第6話 ウシの胃袋は四つ! テストに出すから!

「はーい、昨日の復習から始めます。ウシには胃袋が何個あったでしょうか……分かる人!」

「トウマ、またウシって言ってるー」

「ウシじゃないよー、ダラボンだよー」

「ダラボンだなんてそんな気やすく呼べないので、僕の授業ではウシになりました。昨日も一昨日も言ってます——はい、胃袋、分かる人」


 集会所に村人たちを集めて授業を始めて一週間になる。

 はじめはたくさんいた村人も、日中に仕事がある為に足が遠のいてしまった。


 仕事が終わってからの夜にしようかと提案はしてみたが、夜は家族との時間があると拒否された。


 結局、僕のダラボン改めウシの授業に顔を出しているのは、まだ仕事に就く前の子供たちばかり。村の奥様方の間では、学校というよりも託児所として機能しているらしいが、それでも僕は諦めない。


「それじゃあ、白い耳がフサフサの子、分かるかな?」

「わたしの名前はクツナヒだよ」

「あぁ……すみません」


 しかし、生徒たちの名前が全然覚えられず、授業はまったく進まなかった。

 「君」とか「お前」といった呼称を使おうものなら、その都度「私の名前は~」といった調子で自己紹介が始まってしまう。


「クツナヒ昨日も言ってたよ」

「そういう君の名前はなんだっけ?」

「カリスネだよ!」

「……すまん、たぶん明日もう一回聞く」


 このやり取りだけでどれだけの時間を消耗したのか。

 頻繁に来る子供はようやく半分ぐらい覚えたが、まだ完全には定着しておらず、一日空いてしまうともう飛んでいたりする。

 いかんせん日本人とはまるで違う名前ばかりで、音の羅列にしか聞こえない。

 

 おそらくはアイノエが「狩人」という意味だというように、どの名前にも意味があるんだと思う。

 その名前の意味を理解していれば、僕の覚えも良くなるはず。もともと記憶力は悪い方じゃないのだから。

 

 しかし幸か不幸か、この世界でのコミュニケーションには不自由することが無い。

 言葉が通じないのであれば、必死に勉強したのだろうが、する必要がないのであればそれにこしたことはない。

 なにせ語学の習得は骨が折れるから。

 

 そこの苦労を省いている分、名前の意味を理解する術もなく、ただ音の羅列として名前を記憶していかなければならなかった。


 せめて四文字ではなく、三文字で治まってくれていれば、もう少し覚えやすいのだが。


「おっ、今日もやってるね~!」

 

 噂をすればなんとやら、突然戸口から顔を出したのはアイノエだった。

 彼女の顔を見た途端、子供たちは僕の授業なんてどうでもよくなり、駆け寄っていく。


「あら、お勉強しなくていいの? トウマ先生が教えてくれてるんじゃないの?」


 そんな風に言ってくれるアイノエ。しかし気遣いは無用だった。 


「だってトウマ全然名前覚えないし」

「わたしたちだけ覚えるなんてズルいよ」

「わたしなんて四回も名前言ってるもん」


 頼りになる姉御肌のアイノエを前にして、僕へのフラストレーションが噴出しているのが目に見えるようだった。


「あはー♪ トウマ先生ダメダメじゃんw」

「……喧しいわ。ここに来るなんて珍しいじゃないですか。どうかしたんですか?」

「村長がトウマに話したいことがあるって言ってるんだよ。ちょっと顔貸してくれない?」

「村長が?」


 授業中だとはいえ、子供たちがこの状態ではとても続行できそうにない。 結局、今日も何も進まないうちに終わってしまう。

 いったいいつになったら本格的な授業を始めることができるのか。

 

「なんでもダラボンの仔牛のことについて聞きたいことがあるらしいけど」

「まぁ、いいですよ」


 思い返してみると、一週間もこの村に住んでいるがまだ村長と顔を合わせたことがない。


 主人公が村を訪れた時、だいたい最初に村長が出てくるイメージだが、ここの村長はまったく出てくる気配も無かった。

  

 最初の仔牛の出産だって、考えてみれば村の長が「ありがとう」と頭を下げに来てもいい事案だったと思う。


「そんじゃ行こうか。村長のとこまで案内するよ」


 それから「トウマ借りてくな~」と集会所を出る際、子供たちがアイノエに纏わりつく。

 彼女は子供たちに大人気だった。

 普段は狩りで村を出ているからなおさらなのかもしれないが、日中は一緒に居るはずの僕のところへは一人も来ない。

 ここまで子供人気の差が顕著に出てしまうと、分かってはいても、精神的なダメージは少なくない。


「ほれ、皆。トウマも行っちゃうよ?」

「トウマはいいよ」

「トウマよりアイノエちゃんがいい」

「……余計なことを言うなよ」


 よりいっそう心の傷が抉られる思いだった。






「村長ってどんな人なんです?」

「どんな? どんなかぁ~、えっとねぇ……説明が難しいな」 


 アイノエは頭を捻って考え込んでしまった。

 至って普通の質問だと思うのだが、どうして答えられないのかが恐ろしい。

 というか、どんな人物なのかを答えられない人物って、大丈夫な人なのか心配になってくる。

 

 この一週間、誰も村長の存在を口にしなかったのは、そう言うことだったのかと勘ぐってしまうが、仮にそうであったとしてそんな人物に村長が務まるのだろうか。


 謎が謎を呼ぶが——なかなか着かない。


「村長の家ってどこなんです?」

「もうちょっと行ったところだよ」

「もうちょっとって、もうだいぶ来てますけど」


 とうとう居住地域を抜けて農地に入り、周りから民家がなくなってようやく、


「ここが村長の家だよ」

「ここか……なんというか、すごいな」


 アイノエの案内で辿り着いたのは、家と呼ぶにはお粗末な掘っ立て小屋だった。

 村の長なのだから、てっきりそれなりにいい所に住んでいるものだと思ったら、全然そんなことは無かった。これだったらアイノエの家の方が断然マシだ。


「ベルイノ、入るよ?」

「えっ⁉ ちょっと待ってよ」


 しかしアイノエは、入り口に暖簾のように垂れている布を手でのけながら中へと入っていってしまう。

 

 いったいどんな人物なのか緊張してくる。

 家だけをみれば村長というよりも、世捨て人と紹介された方がしっくりくるが、いったいどんな人物なのか。


「もう……ままよっ!」


 布は黒ずんでいて汚いから、触らずにくぐって突入する。


「トウマですけどっ!」

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