第4話
「ジャームが見つからないから、とりあえず周囲の巡回ね」
土地勘のないヒメにとっては、ありがたい限りだ。
バロールは空間と重力、その二つに合わせて限定的だが時間に干渉することもできる能力だ。
ただし自分のいる空間把握や演算が重要で、現場の知識が必須となる。
バロール能力者が自分の決めたテリトリーをあまり移動しないのはそのためだ。イリーガル関係でバロールのシンドロームを所持する者は大概自身に力を作用させる戦闘エージェントタイプばかりで、支援特化タイプは物珍しい。それほどにバロールの能力は他のシンドロームより極めて扱いが難しいとされている。
ヒメだって、知らない土地で力を使うのは苦手だし、演算が大変だと辟易する。
「どうしましたー」
前を歩くあすみが足を止めて振り返る。
猪突猛進をそのまま形にしたような少女は、かいがいしくヒメの世話を焼き、パトロールの相方も率先して引き受けてくれた。
支部長のジンはまだ表の仕事の片づけがあるので支部にいる。
「ううん。平和だなーって思って」
見る限り、この街は平和だ。軒を連ねる住宅街――春らしい冷たくもあたたかい風に乗ってどこか遠くで子供たちの楽しそうな声や人々の姿がある、当たり前の日常が広がっている。
「ですね! この街はジャームがすごく少ないんですよ! 支部長のおかげです」
「……そんなにもやり手なの?」
さりげなく探ることも忘れない。
「うーん、やり手っていうか、すごく熱心ですね」
「へぇ」
「私も頭が下がります! 私のことも引き受けてくださったんですよ」
ひっかかる言葉にヒメは眉を寄せた。あすみは言いづらそうに俯いて、えへへっとはにかんだ。
「私、実は隣街のチルドレンなんです」
隣街の支部長は死亡し、今は本部から新しい支部長が赴任している。とり逃がしたジャームはいまだに行方が知れず、それを追いかけているチルドレンがいるのは聞いていたが、あすみだったのか。
支部同士は管轄があるが、それを超えた合同捜査は推奨されてはいる。
ただし、それは表向きの話。
オーヴァードだって人間だ。自分のテリトリーに他者が入るのをいやがる。合同調査といっても足の引っ張り合いをすることもざらだ。
あすみの様子を見る限り、快く今の支部にご厄介になっている、というように見えた。
「あなたの元いた支部、あなたが追跡することを許可したの?」
「いいえ。駄目だって言われて、飛び出してきちゃったんですよね!」
そんな笑顔で言っていいことなのかとヒメがつっこみたくなる笑顔であすみが答える。
UGNのチルドレンの過酷な訓練環境についてはたびたび問題視され、環境改善が進んでいるのはヒメの耳にもはいっていた。しかし、命令無視を笑って口に出来るくらいにはよくなったのか。
「ジン支部長にはご迷惑かけちゃいました」
「追跡はやめないんだ」
「はい。だって、私、正義の味方ですもん! あー、そこの人、ごみ捨てだめですよっ」
公園にさしかかったところで、あすみがぽい捨てしようとしている学生にくってかかるのにヒメは肩をすくめた。
人一倍熱血なタイプ――苦手だ。
誰よりも熱心でつぶれた男の顔が、ちらりと脳裏に浮かんで、沈んだ。思い出したくないものを思い出しちゃった。
小さな悲鳴みたいな声がしてヒメはそちらを見た。
公園横の小道、ひと目があまりつかないところで一人の気弱そうな俯いた青年、それを囲む複数の学生――顔がにやにやして、何かをいたぶる快楽に酔っているのを見てすぐに理解した。
古典的なかつあげだ。
ヒメは今日一番の大きな苦虫を奥歯で潰した。こういうのはかかわらないのが一番だ。とくにオーヴァードは目立つとめんどくさいことになる。後味の悪さを飲み干すのは心底いやだが、我が身がかわいい。
「こらーー! なにしてるんですかっ!」
「え~~。うそぉでしょぉ」
さすが猪。
つっこんでいくあすみにヒメは思わず呆れを通り越して感激した。
唐突に第三者が現れて虚を突かれた青年たちに絡まれている男の子は隙をついて一目散に逃げていった。やだ、かっこわるい。
獲物が逃げてしまい、不満を抱えた不良たちがあすみを取り込む。
これはまずい。
非常にまずい。
ヒメはあーもうっと声をあげて天を仰いだ。
覚悟を決めてさっさと大股であすみを囲む男たちに向かっていった。あーあ。
「ちょっとごめんなさい」
一人を押しのけてあすみの手をとる。
「さっさといくわよ。おばか」
「えー、だって、ヒメさん聞いてくださいよ。こいつら人のお金をとろうとしてるんですよ」
鼻息荒いあすみは、すでに戦闘モードだ。これはつついたら火が噴き出すやつだ。
「なんだよ、おめぇ」
三下がよく言いそうな言葉を不良たちが口にする。見た目は優男のヒメ相手に勝てると思ったのか。
「やだ、近づかないでよ。汗臭い男は嫌いなの。ほら、あすみ、行くわよ」
「えー、えー」
あすみの首根っこをつかんで、この場から離れようとすると肩をつかまれた。不良たちのなかで一番がたいのいい男が顔をのぞきこんでヤニ臭い息を吐いてきた。あー、臭い。
「てめぇのきれーな顔を見れないものにしてやろうか」
「あら、褒めてくれてありがとう。悪いけど、触らないでくれない?」
ヒメの肩をつかんでいた不良が前のめりに倒れた。
一体なにが行われたのわからないという顔の学生にヒメの口から嘆息が漏れた。
わざとらしい挑発にもう一人が殴りかかってきたが、これも見え見えの突撃でひょいと後ろに避けて、腹に蹴りを叩き込む。
おえっと声とともに倒れてしまった。あっけない。
もう一人は起こった事態が理解できず、わけがわからない顔で茫然としている。
「私も、私も」
「しなくてよろしい!」
ヒメはすぱーんとあすみの頭を叩くとずるずると引きずって、その場をあとにした。
公園の通りから角を曲がったところで足を止めて、ちらりと様子を伺う。追いかけてくる気配はない。
「うう、ひどい、ヒメさん! けど強いんですね。あれ力を」
「使うわけないでしょ!」
「えー、本当ですか! すごい!」
あすみがぱっと笑う。不満そうな顔がすぐに笑顔に変わるのを見ると元気な柴犬を思い出す。
「昔取った杵柄ね。思い出しくもない暗黒歴史だから、悪いけど、忘れておいて」
「えー、かっこよかったですよっ」
「喧嘩なんてしないに越したことないし、ああいうのはほっとくって習わなかったの?」
オーヴァードは通常の人間よりも身体面が優れている。力加減ができないことも多々ある。
幸い、ヒメ自身はそこまで肉体特化ではないが、一般人と喧嘩したいとは思わない。今だって相手の骨が折ってないかひやひやする。
「あれってかつあげでしょう? 悪いことですよ」
「だからって、あんなの相手してたらこっちがもたないわよ」
「だめですよ!」
あすみが仁王立ちで睨んできた。
「私たちは正義の味方なんですよ。UGNはそういう組織なんですよっ!」
「……さぁね、知らないわ」
はぐらかしてヒメは歩き出す。その背にあすみがえーえーと不満の声をあげる。しつこい。
めんどくささを感じたヒメは視界にあるそれを見て思いついた。
「コンビニがあるんだけどさ。任務途中の立ち食いも悪なの?」
「えっ」
「アタシ、アイス買うけど、あすみちゃんは何食べる? ああ、立ち食いも悪なら食べないかー」
「それは、それは、それはぁ~!」
悪が、正義が、悪魔が誘惑するぅとぶつぶつと口にして頭を抱えているあすみにヒメは両肩をすくめた。
結局、誘惑に弱いあすみはバニラアイスをヒメに奢ってもらい、二人して、コンビニ前で立ち食いに精を出す。
スマホが震えたのに見るとメールが来ている。
あれっと思ってタップすると【間違いメール。こちらのメールは誰か知りませんが、僕のところにメールがきました。内容をそのまま返信します】
自分が送ったカフェの地図。
手打ちしたアドレスが間違えていたのに気が付いてうわぁとヒメは声を漏らした。やらかした。
「どうかしたんですか」
「ううん。なんでもない」
えーと、こういうときどうするんだっけ。脳内で必死に対応を考えて【すいません。間違えメールをしてしまって、わざわざありがとうございます】したためて返信した。これでいいはずだ。
「あ、メールのやりとりっすか?」
「そう。UGNのやつね。今時、ラインぐらいつくれよって話よねぇ」
「ラインは個人が特定されやすいから難しいって話聞きました。私はメールのほうが好きですよ。支部でも、あ、これこっちじゃないほうですけどね。仲間たちでメールのやりとりして、すごく楽しかった」
あすみはそういうといそいそとピンクのでこったスマホを取り出してみせてくれた。
待ち受けは、若い子供たちとそれを見守る大人が映った写真。
「へへ、いいでしょう」
「うん。いいわねぇ」
その写真の者たちはあすみ以外はもういない。それをヒメは知っている。
その日は何事もなく自宅に帰宅し、うるさい弟と妹の相手しつつ、夕飯の支度やらを終えてくたくたに疲れてベッドに腰掛けるとスマホにメールが来ていることに気が付いた。
【とても、几帳面なんですね。気にしないでください。お互いさまです】
と、また返事がきた。
変な奴。
名前も顔も知らないオーヴァード――返信をタップする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます