第2話 耳と尻尾より牙にグッときます
「……無理だ」
そもそも目覚めた時点で詰んでいたということじゃないか。
野生動物が棲めない環境で、なんの知識も無い僕が生き延びられるわけがない。
そんなつもりは無かったけれど、ずっと気を張っていたのかもしれない。
急に気力も抜け落ちてしまって、その場に座り込んでそのまま大の字に寝転がる。
足が棒のようとはまさにこのことを言うんだろう。普段は運動なんてろくにしないものだから、疲労が体に重くのしかかってくる。
このまま目を瞑ってしまったら、すぐにでも眠ってしまう自信があった。
けれど、一度眠ってしまったら二度と目を覚ますことはないだろう。
そんなことをしてしまったなら、ここが生物が棲むことができない環境だという、僕が打ち立てた仮説を、僕の死をもってして立証することになってしまいかねない。
そんなバカげた話があってたまるものか。それだけはなんとしてでも阻止したいところである。
学者でもないんだから、律儀に仮説の立証なんてしてたまるものか——それも自分の命を使って。
死をもって立証だなんて、それだけ聞けば聞こえの良いドラマチックなエピソードのようだが、実際はなんの意味もない、ただの無駄死にでしかない。
そんなことを考えていたら、不意に意識の無い空白の時間があることに気付いた。
ついつい意識が夢の国へと引っ張られてしまっている。
このまま何も策を講じなければジリ貧であることは分かっているが、いかんせん知識がないためにどうしたら良いのかもいまいち分からない。
こんなことになるなら、動画配信サイトでもっとサバイバル動画を見ておけばよかった。
正直、心のどこかでは諦めている自分がいるが——
「なんだ? あれは」
赤く染まる遠くの空に、かすかに影が見える。
今まで鳥が飛んでいる姿だって一度だって見ていない。もしも飛行機か何かなら、一発逆転のチャンス。
目を細めてそれが何かと確認しようとしたが、そんな必要は無かった。
そうしている間にも飛行物体はかなりの速さでこちらへ接近してくる。
どんどんその影は大きくなっていき、すぐにそれが何なのか、苦労せずに視認することができた。
「鳥?」
たしかに翼を羽ばたかせて飛んでいるから鳥なのかもしれない。
ただ、疑問符がついてしまうのは——そのサイズがあまりにも巨大だったから。
世界最大の鳥のダチョウだって全長で3メートルもない。
それをはるかに上回る大きさなのにも関わらず、悠々と飛行していて、いったいどういう体の構造になっているのか想像もつかない。
「……冗談じゃないぞ!」
大き過ぎて距離があることも相まって、そのサイズがどれ程のものなのか、目測はバグってしまってあてにならないが、一番の問題はあの鳥が何を食べるかだ。
とてもハトやスズメの様に、落ちている餌を啄んでいる姿は想像できない。
大きさだけで言えば、人を丸呑みにするには十分だろう。
「バケモノだ」
すぐさま立ち上がって走り出した。
どこかに身を隠せるような場所がないか探すが、周りにあるのはひざ丈の草だけ。
刻一刻と、接近しているバケモノから身を守れるような場所なんてどこにも見当たらない。
「どうしたらいいんだよ!」
そんなことを言っていても、足だけは少しでもバケモノから距離を離そうと動いてはいるが、とても敵うはずがない。
振り返ってみればもうその姿形、色までしっかりと視認できるところまできていて、やはりしっかりとバケモノと呼ばれるに相応しい姿だった。
もう背後からは翼が空を叩く音が聞こえてくる。
いよいよという時に、せめてもの抵抗で地にダイブして頭はしっかりと両手で守った。
はたしてその行為にどれだけの意味があるのかといえば、きっと皆無。
ただ、僕にできるせめてもの命への執着だった。
音はもうすぐそこまで来ていて、ものスゴイ風圧が吹き付けてくる。
そして、とうとうお終いかと思ったその時、
「おーい!」
自分の耳を疑ってしまうが、どう考えても人の声だった。
声と一緒にバケモノは僕に風を叩きつけながら上空を通り過ぎて行く。
思わず頭を上げてみると、バケモノは旋回して戻ってきているところで、その背には人が乗っていた。
僕の傍に舞い降りたバケモノが頭を低くすると、
「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ」
そう言って降り立った人物は意外なことに女だった——が、その姿に言葉を失ってしまった。
身に纏っているのは着物に似てはいるが、似ているだけで作りはほとんど別物の衣服で、なによりその着こなし方がワイルド過ぎた。
似た衣服とは思えないぐらいに露出度が高く、隠れている部分と隠れていない部分がほとんど同じ比率。
そのせいでスラリと伸びた四肢が余計に扇情的に見えたが、対照的に灰色の長い髪は野性味に溢れていた。
「大丈夫? こんな所にいると死んじゃうよ」と、歩み寄ってきた。
女の不思議そうにしている顔は均整がとれていて、美人と呼ばれても差支えのない顔立ち。髪の色も相まって、表情に気の強さが滲み出てはいるものの、その物腰は至って柔らかかった。
しかし——
「あ、いや……その——」
「どうしたの?」
僕の表情を、覗き込むようにして見るその瞳は黒いが、周りの結膜の色が黄色かった。
瞳の色が違うのは分かるが、その周りが白以外のヒトなんて見たことがない。
そして何より、その頭と腰には、フワッフワの狼の耳と尻尾が付いている。
コンタクトや作り物ではないかと疑ってもみるが、耳はともかく尻尾はフリフリとずっと動いていて、とても偽物とは思えなかった。
画面の中でなら、これと似た特徴を持つ方々を度々見かけるけれど、リアルでお会いするのは初めて。
僕とはまったく違うヒトと、どのように接したらいいのかなんてまるで分からない。
必死に考えた末に出た言葉は、
「助けて下さい」
「うん、いいよ」
あっさりと問題は解決してしまった。
「いいけどさ、君、人間だよね? なんで人間がこんな所にいるの? 迷子だとしても、どうやってこんな所まで来たの?」
「その、自分でもなんでこんな所にいるのか分からないというか……ここがどこかも分からないというか……ここってどこなんです?」
それに女は「あー?」と言って何かを考えていたが、面倒くさくなったらしい。
「ケルズだけど……とりあえず行こうか。うちの村まで連れてってあげるから」
女は誤魔化すようにニコリと笑って、その拍子にチラリと覗いた牙が可愛い。
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