第12話
日常は繰り返しの連続だ。
朝がきて、夜がくる。ごはんをたべて、働いて、眠る。ライフスタイルの変化からの影響を元に年齢における目的を達する。
ジンにとっては、そういうものだ。
時間経過による変化はあれど、変わらない日々の繰り返し。変わる必要もないし、変化を願うこともない。
世間でいうところの医者としてしごく真っ当な働きをして、周りの評価は悪くない。
UGNでも多少の問題行動は目をつぶられている。特に日本支部長の霧谷はすぐに人を切るようなタイプではないおかげでもある。
【好きな人とちょっと接近できた】
仕事を終えてスマホを見ると、メールがきていた。
間違いメールからやりとりが続いている名前も顔も知らない相手――女の子らしい。元気よく、最近のことを教えてくれる。
【よかったですね】
と返事をタップ。
なんとなく続けているこのやりとり。たいしたことないが、ほそぼそとした縁を切りたくなくて続けていた。
【めっちゃよかった。うれしい! あのね、戦闘する人ってどういうもの食べたい?】
これまた難題な質問だ。
【身体を動かす栄養になるものでしょうか】
メールがちょっと止まった。
【ちゃんと食べなきゃだめよ。春先はおいしいもの多いんだしっ】
怒りのマークがついている。怒らせた? けれど文面は心配しているようにも受け取れる。
どういう意図だろう。
わかりました、とメールを返す。そこで相手も忙しくなったのかメールが止まった。たぶん次は報告か。
夕方の時刻、帰路につくと、どこからかいい匂いが漂う。どこかの家庭の日常がそうして紡がれていると思っていたが、まさか自分の家からとは予想してなかった。
住まいは病院内に作ろうかと思ったがそうすると、仕事漬けになるのはよくないと意見されて断念した。今の住まいの貸家はUGNが用意してくれたものなので、広すぎる以外は快適な住処だ。
いつもは暗い玄関に明かりが灯り、いい匂いが内側から漂っている。
「おかえりなさい」
ドアが開いた。勝手に。
「……ヒメさん?」
「そろそろかなぁと思って、ちょっと力使って、探ってたのよ。出迎えようかなって思ってね。あ、お風呂の用意してあるからはいる? ごはんはちょっとまってくれる。もうすぐ炊けちゃうから」
「……はい」
返事をして、こういうのは慣れないせいかなんだか変な感覚だ。
昼間の誘い、本当にきたというのが第一の感想で、けれどヒメならくるかなとは予想していた。
「いい匂いがしますね」
「今日は餃子作ったの。食べれるわよね?」
こくんとジンは頷く。
玄関に入って靴を脱いで、廊下を進む。
「タオルとか置いておくわ。脱いだものは洗濯しちゃってもいい?」
「はい」
若干、廊下がきれいな気がする。
「掃除しました?」
「軽くね。埃が溜まっていたから、あ、寝室とかそういうのは入ってないから!」
「ありがとうございます」
「ジンさん待ってる間暇だったから。洋服、どこのとったらいいかしら?」
料理をしないジンは、そんなにもぱっぱっとできるのかと納得して、とりあえず好意に預かることにした。
湯舟にゆっくりと浸かり、さっぱりとして出るときにはちゃんと服が用意されていた。
リビングに行くと、キッチンに立つヒメが味見をしている。
「さすがアタシ、天才」
「……」
そっと気配と足音を消してヒメの後ろに行く。
「何作ってるんですか」
「うひゃあ」
ヒメが悲鳴をあげた。
オーヴァ―ドでも戦闘が苦手と主張するヒメはどうもこういう物理的な接近に弱いようだ。
「す、スープだけど、ジンさんも味見する? って、髪の毛濡れてるっ!」
「自然に乾きますよ」
「いやいやいや、だめよ。ジンさん、なに、美しい人ってほっといても美しいままなの? 手入れしたらもっと美しくなるの?」
ヒメが呆れた顔で、ジンの手をとってリビングのソファ前の床に座らせるとドライヤーで髪の毛を乾かしにかかる。
指先が髪の毛を愛しむように撫でていくのをジンはじっと見つめていた。ヒメの指は淡いピンク色で、まるで宝石を宿しているようにきらきらしている。
心地よさにジンは目を細めた。
「これだとお礼になりませんね」
「え、あ……いや、うん。いいんだけど、ごめんなさい。いつもの癖で」
「いつも?」
「妹と弟がいるの。あの子たちも、髪の毛濡れたままよくほったらかしで乾かしあげるの。はい。出来た。夕飯にしましょ。ごはんついじゃうわね」
「手伝いましょうか?」
「ううん。座ってて」
ヒメは、家でもそうなのだろう。大きな丸皿にハネのついた餃子を盛り、卵とわかめのスープ、白いつやつやのご飯を出してきた。シンプルだが、量がある夕飯がテーブルに並ぶ。
「いただきますっ!」
手を合わせたヒメが餃子を食べていくのに、ジンも習い、餃子に口つけた。
タレは僅かに甘く、さくっとした餃子の皮が破けて肉汁とにらの味がする。野菜の苦味を肉がうまく包んでいる。
「口にあった?」
伺い見るヒメにジンは頷いた。
「おいしいです。これ、市販ですか?」
「ううん。タネから全部、作ったわよ」
「へぇ……冷凍餃子と同じくらいおいしいです」
褒め言葉のつもりだが、ヒメがぽかんとした顔をしてジンを見つめたあと、ぷっと吹き出した。
「冷凍って、それ褒めてないわよ。ジンさん」
「そうなんですか?」
二つ目を食べながら聞き返す。
「手作りにそれはないわよ」
別段怒ってる様子もないヒメの言葉を聞きながらジンは三つ目にかかる。食べ始めると、これがなかなか止まらない。
「にらだから食べやすいでしょう」
溶き卵のスープは塩こしょうのみの、シンプルな味。卵の甘みとわかめの歯ごたえがある。
どれもおいしいがお米がつやつやと輝いて、噛むと甘い。
「何かいれてます、これ」
「蜂蜜よ。艶が出るし、おいしくなるの」
そんな裏技があるのかとジンは素直に感心した。いくら脳内処理が人よりも格段に早いシンドロームを持っていたとしても、所詮は自分の知っている知識に偏る。知らないものは無知もいいところだ。
「いっぱい食べてね」
「ヒメさんは?」
「食べるけど、デザートあるし」
「デザート?」
「杏仁豆腐作ったの」
「それも手作りなんですか?」
「あんなの簡単よ。というか、ジンさんの家、ほぼなにもなくてびっくりしたわ」
「冷蔵庫のことですか?」
「そっちも空っぽだったけど、お皿関係がほぼなかったから」
あ、とジンは思い出す。この食器はどこから現われたのだろう。
「買ってないわよ。うちの家から余ってる食器をママに確認とってもらってきたの」
ヒメが先回りして答えてくれたのにジンは納得した。
最低限のものしか置いてないこんな家で、まさか、ここまであれこれとあるとは思わなかった。
時間があるというが、家の掃除をして、ごはんを作ってくれたヒメの手際のよさはすごいと感心する。
「ジンさんって、生活面わりと手を抜いてる?」
「……あんまり興味なくて」
「そっか」
深くつっこんでこないヒメはスープを啜り、皿が空になったタイミングで冷蔵庫で冷やしている杏仁豆腐を出してきた。
真っ白い杏仁豆腐は甘すぎ、食べやすい。
さすがにここはよくない。
食後食器の片付けを手伝おうとして、ヒメの無防備な背中が見えた。よくないなぁと考えながら自然と気配を殺して近づいていた。
「なにしましょうか」
「うひゃあ! あ、あっ! お皿っ、ひぃー」
一度宙に飛んだお皿を両手でキャッチして、はーはーと息を荒くしたヒメが恨みがましくジンを睨む。
そこまでする気はなかったが、効果てきめんすぎた。
「じゃあ、拭いて棚に置いていってくれる。あ、あと明日の、お弁当は何か食べたいものある?」
ジンは目をぱちぱちさせた。
「明日のお昼の話だけど、あ、弁当のあまりが朝ご飯かな」
「……今から作るんですか?」
「うん。簡単なものになると思うけど、あ、詰めるのは自分でしてね?」
「ごはんをつめる?」
おかずとごはんを入れるという行為が考えつかないジンが悩んだ顔をしたのにすべてを察したヒメが
「お弁当詰めておくから、冷蔵庫の忘れないでね」
ヒメはあっという間に弁当を詰め、朝に食べていいぶんはお皿にまとめてラップして冷蔵庫にしまってくれた。
明日の朝はこれを食べていいらしいとジンはしげしげと見つめた。
「ヒメさん、慣れてますね」
「兄弟が多いからねぇ。あと趣味でもあるし、お酒とか家で漬けるの。場所がなくなっていろいろと試せなくなっちゃったんだけど」
「……ここのあいてるスペースならいくら使ってもいいですよ」
さらりと、そんな言葉を口にするとヒメが驚いた顔をした。
お礼に、と口にしたのに、結局食べさせてもらっている。だったらヒメがやりたいことのためにこの空間を提供するのはいいお礼になるはずだ。
「本当? いいの?」
目を輝かせて嬉しそうにしているヒメはとても可愛い。本人はわかっていないが、小さな仕草や言葉使いが全部、細やかで、花びらみたいに頼りなくて目が離せなくなる。
「ジンさんにも飲ませてあげるわ。おいしいのよ」
「楽しみにしてます」
そう答えたあと、そろそろ夜もだいぶ更けてきたが、ヒメはこのまま泊まるのだろうか。客間はあるので問題はないはずだ。
「あ、帰るわ」
「……帰るんですか?」
「さすがに、泊まれないわよ」
「いいですよ。僕は」
少し引き留める言い方に自分に驚く。しかしヒメは首を横に振った。
「だめよ」
ヒメにはヒメの線引きがあるらしい。きっぱりとした口調で言われては引き留めることもできない。こういうときバロール能力者は厄介だ。時間や距離を言い訳にできない。彼らは一瞬にして自分の行きたい場所に行ってしまう。
会いたいと思えば何も妨害は出来ず、それを叶えてしまう。
さっさと玄関に向い、靴をはいてしまったヒメは踊り子みたいに身軽だ。
「じゃあ、ジンさん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
挨拶を交わしたと思えばヒメは手をふって玄関を出ていってしまった。鍵を閉めることも忘れない。
礼儀正しくて律儀な態度だなと思っていると、スマホが鳴った。画面を見るとヒメの名前が出ている。慌ててジンはとった。
「はい。ヒメさん、どうかしました」
「あ、あのね、仕事用なのにかけて、ごめんなさい。それで確認だけど」
「はい?」
上ずった声でヒメが聞いてくる。つい、ジンもつられて早口で返していた。
「おいしかった?」
「おいしかったです。すごく……冷凍よりも」
ぷっとヒメが吹き出した。
「じゃあ、また明日作りにいってもいいかしら? それとも家の鍵、ポストにいれたほうがいい?」
甘ったるい飴玉を嘗める声で尋ねられて、一瞬だけ脳が考えることを放棄した。痺れたような熱がこみあげて、胸が少しだけどきどきする。
「また出迎えてくれますか?」
「もちろんよ、ジンさん」
「じゃあ、明日も。これくらいの時間で」
「うん。じゃあ、鍵、返さないから。明日も使うから」
電話越しにヒメの嬉しそうな声にどろりと脳が溶けたような感覚に陥った。とても熱くて、熱くて、どろどろの、けれどそれは少しすれば消えてしまう。
どうしてか心臓だけがひどくうるさい。
同時にメールがはいる。
【好きな人にごはん作って喜ばれた。嬉しい】
迷った末
【僕も、今、ある人にどきどきしてるんですけど、これって好きってことでしょうか】
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