第5話 神っぽいな それ

 アイノエに頼み、集まっていた人たちにウシを立ち上がらせて、動かないようにロープで固定するように指示を出してもらう。


 牛が苦しそうに唸ると、その場には緊張した動揺が走る。


 ウシにもヒトと同じように表情がある。

 このウシも立っているのがやっとの表情で、いつ倒れてしまってもおかしくはないといった様子だった。


 準備が整うまでの間、とりあえず直腸検査をしようと思うが、直腸検査用の手袋を持っていないしどこにもない。

 きっとこの世界を隅から隅まで調べたって見つからないだろうから、きっぱりと諦めて素手で行くしかないだろう。

 

「よしっ!」


 気合いを入れて腕を捲り、肛門に指先からゆっくりと沈めていく。

 とはいえ、手袋無しで直に手を突っ込むのは初めてのこと。

 いつも以上に温かい腹の中に、直に感じる糞の感触に背筋がゾクゾクしてくる。


 手のひらで中の糞を外へと掻き出して、直腸の中を空にして自由に手を動かせるようにする。それから腸壁越しに腹の仔牛を確認すると——


「あれっ⁉ 生きてるっ!!」


 動いている。

 仔牛はまだ腹の中で生きていた。


「おい、まだ生きてるぞ! 悪魔なんていないから急げ! ホントに死んじまうぞ!」

 

 そう声を上げたタイミングでちょうどロープが届き、僕の頼んでいた物が全て揃った。


 持ってきてくれた猫耳や犬耳の方たちは、一様に「お前は誰だよ」と言いたげな顔をしているが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


 バケツの水を親の尻にかけて汚れを綺麗に落とし、自分の腕もしっかりと洗う。


「水が無くならないように、どんどん持って来てよ」


 本当なら消毒液を使って感染症対策をしたいところだが、あるものといったら水ぐらい。とにかく物量で衛星的な状態を保つしかなかった。


 ロープを洗ってから、仔牛の脚を片足ずつ球節の上でしっかりと結び、ロープの反対側はギャラリーへ。


「皆さんいいですか? 僕が合図したら力の限り引っ張って、もう一度合図したら止めて下さい。それを繰り返しますので——はい、引っ張って‼」

「ヴオォォーーー!」


 いきみはしっかりとある。

 けれどいきみに合わせて引っ張っても、仔牛が出てくる気配が無い。


「止めてください」


 両腕を捲って綺麗に洗い、もう一度親の尻と仔牛の脚の汚れを落とす。

 それから、隙間から親の陰部へと手を突っ込む。

 

 なにやら背後でざわめきが起こり、振り返ってみれば皆が一様に、目を丸くしていた。

 

 そんな反応をされてしまうことに僕が驚いてしまうが、唯一の味方だと思っていたアイノエも皆と同じ反応で、彼女は口まで開いている。


 ふと、これで僕にも悪魔が降りたなんて言われたらどうしようかと心配になるが、考えてみればこの仔牛が助かれば悪魔なんて関係ない。

 無事に出産させてしまえば、何の問題も無かったことになる。


「引っ張って‼」


 枕詞に「僕のために」と付きそうになるが、あくまでもこれはウシのためだ。

 

 親も背を丸めて仔牛を出そうと必死だが、仔牛の腰が引っ掛かってしまっていて排出されずにいるようだった。

 

 子が大きすぎる——完全に過大児だ。


 産道は完全に緩みきっているから、これ以上広がることはない。


 やっぱりパワーでどうにかするしかないらしい。


「ヴオォォーーー!」

「よし、引けーーー!!!」







 歓声が上がったのはそれから一時間後のこと。

 親の腹から引きづり出された、巨大な仔牛はしっかりと生きていて、すぐに立ちあがろうとモゾモゾしていた。


 一方で親の方はと言えば、放心状態だった。

 何も問題なく無事ではあるが、仔牛を舐める元気も、立ち上がる気力も無いといった様子。寝転がって唸っている。


 そして我々はといえば、


「なんてことだっ! 悪魔が追い払われた!」

「この村の守り神に違いない」

「彼がいれば、我々は豊かになれるぞ!」

「守り神、万歳!」


 村人たちは無事に仔牛が産まれたことで、歓喜していた。

 そして、我々というか僕は、村の守り神へと祭り上げられようとしていた。

 

 ついさっき、 タランティン・クエンティーノがこの村の守り神と聞いたばかりだが、あいつはどうするつもりなんだろうかと心配になってしまうが、そんなことよりも大切なことがある。


「みなさん、ありがとうございました。無事に出産を終えることができました。ところで、この家畜はどのような用途で飼われているんですか?」


 あくまでも持論だが、この村に本当に必要なのは、守り神などではなく正しい知識だと思う。


「うちは荷運びや、農作業をやってもらってる」

「うちは雌が多いから、乳を搾ってるよ」

「仔だったら他所の村に売ったらいい金になるからな」

「もちろん最後は肉にして食べるけど」


 やはり、概ねウシだ。

 ということは、


「じゃあ、今生まれたこの子だったら売ったらどれぐらいになりますか?」

「どうかな、三カ月ぐらいは食うに困らないんじゃないのかな」

「それぐらいにはなりそうだね」

「それにしても大きいなぁ」


 家畜としての価値もウシと同等。

 

 農家にとっての家畜は資産である。

 そんな資産をのうのうと死なせてしまうなんて、見ていられない。

 それ以前に悪魔の仕業なんて言って、救えるはずの命を見殺しにしてしまうなんて、そんなことはあってはならないことだ。


「トウマ、おまえスゴイ奴だったんだな! まさかこの子が助かるなんて思ってもみなかったよ」


 ちょうどいいところにアイノエが話しかけてきた。


「いえいえ――ところで、アイノエさん。僕がどうやって悪魔を追い払ったか知りたくないですか?」

「教えてくれるのか⁉」

「もちろん」


 するとアイノエはさっそく大声を上げて、村人たちに吉報だと知らせてしまい、村人たちが色めきたった。


「悪魔の追い払い方が分かれば、わたしたちの生活ももっと豊かになるよ」

「ただし条件がありますよ」

「なんでも言ってみな。悪魔の追い払い方を教えてくれるなら、村を上げてなんだって叶えてやるよ」


 アイノエは「ドンと来い」とでも言わんばかりに、胸を叩いてみせた。


「では遠慮なく言いますが……この村に僕の住む場所を確保してください。あと、授業料として食事の確保なんかを——」


 自分としては随分と大きく出た申し出だと思ったが、 


「なんだよ、そんなことか。それだったらわたしの家に住んだらいいよ。なんだったら結婚するか?」

「…………」


 この村の方たちは随分とおおらかな気質らしい。

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