第11話

 雨の日の水曜日みたいな事件が終わって三日すぎだ。

 ここからが問題だ。

 ジンに会う理由がない。

 イリーガルは外部者のため、仕事の依頼で声をかけられるか、自分から会いに行く以外では接触すらできない。連絡できる末端は仕事用で私用でかけるわけにはいかない。もしかけていいにしても話す内容がぜんぜん思い浮かばない。

 メールを交換している名前も知らない相手からは【仕事が終わって、少し暇になりました】ときた。ヒメもヒメで【気になる人がいて困ってる】知らない相手にぶっちゃけた。

 知らないから余計にぶっちゃけやすいのだが

【その人と接点はあるんですか】

 丁重で優しいメールだ。

【ないから困ってる! けど、諦められない! だって初恋だから】

【初恋ってどういうものなんでしょう】

 話が逸れた。

【はじめて、家族とか以外で、その人に胸がどきどきして、尽くしたいって思う相手じゃないかな】

【そういう経験ないから、何も言えません。がんばってください】

 誠実だが、なんかズレた励ましだ。

 名前だって知らない相手になに相談してるんだろう。向こうだって、知らない相手だから気軽に返事をしてるのだろう。

 しかし。

 惚れることはあってもあっさりふられるばっかりで、恋愛経験皆無のヒメはこういうとき、どうやって相手に近づいていいのか一ミリもわからない。ものは試しに恋愛指南のサイトの記事を読むが、どれも参考になりそうにない。いや、一つだけあった。


 相手に意識されるためにひたすら会え。


 シンプルだが、これなら自分にも出来そうだ。

 有言実行。

 次の日にヒメはジンの支部に向かった。

 以前服を借りたのを返すという名目だ。迷いに迷ってコンビニに寄ってサンドイッチと栄養ドリンクを購入した。

「いいよね?」

 これなら人の手作りが食べれないというタイプでも受け取ってもらえるし、他人にあげたとしても、コンビニで買った物だと諦めがつく。

 自分自身への言い訳をあれこれと並べ立てて病院の前に行くと日差しが眩しい。春から夏になろうとしている時期特有の暑さと心地の良い風が肌を襲う。

 周りに人がいないことを確認して重力を少しだけ操って浮遊し、病院を囲む塀からなかをのぞきこむ。

 庭で水やりをしているジンがいた。

 視線に気がついたジンが顔をあげた。

 目があった。

 強い日差しの朝焼けの輝きが眩しげに細められ、美しい。

「ヒメさん、こんにちは」

「ジンさんっ!」

「今日はどうしたんですか?」

「え、あ」

 せっかく考えていた言い訳が吹っ飛んだ。

「えっと、その」

 やっぱり顔がいい。何言うつもりだっけ、アタシ。

「あの……任務があって、立ち寄ったんだけど忙しい?」

「いえ。お茶ぐらい出せますよ。こっちにどうぞ」

 ジンが促してくれたのでヒメはお言葉に甘えることにした。

 裏口から庭の中に入ったヒメはすくすく育つ緑を見た。

「ジンさんの趣味なの?」

「いえ。先代、ここを持っていた人の趣味ですね。ここを譲ってもらったときは、もうすこし整ってたんですけど……枯らすのももったいなくて世話していたら、こんなジャングルに……」

 ふぅんとヒメは視線を向ける。

 淡いピンクのつつじ、ナヨクサフシ、シロツメクサの花たちが好き勝手に咲き誇っている。

「春と夏はすごいんですよ」

「でしょうねー」

 ヒメは苦笑いした。

「よかったら今度、雑草抜くの手伝うわ」

「本当ですか? 助かります」

 これはまた来てもいいということなのか、それとも話の流れの社交辞令か判断できない。

「あ、これ、どうぞ。差し入れと以前お借りした服」

「ありがとうございます」

 あっさりと受け取ってもらえてヒメはほっとした。

「じゃあ、アタシ、任務だから、もう行かなくちゃ」

 ジンが何か言う前にヒメは慌てて空間移動の演算計算して強制的に逃げた。

 あまりに顔のいい男と一緒にいて何を話せばいいのか思いつかない。

 自分の部屋のベッドに移動したヒメは、あーーーと悲鳴をあげた。今度はもっとうまくやってみせる。たぶん。 

「ねぇヒメさん、いつも大変じゃないですか?」

 横にいたジンから問われてヒメはぎくりとした。

 ここ数日、任務という嘘をついて差し入れ片手に通っている――なんとなく最近はジンのあいている時間を読めるようになってきた。おかげでかなり狙ってきている。

 午後の、ちょうど昼の時間――二時間ほど病院は昼休憩になる。その間に午後からの予約、自宅から動けない患者の訪問と忙しい。多忙のなか三十分ほどジンが庭に出て植物に水やりをしている。その合間にヒメはジンに会いにくる。長く居座ることもないので、椅子なんてものもない。二人して庭の植物の前にかがみ込んで一言、二言、会話するのが、今のところ、切れない縁となってヒメとジンをつなげてくれている。

「忙しいけど、まぁ、平気よ。大学生だし」

 ああ、けどとジンが付け足してきた。

「いつも差し入れもらって悪いなって思ってたんです」

 これはもう持ってくるなということか。

「ヒメさん」

「ふぁい!」

 ヒメが緊張して、声を裏返させる。

「よかったら、お礼にごはん食べましょうか」

「え、ごはん?」

「はい。いつも差し入れをもらってるし、ヒメさんなにが食べたいですか」

「アタシは……ジンさんは好きなものはなぁに」

 ジンが黙って、笑った。

 はぐらかす笑い方だ。

 こういうとき、一歩引いたほうがいいのか、いつも迷う。

 理由は至極簡単だ。こういう相手は他人を受け入れられる余裕がないと経験上わかる。

 けど、踏み込んだ。

「よかったら、アタシに作らせてよ。料理うまいんだから! びっくりしちゃうから! ジンさんの家にいっていいなら作ってあげるっ! 今日はお仕事早く終わる?」

「いいですね。今日は仕事が少ないから早く帰れると思います。六時ごろですけど」

「アタシ、五時には暇だから、支度できるわ」

 え、これ、まじ?

「じゃあ、これ家の鍵」

 まさかの展開だ。家の鍵はいきなり重くないか?

「準備とかあるでしょう? 合鍵、先に渡しておきますね」

「い、いいの」

「ええ。ヒメさんは問題ないです」

 そんな風に言われたら困る。とっても困る。これだと期待したいけど、しちゃだめなやつだ。

 これは絶対問題視してないやつだ。

「材料費とか」

 ぶんぶんぶんとヒメは首を横に振る。

 受け取った鍵を両手で抱え込むようにしたままジンを見上げた。

「おいしかったら、お金払って、そしたらまたそれで作ってあげられるし」

 これは暗にまた作るという宣言に等しい。我ながら命知らずだ。断られたら絶対寝込む。

「楽しみにしてます」

 イケメンが笑うと、死ぬ命がある、とヒメは真顔で思った。

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