第29話 

「なんだその顔、面白いな。酒の肴にちょうどいい。どれ、もっとよく見せてみろ」

「冗談言ってる場合じゃないでしょ!」

「あっ! 馬鹿野郎、 何しやがる!」


 口へ運ぼうとしていた酒瓶を取り上げると、酔っぱらったハーディ医師は抗議の声は上げても、怒りに任せて殴ってくるようなことはなかった。

 ただ、抗議の声は医者とは思えない罵詈雑言で、僕を見る目はまるで親の仇。

 

「先に説明して下さい! 説明!」

「死に損ないが何を言うかと思えば……儂から生きる喜びを奪っておきながら、 言うに事欠いて説明をしろだ? ふざけるなっ! 返せっ!」

「あなたもたいがい死に損ないでしょうよ」


 ハーディ医師は諦めずに酒を取り返そうと腕を伸ばしてくるが、その動きは歳のせいなのか、酔いのせいなのか、死に損ないよりも緩慢。愚鈍と呼ぶに相応しい体たらく。

 

 酔っぱらったベルイノから酒を奪うのとは違い、身に危険を感じなくて済むことは嬉しいが、老いぼれの醜態を見ているというのは精神へのダメージが非常に大きかった。

 それが酒を取り上げた自分のせいだと思うとより一層だ。

 

 耐えられずに酒瓶を返すと、ハーディ医師は最愛の人に再会できたみたいな喜びようで、瓶の口へと熱烈な口づけをする始末。


「……さっさと教えてくださいよ」


 これがいわゆるアル中というものなんだろうが、今までの人生で会ったことが無かっただけに衝撃的過ぎる。

 どれぐらい衝撃なのかと言えば、なんだか体調が悪くなってきた気がするぐらい。

 改めて、本当に医者なのか疑問になってくるが。


「オマエ、あいつらとはまだ寝とらんのか」

「……はい?」

「誰でもいいんだ、誰かと寝とらんのか? 分からんのか? セックスだぞ?セックスはしとらんのかってことだ」

「…………」

「だーからっ! セックスだっ! セックス!」

「…………」


酔っ払いの戯言としか思えなかったが、


「まさかお前……あれだけヒトの女どもをはべらせてせておきながら、誰とも寝とらんとか言うつもりじゃないだろうな?」


 と、信じられないとでも言いたげな表情お医者。

 つい今しがたまで座っていた目もしっかりと開いていて、どうやら酔いも冷めている様子。


「……だったらなんだって言うんですか」


 するとハーディ医師は、何かを察したかのような表情を一瞬浮かべたかと思うと、今度は同情するかのように僕の肩に手を置いてきた。


「気を落とすなよ。遅かれ早かれ皆そうなるんだ……勃起しなくたって男は――」

「ちげーよっ!」


 あらん限りの力で老いぼれの手を叩き落とした。


「なんだ違うのか? なら余計になんで抱いとらんのか理解できないな。あの酒飲みの女はなんて名前だったか、ベルなんとか? あいつなんて頼めばやらせてくれるだろう?」

「それだけは無い!」

「そうなのか? 目が無いのはあれだが、面はなかなかだと思ったがな。それとも、片腕の――」

「教える気が無いならもう出て行ってください!」


 反射的に語気が強くなると、ハーディ医師は不服そうにブチブチと小声で文句を言っていたかと思うと、


「儂も今ではこんなだが、かつては名医と呼ばれとったんだ」


 そう口火を切った。


なんと返したものかと思い、つい今までの調子で「信じられないですね」と。

しかし、「だろうな」と短く言ったハーディ医師の言葉には、もう少しも酒が残っていないのが分かった。


「学校を一番の成績で出てから、すぐに町で一番との評判が立った。その評判は隣の町に伝わり、また隣の町へ。評判が評判を呼んで、次から次へと患者がやってきたんだ。そのうちに評判は上がるところまで上がって、治せないものは無いとまできた。その評判を本当のものにするべく、血の滲む思いで懸命に努力をした」


 ハーディ医師は小さく笑って、「信じられんだろ」と。


「今となっては儂自身も信じられん。ただあの時は、儂が救えない命は誰にも救えないと思っていたし、実際にそうだったんだ。だから、死なせてしまった数も多かったが、それ以上に救う為に努力をしていたが――ある晩、突然男のヒトが転がり込んできて、妻が崖から落ちて動けないから助けてくれと言ったんだ」

「人間じゃなくてヒトだったんですか」

「そうだ。どういう経緯があったのかは知らんが、後ろめたいことがあったのは間違いだろうが、男は気が動転しておったし、儂は「助けてくれ」と言われただけで脊髄反射のように動いておった――それなりに酷い状態だったが、どうにもならない程ではなかったが、腹に太い木の枝が刺さってしまって穴が開いとるのが厄介だった」


「丁度今のお前さんみたいにな」と、僕の腹を指差したハーディ医師は口へ運ぼうとした酒瓶を途中で止めると、その瓶の口を見て何か物思いに耽ったかと思えば、口を付けないまま下ろしてしまった。


「考えてみろ。わしは人間の医者で、人間しか治療したことがないし、人間の身体のことしか知らん。飼っているからといって、ダラボンやホルスエの病気や怪我を急に治せるかといえば、そんなことはないだろ」


 その言葉を聞いた時、違和感があるように思った次の瞬間には、その正体に気付き、僕のこの世界での認識が間違っていたことがよく分かった。


「どうした? 顔色が悪いが傷が痛むか?」

「いえ、大丈夫です。ただ、話の中で気付きがあったものですから……どうぞ続けてください」


 僕はよくあるファンタジー小説や異世界転生モノみたく、ヒトは亜人として人間から差別されて迫害を受けているものだと思っていた。

 この亜人というのが、どういう種を指して使われる言葉なのかは厳密には把握していない。ただ、勝手なイメージかもしれないけれど、亜人種差別といったら異世界あるあるの1つだろう。

 

 だから、幸か不幸か異世界転生モノを齧った程度の知識を有し、異世界転生してしまった身としては『ヒトは人間に差別されている』と理解していた。


 しかし今のハーディ医師の話だとどうも違う――というのも。


「だから儂は腹の治療をする為に、まず腹を開いて、人の腹がどうなっているのかを知るところから始めなくちゃいけなかった。しかし、開いてみれば内臓の見た目どころは、形も配置もまるで人間と同じだったんだ。手は動いても、頭の中は真っ白だったよ。まさか違う種類の生物で、こんなことが起こり得るのかってな」


この世界ではヒトは差別ではなく、完全に区別をされている。

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異世界でも国家資格は通用するようです ~家畜人工授精師をご存じですか?~ かぼちゃ @sawsee

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