構わないでしょうか?」

「というと?」

「僕としては、この事件は一刻も早く解決したい。それはあなたも一緒でしょう。目的は一緒。でも、人である以上は考えにどうしても齟齬が生じてしまう」

 野川は榊原をジッと見つめた。

「だから、互いに捜査してみて、実際に意見をぶつけ合う。そして、真相に行き着くようにする。どうでしょうか?」

「……推理勝負という事かね?」

 榊原が眉をひそめる。これに対し、野川はこう答えた。

「いいえ。仲間の敵討ちです。そのためにも、僕はミスをするわけにはいかない。だからこそ、互いの意見をぶつけ合って、ミスをなくして真相にたどり着きたいんです」

 榊原は腕を組んで黙ったままだ。

「お願いします!」

 さっき瑞穂が言ったのと同じように、野川も頭を下げた。瑞穂は、榊原がこれを断るのではないかとハラハラしていた。何しろ、推理勝負を回避するために一晩で事件を解決してしまった男である。こういう事は嫌いのはずである。

 だが、榊原は腕を解くと、ポツリとこう言った。

「……いいだろう」

 その言葉に、野川はもちろん、瑞穂も驚いた様子で榊原を見た。表情は険しく、冗談を言ったようには見えない。

「では、この後一通り現場を見て、その後関係者の前で意見交換をする。この形でどうだね」

「ありがとうございます」

 野川は再び頭を下げた。しかし、その顔に笑みはない。

「交渉成立だ」

 榊原は険しい表情のまま立ち上がる。

「あくまで我々は一般人だ。現場に入るのには刑事の許可がいる。君は先に行っておきなさい。私は、刑事の許可を取ってからいく」

「わかりました。では、お先に」

 そう言うと、野川は出て行った。

「あの、探偵さん……」

 瑞穂は思わず榊原に呼びかけていた。

「何だね?」

「いいんですか? 確か推理勝負は嫌いだって……」

「ああ、その事か」

 瑞穂の疑問に対し、榊原はこう答えた。

「ここで彼と言い争っても時間の無駄になるだけだ。それに……」

「それに?」

 榊原は相変わらず表情を変えずにこう告げる。

「私だって推理勝負をする時くらいある。時と場合によっては、だが」

 そう答えると、榊原はアタッシュケースを持って部屋から出て行く。瑞穂は榊原の言った言葉の意味を考えながら、慌てて榊原の後を追った。


 同時刻。校舎のある教室に、その生徒はただ一人座っていた。

 他には誰もいない。事情聴取が終わって帰ってしまったようだ。その生徒は、居残りを命じられている。事件に近いポジションにいたため、やむなしという気持ちが大きかった。

 その生徒は目を閉じ、何かを考えているかのごとく微動だにしなかった。徐々に傾き始めている日の光が教室に差し込む。

 と、急に教室のドアが開いた。その生徒は目を開ける。

「どうも」

 ドアの前にいたのは、なぜか道着袴姿の少女だった。その生徒は彼女を知っていた。確か、さっき事情聴取を受けた武道場にいた他校の剣道部員のはずだ。

「あなたとお話したい事がありまして」

 彼女はそう言うと、冷静な表情のまま、その生徒の前の椅子に腰掛けた。

「私の学友の親友……転じて、私の友人のためです。お願いできますか?」

 彼女の言葉に、その生徒は彼女をジッと見つめた後、小さく頷いた。

「……いいでしょう。あなたなら信用できるかもしれない」

 その生徒の言葉に、香も小さく頷いた。


 午後四時半。榊原、瑞穂、野川の三人は、現場となった部室棟の前にいた。背後には、斎藤、新庄の二人の刑事がついている。なお、ここに来るまでに現時点の捜査で判明している必要最低限の情報と、横川の死が殺人かもしれないという部分だけは野川にも話してあった。

「そうだったんですか。僕も、何かおかしいとは思っていたんですけど……」

 野川は少々表情を暗くしながら言う。何かよからぬ事をしているのではないかと疑っていたとはいえ、やはり三年間一緒にいた人間が殺されたというのはかなり堪えるのだろう。

 捜査に入る前に、榊原がこんな事を言った。

「一緒に回るのも効率が悪い。どうだろう、君は三号館、私と深町君が一号館から始めて、捜査が済み次第隣の棟に移動していくという形で構わないかね。別々に捜査すれば、別の手がかりが見つかるかもしれない」

 榊原の提案を野川はしばらく考えていたが、やがて頷いて了承した。

「いいですよ」

「では、野川君には新庄、私たちには斎藤が同伴する。現場を荒らさないように」

「わかっています。では」

 そう言うと、野川と新庄は三号館に向かっていった。

「では、行きますか」

 斎藤が告げ、榊原と瑞穂は手袋をして一号館に入る。一号館は、まだ消防の水が乾ききっておらず、どこかジメジメとした感覚だった。

「遺体は?」

「すでにすべての遺体が搬送されています」

 榊原の問いに、斎藤は答えた。榊原は黙って二階への階段を上っていく。瑞穂も恐る恐る後に続いた。

 二階に着くと、黒こげた壁や部屋が目に入ってきた。傾きかけた日の光が何ともいえないコントラストを演出しているが、榊原は臆する事なくそちらへ向かった。足を踏み出すごとに床に散らばったこげた破片などを踏みつける音がする。

「倉庫、軽音部、写真部……」

 順番に部屋を確認していく。

「科学部」

 美術部室の隣に位置する科学部の部室は、事実上の半焼の憂き目に遭っていた。ただでさえ燃えやすい化学薬品などが保管されている事もあり、部屋そのものは半焼だが、中を見るとほとんど全焼に近い被害を受けている。逆にこの程度の被害で済んだのは、天井のスプリンクラーが正常に作動したためだ。

「ふむ」

 榊原は手袋をした手で、廊下側の窓にはめられた鉄格子を触った。火災で焼け焦げているとはいえ、この鉄格子はびくともする様子がなく、その隙間は手が何とか出し入れできる程度だ。

「廊下はざっと長さ三十メートル弱、幅二メートル前後。という事は教室一つにつき幅が三メートル、奥行きはざっと五メートル」

 急に榊原は各データを確認し、手持ちの見取り図に書き込み始めた。

「あの、それが何か役に立つんですか?」

「いや、この前も言ったかもしれないが、必要な情報は何であれ入手しておくのが私の手法でね。実際に確認してみると、色々違う事もあるかもしれない」

 榊原は書き込みながらそう答えた。それから改めて、問題の美術部室の前を調べる。

「このドアは内開きか」

 榊原がほとんど燃えカスになったドアを見ながら呟く。まぁ、外開きなら廊下が邪魔になるから当然といえば当然だと、瑞穂は思った。

「ドアの大きさはざっと縦二メートル、横一メートル。ドアノブ式で、話によると鍵は故障中。ちょうど頭の高さのあたりにガラスがはめ込んであったらしいが、他の部室のドアを見るにこれはおそらくすりガラスだな」

 一つ一つ確認していくように榊原は丹念に調べていく。その後、榊原は実際にドアを閉めてみた。ガタガタと音をたてながらではあったが、何とかドアが閉まる。しかし、火災の熱でドアは歪み、あちこち隙間だらけだった。

「ふむ」

 そう頷きながら、再び苦労してドアを開ける。そして改めて部屋を見渡した。燃えずに残っているのは机や椅子の骨組みだけだが、それらがあちこちに分散している。

「確か、出火地点はこのドアの辺りだったな」

「ええ」

 斎藤の言葉に榊原は頷くと、ドアのすぐ横にあった机の残骸に目をやった。

「斎藤、現場は鎮火当時のままか?」

「いえ、ドアの前にあって邪魔な残骸は強引にドアを押してどかしましたが」

 斎藤が、ドアのすぐそばにある机の残骸を見ながら言う。

「つまり、火災当時、このドアは閉まっていた?」

「閉まっていたというか、半開きですね。火事でドアが歪んで隙間ができて開いたと思われますが」

「なるほどね」

 斎藤は満足そうに頷くと、そのまま窓の方に近づく。途中には人型にかたどられたテープが張られている。横川の遺体が発見された場所だ。だが、榊原はそれには目もくれずに、窓際に歩み寄った。

「ここに花瓶が置かれていたわけだ」

 いまや真っ黒になっている窓際のスペースを指差しながら榊原は言う。

「深町君、間違いなく花瓶はここに?」

「はい」

「となると、横川がいたのはこの辺りか」

 見てみると、そこにも机の残骸がある。気絶した横川がこの机に座らされていたと見て間違いあるまい。

「何かありますか?」

 斎藤が問いかけるが、榊原はしばらく何かを探すように窓際周辺をジッと観察していた。が、急にある一点で視線が止まった。

「これは……」

 榊原が指差す。斎藤と瑞穂が近づいて見てみると、二センチほどの何か細いものがあった。ほとんど燃えカスといってもいい。

「何ですか、これ?」

「画材なんかを包む際に使う紐だ。ほとんど燃えてしまっているが」

 榊原はそう言った。

「紐、ですか?」

「回収してくれ」

 榊原はそのようにコメントし、そのまま部屋を出る。

「もういいんですか?」

「ああ」

 榊原はそう言うと、さらに奥へ進んでいく。隣、つまり六部屋目の吹奏楽部室も半焼の憂き目にあっていた。そこから順に、茶道部、演劇部、文芸部と続き、美穂が叩き壊した非常階段の出口が確認できた。

「叩き壊したという事は、当然それまでここには南京錠がしっかりかかっていたわけだ」

 見ると、床に叩き壊された南京錠や捨てられた金槌が落ちている。

「どうやら、相当慌てて脱出したらしい」

 そう言うと、そのままドアを開ける。ドアの外は、今にも崩れそうなほど錆び付いた非常階段があった。

「非常事態とはいえ、よくこんな階段を駆け下りられたものだ」

 榊原はそんな感想を漏らす。

「下りられますか」

「私はごめんだ」

 瑞穂の問いに、榊原は首を振ってドアを閉めた。そのまま、今来た道を引き返す。そして、階段のところまで来て立ち止まった。

「この階段、上まで続いているようだが」

 榊原が上を見る。

「それは、屋上への階段です」

「屋上?」

「生徒の立ち入りは禁止されていますけど。確か、屋上に出るドアには南京錠がかかっていたはずです」

 榊原はしばし考え込んだ後、階段を上った。踊り場を過ぎると、唐突にドアが現れる。が、ドアには南京錠つきの鎖が巻かれ、しかもかなり埃が積もっている。

「これは、大分長い間誰も来なかったようだな」

 榊原は呟き、一応開かない事を確認すると、そのまま一階に下りた。

「二号館に行ってみるか」

 その言葉で、三人は二号館に移動する。この棟では直接的に事件は起こっていないが、関係者三名がいた場所である。

「確か、顧問の竹刀を探していたんだったな」

「結局、見つからなかったみたいですけど」

 瑞穂が思い出しながら榊原の言葉に応じる。

「ええっと、一階の倉庫と二階の倉庫、それに剣道部室か」

 一応、両方の倉庫を確認したが、何やら乱雑に多種多様なものが詰め込まれていて、一目見て榊原も捜索意欲が失せたようだ。

「やめとこう。私が手を出したらますますひどい事になりそうだ」

「運動部の人たちが何でもかんでも放り込んでいますから」

 剣道部室は二階の二番目の部屋、つまり倉庫のすぐ横にあった。開けてみると鍵は開きっぱなしで、中から剣道独特の臭いが漂ってくる。

「ふむ。竹刀に防具に木刀に……後は干しっぱなしの道着袴。汗臭いわけだ」

「探偵さんは平気なんですか?」

「刑事時代に剣道をやっていたから、もう慣れた」

「ちなみに何段ですか?」

「あまり言いたくないな」

 榊原はそう言って、ピシャリとドアを閉めた。

 その後、各部室を回ってみたが、驚いた事にほとんどの部室の鍵がかかっていない。

「無用心と言うのか何と言うのか……」

「運動部にとって、部室は単なる倉庫代わりみたいですから。更衣室は各活動場所に別にありますし。だから貴重品があるわけでもないので、活動中は備品取り出しのために開けっ放しの事が多いんです」

 瑞穂が解説する。

「事件後、立ち入りを許可していないので、開けっ放しになっているのかと」

 斎藤も注釈を加える。

「何ともね」

 さらに驚いた事に、室内に何もない部屋すら存在した。二階でいえば五部屋目の柔道部と六部屋目の水泳部、一階では四部屋目の野球部である。しかも、これらの部屋でさえ鍵がかかっていない。

 榊原が理由を聞くと、瑞穂はこう答えた。

「ええっと、確か柔道部は部員ゼロで活動休止状態。水泳部はそもそもうちの高校にはプールがないので近所の市民水泳場を借りていたんですけど、その水泳場が潰れて連座的に活動休止」

「野球部は?」

「いちいち室内に取りに来るのが面倒だという事で、武道場横にある大きな物置を使っています。だから、部室棟はほとんど使っていないんだとか」

「だったら、鍵くらいかけておくべきだとは思うが」

「何もないんだったらそもそも誰も入らないだろうって」

「大雑把過ぎる……」

 榊原はため息をついた。

 一応、一号館と同様に屋上も確認したが、こちらもドアに南京錠がかかっていて立ち入り不可能だった。二階突き当たりの非常階段もちゃんと南京錠で封鎖されていた。

 外に出ると、ちょうど野川が入ってくるところだった。

「そちらはどうですか?」

「まぁ、それなりには」

 野川の問いに、榊原は曖昧な答え方をする。それだけの受け答えをしただけで、二人はさっさと捜査に戻ってしまった。

 榊原は続いて三号館に向かった。

「確か、この棟は同好会が多かったね」

 一階を見てみると、二号館とは対照的に大半の部が鍵を閉めていて立ち入りができなかった。

「この棟の同好会はほとんど文化祭で発表するので、校舎の割り当て教室の準備に行っていたみたいですね」

「運動部と違って、ここがホームベースだから貴重品もある、か」

 榊原が一つ一つ確認していく。

「にしても、この『ロビ会』と言うのは何だ?」

 一階の突き当たり、九部屋目のプレートを見て、榊原は首をかしげた。よく見ると、ドアのところに張り紙がしてある。

『「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクと言う大河の河口近くの無人島で二十八年間もたった一人で暮らし、最終的には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述」を愛する読書愛好会』略して『ロビ会』」

 瑞穂はガクッと来た。新歓の時に見たやたらと長い名前の部活である。本人たちも長すぎで困ったらしく、ちゃっかり短縮していた。

「まぁ、いろんな部活があるという事はわかった」

 榊原は小さくため息をつくと、二階に上がる。手前から部屋を確認していき、そのままミス研部室の前に立った。

「さて、何が出るか」

 榊原は部屋に入る。瑞穂にとって見知った部屋であるが、いつもと違ってそこに人の声はない。何かわびしい気持ちが瑞穂の中に生まれた。

「遺体は……あそこだったな」

 榊原は遺体がもたれかかっていた机の辺りに歩いていく。ちょうど窓の近くで、窓は事件当時のまま開きっ放しになっていた。とはいえ、窓の外には二号館の建物があり、その上から西日が少し差し込む程度で、お世辞にも日当たりがいいとまでは言いがたい。

「なぜ窓が開いていたんだね?」

 榊原が尋ねる。

「飾り付けでシンナー臭くなったって溝岸先輩は言っていました」

「ほう」

 榊原は何か納得したかのように呟くと窓に近づく。

「犯人は窓から逃げたと考えられていたな」

 そう言って、もう一度窓際をよく調べる。

「……ああ、ここに」

 榊原は何かを指差した。見ると、かすかではあるが窓枠に血痕らしきものが見える。

「何かをこすったような痕だな」

 榊原は自問自答し、瑞穂が自分の考えを示す。

「つまり、犯人が窓に対し何らかのアクションをしたって事ですか」

「おそらくはね」

 それからしばらく、榊原は部屋を調べている様子だったが、それ以上特に収穫はなかったらしく、首を振った。

 そのまま部屋を出て、残りの部屋を確認していく。榊原は「神無月の会」が少し気になった様子ではあったが、鍵がかかっていて調べる事もできずどこか少し残念そうな顔をしていた。突き当りまでいくと、こちらも非常口が南京錠でしっかり封鎖されている。

 続けて、屋上への階段を上るが、ここだけが他の棟と違った。

「ん?」

 南京錠が床に落ち、鎖が巻き付いているだけの状態だった。どうも、何かの拍子に外れたらしい。

「となると、ここは出入りができるのか」

 榊原は鎖を外して屋上に出た。屋上には手すりなどなく、無駄に広い空間が広がっている。普段誰も来ないせいか、あちこちに鳥の糞のようなものまで落ちていた。

「屋上って、こんな感じなんですね」

 初めて上ったのだろう。瑞穂は少し物珍しそうな様子で見ている。

「おっと、こんなものまである」

 見ると、屋上の一角に古びたはしごのようなものがあった。

「はしごですか?」

「いや、脚立だな」

 どう違うのか瑞穂にはわからなかったが、とにかくその脚立は長い間使われていなかったせいか、かなり古ぼけた感じだった。

「長さは伸ばしたらざっと四メートルといったところか」

 榊原はそう言って脚立を確認する。

「使えますか?」

「多分、大丈夫だ」

 そう言うと、榊原は校舎に戻る。

「この階段はミス研部室からは死角だな」

 榊原は確認する。確かに、階段を上るだけなら各部室から目撃されずにすみそうだ。

「どうですか?」

 斎藤が心配そうに聞く。

「……まぁ、何とかなるだろう」

 不意に、榊原はそう答えた。

「何とかって……」

 と、ちょうど三号館を出たところで、一号館から野川も姿を見せた。後ろには新庄もいる。

「どうでしたか?」

 野川が尋ねる。

「一応、それなりの考えは出た。そっちはどうかね?」

「僕も、一応の答えは出たつもりです」

 二人の視線が交錯する。

「では、関係者を集めて答え合わせといくかね」

「はい」

 野川は緊張した表情で答えた。

「新庄、頼めるか?」

「関係者を武道場に集めます」

 新庄が走っていく。

「こう言っては何ですが、どうも少し不安です」

 斎藤がこっそり瑞穂に耳打ちする。先程の榊原の曖昧な態度を見てそう感じたのだろう。

 だが、瑞穂は首を振った。

「いえ……多分、大丈夫です」

 その視線は、榊原の顔に向いている。

 榊原の顔は、あれだけ曖昧な返事をしていたにもかかわらず、非常に険しく、何かを見据えるような目つきをしていた。

「あの顔……私、見た事があるんです」

「見た事がある? いつの事ですか?」

 斎藤が尋ねる。瑞穂は断言した。

「この間、湯船鞠美を追い詰めた時の目つき。あの時の視線と、今の探偵さんの視線、まったく同じです」

 瑞穂の言葉を聞いているのかいないのか、榊原は、ただ黙って前を見据えている。


 時刻は午後五時。榊原にとって、すべてを賭けた勝負の時が近づこうとしていた。

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