第7話 酒は飲むより飲まれる方がキモチイイんじゃ!
布をくぐって掘っ建て小屋の中踏み入ろうとしたが、中の惨状に思わず足が竦んでしまった。
ゴミなのか物なのか、どこにも足の踏み場は見当たらない。臭いこそ無いものの、正真正銘の立派な汚部屋だった。
こんな空間に滞在するなんて、蕁麻疹が出そうだ。もしも蕁麻疹が出なかったとしても、変な虫に刺されかねない。
こう見えても僕はなかなかデリケートなんだ。
やっぱり村長の話なんて無かったことにしよう。
そう自分に言い聞かせて踵を返そうとするが、
「おまえがトウマか!」
既に手遅れのよう。
布をくぐる前に退散しておけばよかった。というか、この布を見た時に気付くべきだった。
勝手に暖簾だと解釈していたが、考えてみればそもそもこの小屋には戸が無いじゃないか。
仮にも住居なのにだ。
戸の代わりにこの布を下げていたのかもしれないが——それであればちょっと頭がどうかしているとしか思えない。
そして、どうして村長ともあろう者が、こんな村のはずれにいるのかが理解できた。
追いやられたとしか考えられない。
まだ村のことなんて全然分からないけれど、これに関してだけは「絶対にそうだ」と言い切れる確信がある。
どうしてこんな魔窟みたいな場所に、果敢にも入ってしまったのか、数秒前の自分を呪いたい気持ちで一杯だ。
しかし、いくら魔窟の造成者であっても、腐ってもこの村の村長。
いっそ本当にこの掘っ立て小屋と一緒に腐ってくれればいいけれど、今はまだ村長である。
村で世話になっている以上、礼儀としてせめて自己紹介ぐらいはと、
「はじめまし、デェッ!!」
振り返り様に視界の端でとらえた物体は、認識するよりも早く、僕の身体へ突っ込んできた。
そして、物凄い衝撃で外へと吹っ飛ばされる。
軽トラで信号待ちをしている時に、後方からワンボックスカーが突っ込んで来たぐらいの衝撃だった。
あまりに突然のことでその瞬間の記憶が飛んでいるし、交通事故あるあるの首の鞭打ちのような前兆もある。
何が起こったのか、まったく理解することができなかった。
「おぉ、飛んだねえ」
こっちの気なんて知らないアイノエが、掘っ建て小屋の中から顔を出し、「それ、村長ね」と指差したのは、僕の腹に抱き付いている小柄な女性。
「はっ⁉ これがっ⁉ ——うわっ!」
その頬は赤く染まっていて、目は半分ほどしか開いていない。顔を上げてトロントした表情で僕を見るが、その息は猛烈に酒臭かった。
完全に酔っ払いだ。
「酒クッサ! アイノエさん、助けて下さい。こいつ離れない!」
「無理だよ」
努力する気が微塵も無い、早過ぎる諦め宣言だった。
「アイノエからは聞いとったが、本当に人間だな!」
「ちょっ、ちょっと!」
「うわっ! 尻尾ない! アイノエ、尻尾、無い!」
「そうだね~、無いね~、わたしの尻尾はあるけどね~」
「おい、離れろっ! くっつくなっ!」
「耳もなんじゃこれ、キモっ! 顔の横に着いとるぞ、キモっ! ヒトの耳キモっ!」
「キモいはダメだね~、可哀そうだよね~」
そんな調子で僕の体をベタベタと触りまくる酔っ払いを、なんとかかんとか引き剥がそうとするが、めちゃくちゃ力が強い。
明らかに体のサイズに合っていない膂力で、酒の恐ろしさを思い知らされる。
やっとの思いでアイノエに引き渡してもなお、不思議な力でも働いているのか、憑かれたように僕の方へと来ようとする酔っ払い。
「なんなんだ、この酔っ払いは!」
「うちの村長だよ」
「そんなことは聞いてません!」
アイノエに酔っ払いを押さえつけてもらい、口の中に水を流し込む。
酔っ払いはアップアップいいながらも水を飲み下していたが、とうとう限界が来て盛大に吹き出し——そして吐いた。
「ぷはぁー、酔いが冷めたわ。せっかく飲んだ酒がもったいないけどの」
気分良さげに言う酔っ払い、改め村長。
しかし僕とアイノエはといえば、もう既に疲労困憊だった。
「わざわざ来てもらって悪いの、トウマ。そんなかしこまらんでいいからの」
そして「わしの名はベルイノじゃ!」と、やや顎を上に向けながら名乗った。
しかし、その姿に威厳は無い。
服がはだけていても気にする様子もなく、土の上に胡坐をかいて笑っているその姿はアイノエよりも若く、未成年にしか見えない。
とはいえ、先ほどの出来上がり具合だ。立派な大人であることは間違いないのだろう——もっとも、立派な大人の振舞いとはかけ離れていたが。
これはアイノエや他の村人たちにも共通していることだが、どうにも見た目と実年齢とに大きなギャップがあり、正確な年齢が分からない。
ただ、この村長は他の村人たちとは明らかに違っている点があった。
頭にあるのはクマの耳だろうが、片耳しかない。
そして顔には大きな傷跡が一つ。
はだけている服の隙間からも、傷跡がいくつか覗いていて、いったいどういう経緯でそんな傷跡が付くのかは分からないが、見た目通りの女性ではないことだけは理解できた。
それでも——
「まず言うことがあるのではないでしょうか?」
「むむっ⁉」
「むむっ、じゃねえよっ! どんだけ迷惑被ったと思ってるんだ!」
「そんな怒ることないだろw」
「笑い事じゃねぇよ! あんたが口から吐き出した水どころか、ゲロまでかけられてんだぞっ!」
いくら言ったところで、ベルイノと名乗った村長は笑いながら飄々と聞き流すだけで、まったく意味が無かった。
「それはそうとして、悪魔を追い払って仔牛を助けてくれたらしいの。遅くなったが礼を言う」
「おっ? おぉ——」
突然のしおらしさに困惑してしまう。
まさかこちらが本来の彼女なのではないかと思ってしまうが、そんなまさか。常識を弁えている奴が、あんな風にはならないだろう。
強いていうなら、今が村長のフリをしているという方が正しいのではないだろうか。
「ところで、足を運んでもらった件なんだが、トウマは獣を孕ませることができるっていうのは本当なのか?」
「孕ませるって言い方は好きじゃないけど——できる」
そんな用件で呼ばれたのかと、拍子抜けしてしまうぐらいの用件じゃないか。
「でも、特定の動物にしかできない。ここでいうウシ……ダラボンみたいな種類の動物だな。あと、より正確に言うなら技術があるって言うだけで、条件が揃わないことには何もできない」
すると、ベルイノはそれだけ聞ければ満足とでもいうように笑った。
「では、望むものを揃えればよいな?」
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