第17話
秋川の滞在は三日。
完全なプライベートで、街の観光が主。
以前住んでるならそこまで代り映えしないだろうにと思うが、秋川はわざわざ旅行雑誌を片手にあれこれとヒメに聞いてきた。
出来たら護衛する三日のスケジュールは事前に決めておきたいというのがジンの要望だ。予定が決まっていれば護衛として動きやすいし、なにかあったときに対応もできると説明すると、秋川は大人しく従った。
はじめは遠慮がちだったヒメも秋川の押しの強さに瞬く間に普通に接しはじめた。
「もう、あの店ないのかー。じゃあ、おすすめ、ヒメちゃん、お願い」
「アタシのおすすめでいいなら」
「おしゃれで、いろいろと知ってそうだもんね」
にこにこと秋川が口にする。
「ジンくんのおすすめとかある」
「僕はあまり外に出ませんから」
あからさまではないが、ひどく冷たい言い方だといつものジンを知るヒメは内心驚いた。
「そっか」
秋川は気分を悪くした様子はなく、両肩をすくめて笑った。
「ヒメちゃん、明日から街を案内してよ。ただ最後だけ海を見に行きたいんだよね。車とか出せる?」
「アタシ、車はちょっと」
「ジンくん、できる?」
秋川が声をかけると、ジンが頷いた。
「じゃあ、よろしく」
トントン拍子でまとめてしまう秋川は、素早く腰を浮かした。
「ヒメちゃん、ホテルまで護衛お願い」
「あ、はい! えっと、ジンさん」
「一人でいいよね。たいして遠くでもないしさ、ほらほら。支部長って大変だもんね」
困惑するヒメの手をとって秋川が大股に歩き出す。ひっぱられるヒメはあわあわしながらジンを助けを見た。
タイミング悪くかかってきた電話に応じてすぐに声を出せない状態のジンは軽く腰をあげたあと仕方なさそうに笑って手をひらひらとふって見送ってくれた。
「こんな街中を歩いていたら、ばれるんじゃないの?」
「平気、平気。意外とさ、みんな、気がつかないものだし」
支部から出てホテルに向かう秋川に手をひっぱられてヒメは何か悪いことをした小悪党よろしくきょろきょろと視線をまわりに向けた。なにせ一緒に歩いているのは今をときめく俳優の秋川なのだから。
バロールの移動演算のためにも、ホテルの場所は行っておきたかったが、こんな形で向かう羽目になるとは思わなかった。
憧れの俳優さんに会えるのは嬉しいし思ったよりも、いい人そうでよかった。が、どうもこうべたべたは慣れない。
いつもなら、ここらへんできゅーんとか、ずきゅーんとかあるはずなのに、それがまったくない。
惚れぽいはずなのになぁ。
「変わらないなぁ、この街は」
「前はいつ?」
「五年くらい前かなぁ。バラエティ番組の撮影だよ」
人通りの多い駅まできて秋川の目が憧憬に緩んだ。その顔の穏やかさにヒメはつられて顔が穏やかになる。
「……好きなのね。この街のこと」
「ああ。好きだよ。小学生の一時しかいなかったけど……ねぇ、ヒメちゃん、立ち食いしない?」
「アタシ、早く帰らないと、ジンさんが待ってるし」
「あの人ってキミの何。確かイリーガルって外部協力者だよね」
秋川の鋭い言葉にヒメはうっと詰まる。
その隙に秋川は路上販売しているワゴン車でクレープを注文してしまう。
「ヒメちゃんはチョコでいい?」
「いちごがいいわ! じゃなくてっ!」
「いちごとチョコを一つずつ」
注文してお金を払っても、誰も騒がない。
秋川が言うように有名人がこんなところにいるとみんな思っておらず、素通りしている。
「キミ、ずばりあの人のことが好きなんだ」
「うっ」
「わりと顔に出てるよ。あれ、けど付き合ってないんだ」
「……アタシの片思い、です」
渋々ヒメは言い返し、俯いた。片思い、片思いになるのだろうか。これは。いや、うーん。ジンの気持ちがまったくわからないから唸ってしまう。自分たちの関係ってなんだろう。
「わりと親密ぽかったけど、へー。そうなんだ。はい。どうぞ」
「あ、どうも」
気がついたらクレープを受け取ってしまった。もったいないので、かぶりつく。いちごクレープは酸味がきいて甘くておいしい。
「ならさ、あのジンって人とうまくいくように取り持ってあげようか」
「へっ」
「かわりに、手伝ってほしいんだ」
「……なにを」
「人魚姫捜しをさ」
秋川の輝く微笑みは、テレビ画面で見るときよりずっと色気があったのにヒメはつい見惚れた。悪い男の微笑みだ。これ。
ホテルに秋川を届けたあと、ジンからメールがはいっていた。もう仕事を切り上げて家に戻るから、ヒメもそのまま直帰するようにと簡潔に書かれている。
どっちに?
迷ったが、ヒメはジンの家を選んだ。
いつもは出迎える側なのに、不思議な気持ちで玄関のドアを開ける。
「ただいま、ジンさん」
そういえば今日の夕飯何にしようか考えていなかった。
「ジンさん?」
返事がないのでリンビグにいくと、ソファに腰掛けて書類を読むのに夢中になっているジンがいた。何かに集中しているときのジンはそれはそれはきれいだとヒメは見惚れてしまう。
さすが、ノイマン。こういう、集中力は桁外れだと感心しているとジンが顔をあげた。
「ヒメさん、おかえりなさい」
「ただいま。お夕飯の支度しちゃうわね」
キッチンに向うとするとおなかにはいっているクレープが主張してきた。
「今日は……ジンさんの分だけでいい?」
「どうかしたんですか」
「クレープ食べたせいで、おなかが」
「クレープ?」
「うん。おかげでちょっと遅くなっちゃった」
それだけではなかったが、内容については秋川から「誰にも言わないでほしい」と約束させられた。
「ヒメさん」
唐突に背後で声がしてびくぅとヒメは震え上がって振り返った。ジンが立っている。
「う、ひゃあ、ジンさんっ? なにっ」
「クレープ食べたんですか?」
「う、うん」
顔をのぞき込むジンにヒメはこわごわと頷いた。
「それで夕飯が食べられない?」
「う、うん。つまむくらいしか無理かなぁ。奢られちゃって」
「奢られた」
ジンがネズミを見つけた猫みたいに目を細めた。
「秋川さんに?」
「うん。注文して、すぐにお金支払っちゃうから、もらわないともったいなくて」
「……ヒメさんってああいう人が好みなんですか?」
「ぜんぜんタイプじゃないわよ」
迷いなく、即答していた。ヒメの好みはジンのような優し気で美しいタイプだ。秋川は論外だ。
ジンがひどく苦い虫を噛んだような顔で見つめてくる。
「なのにかっこいいんですか?」
「かっこいい……? あー、昨日のドラマのね。あれは観賞用としてというかー」
「観賞用?」
ジンが言葉を繰り返す。理解できないものをそうやって咀嚼しようとするかのように。
「だって現実では会えないじゃない。あんなかっこいいなんて。騒ぎたいっていうのあるじゃない?」
「そういうものなんですね」
ジンが納得できないとばかりに眉根を寄せて考えている。
「んー、ジンさんは可愛い女の子とか気にならない?」
「可愛げは、あったほうがいいとは思いますよ。……昔、付き合ってくれって言われた女性がそうでした。向こうがいやになったって別れましたけど」
「なにそれ」
「向こうに告白されて付き合ったんですけど、すれ違いが多くて、なんでかって問われてもUGNの活動は言えないから、素直に言えないって答えたら別れました」
「ひぇ」
思わず目を剥いてヒメは小さな悲鳴をあげていた。
組織に属するオーヴァードは秘密を抱えやすく、一緒にいる一般人がまったく気がつかないわけがない。深く付き合えば付き合うだけばれるリスクは高くなる。
自然とオーヴァード同士で付き合う流れが一般的になっているが、理性だけでどうすることもできないのが感情だ。
話を聞く限りジンの対応も問題はあるが、それで別れてしまう女も女でひどい。
「そのあともわりとそういうかんじで」
「へ。へー」
「あんまりお付き合いした人は多くないんですよ。みんなすぐに別れちゃったし」
「……ジンさん引き止めなかったの?」
「どうして」
「えっ」
「引き止める理由がないでしょう」
ヒメがあきらかに言葉に詰まり、露骨に視線を逸らした。
うすうすは感じていたがジンは懐が広いとかではなく、期待してないのだ。
もし自分がもういやだといって去っても引き留めたりはしないのだろう。わかっていたがなんとなくショックだ。
「ヒメさん?」
「ううん。なんでもない」
「……そう、ですか」
なんとなく気まずい。
「夕飯、とりあえず、作るね」
「ヒメさん食べないんでしょう?」
「少しつまむけど」
「じゃあ、いいです」
「え、ちょ、ジンさん」
「一人で食べても味なんてわからないだろうし」
「え、ええっ」
投げやりな言葉にヒメが慌ててジンを見上げた。
触れたら切れる――違う。透明な壁みたいなものがあって叩いても壊れないタイプだ。
「おにぎりっ!」
けど、叩く。思いっきり、壁にひびをいれる勢いで。ここで引き下がったら通う意味がなくなってしまうと本能が叫んでいる。
「おにぎり、食べたいの。アタシ!」
「ヒメさんが? だって、いま、おなかいっぱいって」
ジンが困惑したようにヒメを見つめて視線を逸らした。逃げられたくないから余計にヒメは勢いをつけて食い下がる。
「つまむ程度は食べたいの! 二人で作って食べましょうよっ」
「……ヒメさんも食べるなら」
視線を彷徨わせて乗り気のない声でジンが応じたのにヒメは慌ててセットしておいた炊飯器を確認する。つやつやの白米ができあがっていた。偉い、アタシ。思わず自分の仕込みのよさを絶賛し、しゃもじでさくさくと切って、お皿にのせる。
ボウルに水を溜め、塩をとりだして冷蔵庫からうめぼし、おかかを出す。
「あついから気をつけてね。水に手をいれて、塩を広げて、あちち、あちち、こうやって形を作って、うめぼしいれて、あちち。完成!」
手のなからある三角おにぎりをヒメはジンに差し出した。
ジンが口を開けて、一口。そのあと勢いよくぱくぱくと食べていく。自分の手も食べられてしまうのではないかと危惧する勢いにヒメは呆気にとられた。
一瞬でおにぎりは消えて、かわりにジンがぽつりと呟いた。
「……おなかすいてたの、思い出した気がする」
「ジンさんの作ったのアタシにちょうだい」
差し出されたおにぎりを受け取ろうとしたら、ひょいっととりあげられた。
あーっとヒメが声をあげると、悪戯が成功した顔をしたジンが、再びおにぎりを差し出してくる。まるでうたた寝をはじめた猫みたいな穏やかな表情だ。
「僕の手からどうぞ」
「う、うん。わかった」
口を開けて、ジンの手から、食べる。力任せのせいでかたいし、塩がききすぎていてしょっぱいが、胃から体全体にしみるように優しさを感じる。
「おいしい」
「……ヒメさん、次は何食べたいですか?」
「おかか。はい。ジンさんの二つ目あるわよ」
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