第8話 この片耳がわしの存在証明じゃ!
「望むものを揃えればよいな?」
不適に笑うベルイノに悪い予感がする。
「おい、言っておくが僕の技術と知識は万能じゃない。むしろ村長が思ってる——」
「わしのことはベルイノでよいぞ」
「あ、あぁ。ベルイノがどういう——」
「ベルイノ、さん! は欲しいの。 さん、は」
「……ベルイノがどう考えているかは知らないが、おそらく、想像とはかけ離れている思った方がいい」
こいつに関しては絶対に敬称も敬語も使わない。 敬って欲しいなら、敬ってもらえるように努めろという話だ。
しかし僕の話を聞いたベルイノのは、口をすぼめて残念そうな顔をするだけで、「そんなに警戒せんでも良い」と。
「ただの、トウマの有しておるその技術と知識が、この村に対してどれだけ益をもたらすのか気になっておるんじゃ」
突然ベルイノは子供のような無邪気に笑って、「実験をしてみよう」と身を乗り出してきた。
「実験って、何をするつもりなんだよ?」
ベルイノは「獣の子を作るんじゃ」と。
「アイノエやわしは狩人じゃ。野にいる獣を捕らえる事を生業にしておる。その獣らを生け捕りにし、トウマに仔が増やせるかを試すんじゃ」
あまりにも突拍子もない内容に、半ば呆れてしまった。
そんな結果は、実験をするまでもなく分かりきっていて、検討する余地すらない。
「僕が仔を増やす——繁殖って言うけど、繁殖ができるのは、本来はウシっていう動物だけなんだ。ダラボンは奇跡的にウシと似ているから分かるけど、他の動物の繁殖なんてできない」
そもそもだ、
「ダラボンがいるんだから問題ないだろ」
そんな僕の言葉を手で制してくるベルイノの顔は、酔っぱらいでも、若い女性でもなく、交渉の場についている村長としての顔だった。
「だから、実験だと言っておるじゃろ。試してみるだけで、できるかできんかはどうでもよいんじゃ」
「試しみるって言ったって、そのためにわざわざ野生動物を捕まえてくるんだろ?」
「もちろんだ。肝心の獣がおらんと何もできんじゃろ」
「だけど、わざわざ実験のために野性動物を捕まえてくるなんて——」
「それが何か問題があるかの?」
一瞬、なんと言ったものかと言葉に窮したが、
「可哀そう……じゃないか」
出てきた言葉は、言った後に違和感というか、スッキリとしない気持ち悪さがあった。
何が原因なのかはまったく分からない。
ただベルイノとアイノエも、不思議そうに顔を見合わせていて、自分の言葉の違和感の正体に気付いた。
間違っていたわけではない。
ただ、正しくもなかった。
僕は野生動物を人間の都合で捕まえることを可哀そうと言ったが——この「可哀そう」とはなんなのか。
家畜だって遠い先祖を辿っていけば野生動物だった。野生の動物を、人間の都合の良いようにしたのが家畜なのだから。
ふと、農業高校でのことを思い出した。
学校見学に来ていた中学生の女の子が、牛舎にいる乳牛を見ながら、こんなことを聞いていた。
「この子たちって、自然には帰れないんですか?」
できないことはないかもしれない。
ただ、人間の元で経済動物として生まれ、経済動物として育てられた動物が、突然野生に戻って幸せなのかどうか——そんな長ったらしい説明が教師の返答だった。
はたして、動物の幸せとは何のか。
野生動物であれば当たり前だが、ヒトの管理下にいるより、野で自由に過ごしていた方が幸せだろう。
では家畜、経済動物の幸せとは何になるのか——分からない。
牧場で働く農業従事者たちは、動物の幸せのために一生懸命に世話をするという言い方をすることがあるが、その幸せとは何を指して言っているのか。
昨今、『アニマル・ウェルフェア(動物福祉)』という言葉が、日本の畜産業界に浸透してきているが、これに照らし合わせるならば、「人間の管理の元で、快適な生活を送ること」が、家畜の幸せにのなるのかもしれない。
言い方を変えれば、人間側に対して、家畜の幸せのために一生懸命に世話をしなさいという、心掛けにのようなとのである。
人間の心掛け一つで、幸せが左右されてしまう家畜とは、いったい——考えていると、とても複雑な心境になってくる。
「トウマ、大丈夫?」
肩を叩かれて我にかえると、アイノエが心配そうに顔を覗き込んでいる。
「顔色悪いよ?」
「いや……ちょっと……」
なんと言ったらいいのか、分からなかった。
「トウマよ、言いたいことは分からんでもない」
ベルイノは言葉を探し、ゆっくりと、そして慎重に言った。
「重要なのはどちらの命が大切かじゃ」
その続きは、堰をきったように話した。
「我々の生活は狩猟に重きが置かれておる。ダラボンの飼育はしているが、今の状態ではそれだけで村全体を養うことはできない。我々は狩らねば生きてはいけないのじゃ。生きるために獣たちを狩っておる」
「何が言いたいんだよ」
「我々にとっての狩りというのは、それ以上でもそれ以下でもない。獣の命よりも、我々の命が大切だからじゃ。もしも村で獣を増やすことができれば、狩に行く必要が無くなる。狩に行かなければ、危険な目に遭うことも無くなり、村の皆が平穏に暮らすことができる。村人の命のためとあれば、わしはなんだってやろるし、どれだけでも獣を狩ってみせる——わしがこの村の村長じゃ」
真っ直ぐに僕の目を見据えてそれだけ語ったベルイノは、不意に気の抜けてしまったように、
「もっとも、協力できんと言うならしかたないからの。強制はせんから安心せい」
「ベルイノ? それでいいの?」
「仕方ないじゃろ? やる気の無い奴にやらせるのは好かん。それに、トウマの言う通りダラボンの世話だけでも充分に村の益となっとるじゃろ」
「だけどそれだと……」
言葉を濁すアイノエに対して、ベルイノは安心しろとでも言うように、笑って目を向けた。
どうして彼女の耳が一つしかなく、顔と体にはいくつもの傷跡が残っているのか。そして、どうして彼女が村長であるのか、分かったような気がした。
「……やるよ」
「「えつ⁉︎」」
まだ気持ちは固まりきらずにブレブレなのに、言葉が口から溢れてしまっていた。
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