第19話
ホテルで秋川とは別れ、迎えにきたジンと一緒に彼の家に戻った。
夕飯はさすがに疲れたのでヒメは冷やしていたお米を取り出し、レンジであたためている間にうめぼし、ツナ、ゆかりを出してお米のうえへ。出汁は作り置きをあたためて注ぐだけ。一日秋川に付き合ってへとへとな体でもちゃんと食べられる消化と疲れにきくお茶漬け。
ジンは一口食べたあと、ひたすら箸を動かしている。
ヒメは考えることが多く、味を楽しんでいる余裕がない。
「ヒメさん?」
「え、ああ。なに」
「なにかあったのかなぁと思って、帰ってきてから上の空ですよ」
「うん。……秋川さんのことで」
「何か言われたんですか?」
とたんにジンの顔が険しくなった。若干声が低くなっている。
「うっ……なんかジンさん、秋川さんに冷たくない?」
「そう、ですか?」
ジンが少しだけ思案したあと
「別れるときも口にしたように、あの人は隠し事をしていて信用できないなって」
「ジンさん、それは……必要だから隠してることもあるかもしれないわ。だって、ジンさんだってアタシに隠し事、いっぱいあるでしょう?」
唐突に水を向けられたジンが目を見開いて黙った。瞳が揺れるのは、まるで痛いところを突かれたとでもいいたげだ。こんなあからさまに動揺したジンははじめて見た気がする。別にジンが自分に何を隠していても怒る気も、咎める気もないのだけど。
「……全部教える必要はないっていうのはあるでしょうし。秋川さんの場合は、ジンさんが思うようなものじゃないわよ」
「やっぱり、何か言われたんですか?」
ますます剣呑な顔をするジンにヒメは首筋に刃物をあてられたように焦った。
「……いま、整理整頓してるところだから、待ってほしいの」
「わかりました」
わざとらしいため息がジンから漏れた。肌にひりひりとひりつくようなプレッシャーを覚えてヒメはあいた食器をジンの分ももらって立ち上がる。
キッチンに立つといそいそと食器を洗い、明日の準備にとりかかった。
別れ際秋川がサンドイッチを食べたいと口にしていたのを思い出した。差し入れがてら持っていってもいい。ついでに手を動かして頭を落ち着けよう。
パンを開いて、ハムとレタス、卵、アボカドとえび、具を詰めてあとは包丁で切ってラップでつつんでいく。今頭をしめる問題もこんなふうにぎゅうぎゅうに詰めて、簡単に切れたらいい。そうしたらなにも迷わないし、さっさとジンの前に差し出せるのに。
「いっぱい作ってませんか?」
「わっ! また後ろから! ……これは秋川さんの分だから」
「……」
ジンの物言いだな視線を感じてヒメは手をとめた。
「ジンさん?」
「……彼のためなんですね」
「正確にはアタシたちの分もはいってる。ジンさんも食べるでしょう? 味見する?」
「いりません」
顔を逸らしてはっきりと拒絶されてヒメは戸惑った。
「ジンさん、サンドイッチ嫌い?」
「だって、それは秋川さんのために作ったものでしょう?」
「ジンさんとアタシの分でもあるんだけど……じゃあ、よかったらジンさんだけの分作るから、何か食べたい?」
「ヒメさん、それで僕の機嫌をとってるんですか」
「うっ」
食べ物の恨みが恐ろしいことを兄弟が多いヒメはよく知っている。好物をとられて拗ねた妹が口を聞いてくれなかったり、兄が自分のプリンを食べて大喧嘩した。この場合、なにがお気に召さないのか――秋川が気に入らないのはわかる。かなり露骨にいやな顔をされている。彼に食事を作るのが嫌なのか?
「僕が警告しても彼と親しくするんですね」
「保護対象だし、先も言ったけど、秋川さんはそういう人じゃないから」
「……顔がいいから」
何を言い出す。
「ヒメさん、顔がいい人に弱いから」
「っ! ……それは否定しないけど、なんでいきなり、てか、秋川さんはタイプじゃない!」
「けどドラマを見ていつも、かっこいいって」
「それは、そうだけど……」
会話がかみ合っているようで、決定的な部分がズレている気がする。
「……ジンさんのほうがかっこいいし」
「僕が?」
「うん。ジンさんみたいにきれいでかっこいい人がアタシは好きだしタイプであって、秋川さんはあくまで疲れたときのおつまみみたいな、こー、デザートみたいな?」
腕組みをしてつらつらと説明しつつ、あれ、これジンに言っていいのかとヒメはちらりと考えたが、今更途中でやめるわけにもいかない。なんだかこうやって自分の気持ちを白状させられてる気がする。
「つまりは? 僕は?」
「メインデッシュみたいな。大好物みたいな……だから気にしないでほしいの! 秋川さんはあくまでおつまみ!」
「おつまみ」
理解できない単語を聞いたときのようにジンが繰り返す。自分でもこの説明でジンが理解できるとは思っていないヒメは必死に頭を巡らせた。
「ジンさん、秋川さんにたいして怒ってるのは、アタシが秋川さんと親しいから?」
これはものすごく自惚れなセリフだ。それだとまるでジンが自分のことを好きみたいだ。
「それは、……ヒメさんは隙があるから」
反論できない。
「他の人の世話をして……ヒメさんが傍にいないと僕が困ります」
「困るの?」
「困ります」
間髪入れずに言い返されてヒメは困った。これは。
「……どうして」
「理由が必要ですか?」
「いる、かなぁ」
「……ヒメさんとの食事が僕にとっては必要なんです」
「食事が?」
「ヒメさんも」
付け加えられた。
「……本当に人って胃袋を掴むといいのね」
「?」
「ううん。こっちの話……あのね、ジンさん、アタシ、ジンさんの傍からそんなほいほい離れたりしないから。アタシはジンさんのだよ」
「……ヒメさんが僕の?」
「うん。そう」
笑顔で頷いたあと、いや、違う! と心のなかでつっこむ。これだとまるで告白みたいだ。いやいや、だめだ。それはだめだ。どんな告白が正しいのかなんてわからないけど、雰囲気がほしい! ムードがほしい!
「ジンさん、今のは」
「ヒメさんは僕のですよ」
子供がほしくて、たまらなかったおもちゃを与えられたみたいに目をきらきらさせて、声が弾んでいる。
とっても嬉しいと態度で示されてヒメは反論を飲み込んだ。
自分のもの、というフレーズがお気に召したらしい。まるで喉をくすぐられている猫みたに機嫌がいい。
そんな顔されたら何も言えない。
「ヒメさん、どうかしました?」
「う、ううん」
頬が熱くなっていくのにヒメは視線を逸らした。
ジンには深い意味はないのかもしれない。けれどそんな風にされると嬉しくなる自分もいる。
「じゃあ、ヒメさんの得意なサンドイッチ作ってもらえます?」
「へ、え、あ、うん。得意、得意……フルーツかなぁ。待って、クリームがないから……今度でもいい?」
「いいですよ。じゃあ、別ので」
「うーん、あとはウィンナーのやつかな。今食べれる?」
「はい。ウィンナーのサンドイッチですか?」
「うん。焼いて、それを切ってパンにはさんで、ケチャップとマスタードいれて、すぐにできちゃうから……あ、けど今食べるとにはちょっと重いって、あ」
作ったそばから、包丁もいれてないサンドイッチを手にとってぱくりと大きな一口でかぶりつく。むしゃむしゃと咀嚼し、一気に食べきってしまった。
うわぁとヒメは見惚れた。
顔のいい男が食べる姿は最高にいい。それも無遠慮にがつがつしている姿はさらにいい。
ケチャップのついた指を舌で嘗めて、ふぅと満足のため息をつくジンにヒメは見惚れて、思わずうっと声を漏らしてしまった。
「ジンさん機嫌悪かったのって、もしかしておなかすいてたの?」
「……そういえば朝以降、何も食べてなかった」
「まだ食べれるなら食べる?」
「はい」
「ジンさんが満足するまで作るから、いっぱい食べて」
「じゃあ、もう一個」
「うん」
二個目を平らあげてジンはすっかりいつものジンに戻っていた。ヒメは安心して残ってるサンドイッチをラッピングして冷蔵庫にいれた。
夜ということで果実酒を取り出す。りんごを炭酸で割って、リビングのソファに腰掛ける。
「あのね、秋川さん、昔、ここに住んでるとき、人魚に会ったんですって」
「へぇ」
「驚かないの?」
「とりあえず、全部聞いてから反応したほうがいいかと思ったので」
なんでもありのレネゲイドウィルスの世界で生きていればちょっとやそっとのことで慌てていては身が持たない。
ヒメは出来るだけ秋川から聞いたままの話を語った。
「その襲撃してきた相手がFHだとしても、人魚をどうしたのかはわからない以上、調べないとなんとも言えないですね」
「そうよねぇ」
「あの噴水が意図的だってことはわかりました」
あ、とヒメは今更だが思い出した。ジンは思いっきり水を頭からかけられているのだ。
「ヒメさんも知ってたんですね?」
「……まさか、本当に水があんな動きするとは思わなかった」
「……ふーん」
声のトーンがまた低くなってきたのにヒメは冷や汗をかいた。決して自分がしたわけではないが、やらかしてしまったような罪悪感にかられる。
「ごめ、ごめんなさい」
「ヒメさんがしたわけじゃないでしょう」
「そう、だけど」
「おかしいと思っていたから、そういうことがあったんだって納得しました」
「本当に大変申し訳ございませんでした」
ヒメはひたすら頭をさげた。
「僕が言いたいのは……ヒメさんが知ってて、秋川さんと二人きりになりたかったのかなぁって」
「秋川さんが話したがってるのはわかってたから……まさかジンさんがかばってくれるとは思わなかったけど」
「僕はヒメさんだから庇ったんです」
「うっ」
またしても話の雲ゆきが悪くなっている。これはさっさと逃げたほうがよさそうだ。
「アタシ、そろそろ家に」
「ヒメさん」
「はい」
「明日も秋川さんと会ったり、調べ物するなら、ここから動いたほうがよくないですか?」
「……えっと」
「泊まっていきませんか?」
「あ、はい。家に、連絡してみるわ」
それだけ言うのが精一杯だったのは、ジンから圧を感じたからだ。
スマホを取り出して、ラインで連絡すると、すぐにご迷惑かけないようにねと母。妹と弟たちからは可愛い子犬のスタンプ、父は「気をつけなさい」なにを? 兄のツギノからは「任務に支障がないようにね」とありがたいお言葉。
何を考えてるんだ、うちの家族は――叫びたい衝動をぐっと堪えたヒメはジンに向き直った。こちらの様子を伺い、面白がるみたいに輝いている瞳の色が妙に艶めかしい。
「い、いいって言われたし、客間を掃除してくるね」
「どうして」
「え。アタシ、あそこに泊まるんでしょう?」
「泊まり用の布団はないですし、僕のベッドで寝ていいですよ」
「えっ!」
「ほら、僕大きいからダブルベッドなんです。二人ぐらい余裕で眠れますよ。パジャマ出してきますね」
「まって、二人? アタシと、ジンさんが? 同じベッド!」
慌てて背中に追いすがるように声をかけるとジンが振り返り、不思議がるように小首を傾げた。
「ええ。同じベッドで寝ますよ」
あっさりと、なんのことはないように口にされてヒメはうっと息を飲んだ。これはあれだ、気にしてませんし、興味のかけらもありませんと言いたいのか。
以前ヒメが肌を見られるのをいやがったのにジンは理解を示してくれたのに――!
年齢としては八歳の差がどう作用しているのかわからないが、パジャマが用意されて、風呂にはいり、明日のこともあるので寝室に向かった。
電気を絞った寝室はそういう意図はないはずなのに、なんだかいたたまれない気分になる。意識じすぎて心臓がばくばくしているヒメはさっさとベッドに入り、目を閉じる。背後で同じようにベッドにはいる気配に緊張した。
背中越しのぬくもりに息を詰める。
はやく眠ってしまおう。そう思ったとき、やわらかい腕が伸びて包まれる。引き寄せられてヒメはうひゃあと心のなかで騒いだ。
「ヒメさん、もっとこっちこないと落ちちゃいますよ」
「……あ、あたし、ねぞうわるいかも」
「じゃあ蹴ってもいいですよ」
「ばか」
小声で言い返して、観念して振り返る。
夜に映える遠い星みたいな瞳が自分のことを見ている。
「ジンさん、あ、あの、これは、その」
「はい」
呼吸が触れ合う。
暗闇のなかで輝く星を見た子供みたいに胸が高鳴って、理解する。
あ、好き。
この人が好き。
自分から進んでジンの懐に体を寄せると、優しく抱きしめられる。全身が喜びに脈打ち、血が早く流れていく。
言葉に出来ない気持ちを一生懸命飲み込んで、息と一緒に別の言葉を吐いた。
「おやすみなさい、ジンさん」
「おやすみなさい、ヒメさん」
言葉が重なり合い、水音がしたたるようにじんわりと夜のなかに溶けた。
思いのほか安眠したヒメは、目覚めて横にジンがいたのに心のなかで悲鳴をあげながらいそいそとベッドから逃げて服を着替えた。いつも持っている携帯用化粧品である程度整えたあと、朝の支度にとりかかる。ちょうどジンが起きてきたので二人で朝ご飯を食べ、秋川のもとに向かった。
秋川は朝一で訪れてもいやな顔をせず、差し入れのサンドイッチを喜んだ。
窓辺にある椅子に腰掛けてジンとヒメは秋川と向き合った。
「ホテルのやつってなんかおいしくないからありがとう。それで、協力してもらえるのかな。支部長さん」
「一つ断りをしておきますが、探してる人魚は死んでるかもしれません。それでもいいんですか」
「ずばり言うなぁ」
「余計な期待をしないためです」
「いいよ。知らないままよりはマシだ」
秋川の目は真剣な色を称え、ジンのことを射貫いた。
「わかりました。協力します」
「ありがとう。どういう結果になっても、キミのこと、評価するように上の人にはいっておくよ」
「今日は一日ここにいてもらえますか? あなたの護衛までは手がまわらないので」
秋川はとても順々に頷くのにジンは手を差し出した。
「その石も、支部で確認します」
いやがるそぶりは一瞬、秋川はあっさりとジンに渡した。
「この街の中なら平気だけど、それ以上離すと勝手に戻ってくる。あと時間だね。一日離れるとダメ。それでも調べられるの?」
「たぶん」
ジンは断言しない。今までUGNが解析してきただろう以上のことをあまり期待していないという顔で石を握りこむ。
「夕方には調べたことの報告に来ます」
「待ってるよ」
淡々と会話は終わり、ジンが出ていくのにヒメは慌ててあとについていった。
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