第18話

 ホテル前でジンと待ち合わせ、フロントで秋川の名を出して部屋を教えてもらった。エレベーターを使い、フロアのちょうど真ん中の部屋までくる。

「秋川さぁん、おはようございます」

 ドアをたたくと、すぐに開いた。

 が

「ひぇ!」

 上半身全裸で、腰にタオル巻いた秋川にヒメは硬直した。ちょうど歯磨きしていた秋川はにこりと笑って、ヒメを懐を抱きしめてきた。

「あははは、かわいいねー。ヒメちゃん、おはよう~」

 あまりのことに抵抗も出来ないヒメはなすがままだ。

「秋川さん、ヒメさんが困ってますよ」

「君もしてあげようか?」

「遠慮します。ヒメさんから離れてあげてください」

「待ってね。すぐに着替えるから」

 ドアがぱたんと閉じた。

 ヒメは興奮と未知の遭遇にキャパオーバーしてひーひーと浅く息を吐く横でジンが心配そうに見つめてくる。

「平気ですか、ヒメさん」

「ううう、びっくりしたぁ。平気、平気だけど、ほんと……心臓に悪いわ」

「ヒメさんを誘ったの失敗でしたね」

「ええ~、なんで!」

「あの人、報告では女性に対して過剰なリップサービスが多いってあったんです」

「へぇ~」

「ヒメさんも秋川さん相手だと立派な女性でしたね」

 見た目は可愛くしているが、体は男だ。中身としては女のつもりであるヒメとしては、秋川の態度が女扱いだというならそれは、それで嬉しい。いや、喜んでばかりいてはいけないけれど。

「今からでも」

「一度引き受けた任務はちゃんとやるわよ」

 何を言われるのかなんとなく予想してヒメは遮った。

 こうでもなきゃジンとあれこれ観光なんて出来ない。いわば秋川をダシにしてジンとデートしているようなもの――任務だが――それに昨日、秋川からの個人的なお願いも聞いてしまった。

 ジンが眉根を寄せ、険しい顔になる。

「……あまり秋川さんに近づきすぎないようにしてくださいね」

「う、はい」

 護衛対象相手にでれでれしていると思われたのか。そんなことはしない――断じてない!

 そうしていると秋川が出てきた。昨日と同じくラフな黒のシャツとジーンズの服装だ。

「さて、グルメツアーに行こうか」 

 一日目は街をぶらぶらと歩きまわって、あれこれと食べたい――秋川の要望だ。

 とりたてて名産らしい名産があるわけではないが、駅近くはいくつものブランド店が軒を連ね、食べ物屋が並んで観光客が立ち寄るというコースができあがっている。近くに美術館と大きい神社が観光地として有名で人が集まっているためだ。

 午後は駅を使い、観光地としてにぎわっている自立式電波塔に行く予定だ。

 ホテルから出て予定通り、いくつもの店をひやかすのを秋川は楽しんでいた。それにヒメも付き合うが、一歩後ろにいるジンの視線が背中に痛い。きちんと仕事として秋川から距離をとって、周囲を警戒している。

 昼は立ち食いするというので、秋川が出店のものを奢ってくれた。

「ジンくん、食べないの?」

 ジンが曖昧に笑って首をふり、断るばかりだ。

 ヒメはありがたくいただいている分、なんとも居心地が悪い。

 秋川は両肩をすくめて仕方ないとばかりにジンの態度を受け流し、かわりにヒメを構い倒してくる。

 ジンが気になるヒメが渋い顔をしているのに、秋川が愉快そうに笑っている。

「嫌われちゃったなあー」

「そんなことないと思うわ。ジンさんは仕事熱心なだけよ」

「俺がいやなのさ。うまいこと隠してるけど、わりとばればれなの、面白いよねぇ」

「隠してる?」

 なにを。

「うまくいい人のふりをして、出来てないてことだよ」

 秋川は自分が見えないジンが見えている様子なのにヒメは問いかける視線を向けた。

「俺は俳優をしているからさ、ああいう演技っていうのわかるんだよね。ああ、これは本当だとか、嘘だとか」

「……ジンさんが嘘をついってるてこと?」

「嘘っていうか、あれはそうだねぇ」

 秋川が、三日月みたいに目を細めて笑みを深くした。

「偽善かな。自分だってだましてる、なかなかタチが悪い大人だよ。自分もわかっているようでわかってない」

「なにそれ」

「そのうち、わかるよ。そろそろタワーに行こうか……あ」

 駅前にある噴水の前で秋川が足を止めた。

「秋川さん? どうかしたの」

 ごぼりと音がしたのにヒメが視線を向けると、噴水から溢れていた急激に水が増した。

 瞬いた刹那、大きな波となってヒメに襲い掛かってくる。

 普通ではありえない動きだったのにあっけらとられて、反応が遅れてしまった。

 あ、まずい。

 ぐいっと腕を後ろから掴まれたヒメは目を見開く。


 ばしゃん!


「ジンさんっ!」

 頭から水をかぶったジンにヒメは目を見開いた。自分を懐に引き寄せて庇ってくれたのだ。

「……ヒメさん平気?」

「アタシは平気だけど、ジンさん水が」

「かぶっただけだから平気ですよ。あれは」

 視線を向けると、周りにいた人々もびっくりした顔で噴水を囲んでいる。すでに一度大きな噴出のせいで入口が砕け、ちょろちょろと細い水が零れている。

 一体なんだったのかとヒメが見ると秋川に苦し気な顔をして噴水を、そこからあふれる水を睨みつけていた。

「秋川さん」

 ジンが声をかけると、秋川が顔をあげた。先ほどの物言いたげな表情はなく、明るい笑顔だ。

「あらら、ひどいな。水もしたたるいい男だね。このままだと困るし、ジンくんは戻ってくれる? そんな恰好じゃあ、護衛は無理でしょう」

「秋川さん、あなたも一度ホテルに」

「大丈夫だよ。俺にはほら、護衛さんがいるから」

「……ヒメさんは、戦闘能力がないので」

 ジンが渋い顔で言い返すが、秋川は軽い。

「けど今回の護衛でしょ? 昨日は言わなかったじゃないか」

「転移能力に優れているので、あなたを連れて逃げることはできます。昨日はこんな事態ではなかったですし」

 なおも言いつのろうとするジンを秋川は軽快な笑みで遮った。

「じゃあ、大丈夫だよ。もしものときは連れて逃げて貰えれば」

「……わかりました。僕は一度戻って着替えたら迎えにいきます」

「ありがとう。無理いってごめんね」

 秋川の悪びれない態度にジンはかたい表情で頷き、すぐにヒメを手招いた。

 なんだろうとヒメはジンに歩み寄る。ジンの顔は不愉快げで、屈みこんできた。美しい顔がすぐそばにあるのにヒメはうっと動きを止めた。甘い声が耳たぶを撫でる。

「ヒメさん、よく聞いて」

「うん、うん、うん!」

 肌にかかる吐息にヒメはひぇと声をあげそうになってぐっと我慢した。

「あの人、隠し事してる」

「へ、え、あ?」

「もしなにかあったら秋川さんを置いても逃げていいから」

「……護衛対象でしょう。いいの?」

「多分あの人、あれを予想してた様子だったから、今度なにかあれば彼がしかけてきたと判断してください。これは支部長命令として受け取ってください」

「わかったわ。気を付ける」

「もし、FHが襲ってきても、一人で逃げていいですから」

「それしたら、ジンさん、上から怒られるんじゃないの?」

「第一にヒメさんは自分の身を守ってください。本当はこういう事態は想定外だったから僕が悪いんです。この近くの店で服が調達できればいいんですけど」

「目を離せない子供扱いされてる気がするんだけど」

「とにかく、ヒメさんは自分の身を守ってくださいね」

 念に念を押されたのにヒメは渋々こくんと頷いた。

 


 ジンと別れたあと、電車を取り次いで、やってきた街で一番高いタワーは、夕方近いということでカップルなどの姿がちらほらと見える。

 秋川は慣れた様子でヒメの分のチケットも購入するとエレベーターに乗って一般公開されているお土産店を素通りし、さらに上へと向かう。

 メインデッキの上にさらに追加料金を払うことでトップデッキに行くことができるのだが、秋川はそちらの分のお金も払ってくれていた。

 秋川は巨大なはめ込み式窓に向かって足を進める。全身で街全体を見ることのできるそこからのぞく海に焦がれる視線を向けた。

「昨日話したよね。あそこにいきたい」

「……秋川さん」

「彼女に会いたいんだ」

 人魚姫、と秋川はつけくわえた。


 昨日、秋川は自分が所有する遺産をどういう経路で手に入れたのかをヒメに教えてくれた。

 父親が転勤族で友達ができない秋川は、一人でごっこ遊びすることを覚えた。それが今の俳優業に繋がったのはなんとも皮肉な話だ。

 人見知りが激しいほうではないが、外からきた子供はどうしても学校という決められた空間で孤立しやすい。

 当時、ここに転校したときもすぐにまた旅立つことになると覚悟していた。

 出会いと別れを繰り返し、すれた時期だったので、あえて仲間にいれてもらおうと振る舞うことはなかった。クラスの子供たちも秋川を拒絶はしなくても、積極的に関わることはなかった。

 独りぼっちであった秋川は家から近い海に通うようになった。

 そこで人魚に出会った。

 岩場にいた少女はまるで絵本から切り取られたみたいに上半身は少女、下半身は魚だった。

 秋川と人魚は言葉なくても交流し、仲良くなった。

 その夏の終わり、二人は別れた。

 転校するという日に知らない大人たちがやってきて人魚を捕らえようとしたのだ。必死に二人で逃げて、けど追い詰められた秋川は――彼女を置いて逃げた。

 そのあと彼女のことはわからずじまい、まるでうたかたの夢と思ったが手元に、石が残った。

 捨てても秋川の元に戻ってくる不思議な石に誘われるようにして、UGNを名乗る組織の者たちからの接触を受け、自分がなにと遭遇していたのかも知らされた。

 呪いなんだよ、と秋川は口にした。

 きっと逃げてしまった自分への呪い。

 石は自分から離れず、この街にきたときだけ、災いが襲いかかってくる。

 この街で、そして水。この条件が揃うと秋川の周辺で災いが起きる。

 五年前護衛のエージェントたちが、水で出来た魚のようなものに襲われた。

「俺は彼女が怒っているんだと思うんだ。恨まれてるんだろうって……海にずっといけないでいる。逃げてるんだ。今も」

「秋川さん」

 じっと海を見る秋川の横にヒメは立って、顔色を窺い見る。

 探してほしい、と言われてもヒメはすぐに返答できなかった。それが真実だとしたら遺産を分析できるとっかかりになる。しかし、そうすれば秋川の手から遺産を奪うことになりかねない。

 奪っていいのだろうか、大切な思い出の品を。

「実は海外で仕事をしないかって誘われてるんだ。そうしたら、もうここへと戻ってこれない」

「後悔しているの?」

「してるよ。ずっとね……彼女を守ってあげられなかった」

「子供だったなら仕方ないんじゃないの?」

「そんなの言い訳だよ。先はジンくんにちょっかいかけられると困るから、意図的にしたけど、今でもこういうことになる。本当にもう戻ってこれなくなる前にちゃんと決着をつけたい」

 ここでなにか起こるたびに人魚は夢ではなかったと思える。同時に自分の見捨ててしまった少女を思い出してしまう。

「明日はきっちりと調べてもらえないかな。約束してくれるなら、ホテルで大人しくしていてもいい」

「……アタシ一人だと無理だからジンさんに話してもいいなら」

「彼にか、そうだなあ」

 秋川が苦笑いした。

「いいよ。たぶん水ぶっかけたこと怒るだろうけど」

「ジンさんは、短気じゃないから大丈夫よ」

「そうかなぁ」

 秋川がヒメに向けて苦笑いする。

「彼、ものすごく心が狭いと俺は思うんだよねぇ」

 どこか悪戯が成功した子供みたいに笑った秋川はすぐに真顔になった。

「だめなら諦めるよ。全部、けど二日はあがくよ。まだ」

 自分自身に言い聞かせるみたいに秋川は口にする。ずっとずっと大切にしまってある思い出を自分で捨て去ろうとする人の覚悟を決めた目で。

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