第15話 在りし日の聖女の肖像
かつて使用していたマジックバックにアルカンシェールで仕立てた衣服を詰め込んだ私は、ハイデルベルク家の連隊に守られた王都に向かう馬車の中で、なぜかクリフの膝の上にいた。対面に座るヴィードの暖かい目と、それと対照的なクレアさんの鋭い眼差しが痛い。
「あの、クリフさん。四人席なのですから、別に膝に乗せていただかなくても…」
「それはいけない。アルカンシェールを往復した時だって振動でお尻が痛いと言っていたじゃないか」
それはそうだけど、あれはアルルに浮遊させてもらうためであって、こうして欲しかったわけではなかった。
しかし、そんな態度が気に入らなかったのかクレアさんから鋭い声が浴びせられる。
「貴女! クリフ様の膝の上に不満があると言うんですか!」
「いえ、まったくありません。じゃあこのまま…」
「クリフ様がお優しいからといって、いつまで膝の上にいるんですか!」
じゃあ、どうすれば良いのよ! そう心の中で叫ぶ私。
クレアさんがクリフを好き過ぎるのはわかったけど、
もっとも、このときクレアが問題にしていたのは膝の上に乗せていることではなく、後ろにいるクリフがアメリアを見つめる瞳が愛おしさにあふれていたからだった。しかし、当のアメリアの位置からは彼の眼差しや表情はまったく見えていなかったので、クレアがこれほどに強くあたる理由がわからなかったのだ。
そんなアメリアに助け舟を出すようにヴィードがクレアを
「クレア、いい加減にしなさい。クリフ様の御寵愛を一身に受けるアメリア様に対して失礼ですよ」
「ちょ! そんなものは受けていません!」
カッと顔を赤くして
「おや、そうでしたか。では、あらためまして…クリフ様の未来の奥方様に対して失礼ですよ、クレア」
駄目だわ。アルルと同じかそれ以上に
というかヴィードはずいぶんと丸くなったわ。クリフに平民の女性が近づかないように牽制していたくらいなのに、どういう心境の変化かしら。
「ヴィードさんはクリフさんに悪い虫、平民の女性が近づかないように気をつけていた…と、アルシェール様から聞きましたが?」
「ミリア様を亡くされたあとの魂が抜けたようなクリフ様を見れば、どこの誰であろうとクリフ様が愛する方であれば全力をもって助力しようと思うのは従者として当然のことです」
そう言って、ヴィードは私が亡くなったあとにクリフがどれほどひどい状態になったかを話して聞かせた。ほとんど食事を口にせず、見る見るうちに衰弱していったという。
そうして死んだように塞ぎ込むクリフをオービスが殴りつけ、お前がそんなふうに精神的に弱かったからミリアは死んだのだと、腐っている暇があったら諸国を回って魔獣を討伐しまくっておのれを鍛えまくれと、憎まれ役を買って立ち上がらせたそうだ。
「実際、俺はオービスの言う通り心が弱かったんだ。今では彼に感謝している。ミリアが自分を犠牲にしてまで助けてもらったこの命を無駄にするところだった」
後ろから聞こえるクリフの声は、過去を乗り越えた者としての落ち着きを感じさせた。そんなこと一言もオービスは言ってなかったのに。私が死んだ後も色々あったのね。
そうしてヴィードの変わり様に一人納得していると、対面のヴィードは涙を流しながら話を続けた。
「それが、このようなクリフ様の表情を再び見ることが出来ようとは…」
表情ですって? どういうことかと後ろを振り返りたいけど、膝の上にいる状態では確認しようがない。ただ、この状態でもわかるのはクレアさんの機嫌が最高に悪いことだけだった。
◇
クレイドルの街から東に向かって中規模の都市アルカンシェール、オルマール、ロイドバーグを経由して、九泊十日の旅を経てカストロール王国の王都エデルリンクに到着した。記憶に残る時間感覚からすると二年振りくらい、実際は十四年振りとなる王都は保守的ということもあってあまり代わり映えはしなかった。
中心に建つ城から同心円状に広がる居住区は、外側から平民の居住区、有力な商会が軒を連ねる商店街、そして下級貴族と続き、中心近くには上級貴族の邸宅が立ち並ぶ作りとなっているので、城郭都市の最外郭を拡張しないかぎり発展性がないのだろう。
そんな王都を中心に向かって進むうちに、かつて私がクリフを見出したハイデルベルク侯爵家の邸宅が見えてきた。
「お疲れ様でした。あちらに見えますのが、ハイデルベルク侯爵家の敷地でございます」
「確かに疲れました…今日からは一人で安眠できそうです」
◇
途中の宿屋で、空き部屋がないとしれっと嘘をついて相部屋にするヴィードに、クレアは終始不機嫌だった。いつも同じ部屋で寝ていたのだからいいじゃないと言うアルルの言葉は火に油を注ぐ結果にしかならず、間接的にアメリアの精神を削っていた。
裏でヴィードとアルルが互いの悪巧みを讃えあっていたと知ったら、アメリアは怒りを爆発させていただろう。
◇
馬車を降りると、見覚えのある品の良い夫婦が邸宅の入り口で待ち構えていた。そこにクリフが一歩足を踏み出して帰還の挨拶をする。
「父上、母上、お久しぶりです」
「クリフォード! よく帰って来てくれた!」
手放しでクリフの帰還を喜ぶ夫妻は記憶にある姿からかなり歳をとった印象があるけど、前世でここを訪れた当時の侯爵ブレンドン様が三十七歳、侯爵夫人クラリス様が三十四歳だったから今は四十代後半と思えば、若い方なのかもしれない。
そんな侯爵夫妻が、ふと私の方を見つめて不思議そうな表情をする。
「クリフォード、こちらのお嬢さんは?」
「アメリア・ローレンス嬢です。彼女を守るために、私はここに戻って来ました。手段は問いませんので、どうか力を貸して下さい」
侯爵様はしばらくの間、クリフの真剣な眼差しを受け止めていたかと思うと、何かを理解したかのように重々しく頷いた。
「…そういうことか。アメリア嬢、私はクリフォードの父親のブレンドン・フォン・ハイデルベルクという。どうか、ここを自分の家だと思ってくつろいでほしい」
そう言って揃って頭を下げる侯爵夫妻にギョッとした私は、慌ててそれを制止した。
「頭をお上げください、ブレンドン様! クラリス様! 生きた心地がしません!」
初めてここに来て私が魔王討伐の勇者としてクリフを指名したとき、ふざけるなと烈火のように怒り狂ったブレンドン様と、まるで魔物から守るようにクリフを庇ってこちらを睨みつけたクラリス様はどこに行ってしまったのか。
天啓とはいえ、私がクリフを魔王との命懸けの戦いへと誘ったのも同然なのだし、今でも侯爵夫妻には申し訳ない気持ちで一杯なのよ!
そうしてあたふたとする私を見てクラリス様は首を傾げながらヴィードの方に目を向けて問いかける。
「ヴィード、これは…もしかして?」
「御明察の通りでございます」
ヴィードが大仰に右手を胸に当てて執事の礼を取ると、クラリス様はクリフの方を向いて何か問いたげな表情をした。
「アメリア嬢は十二歳です。そのように堅苦しい態度では息も詰まるというものでしょう。ここは妹のアシュリーが幼い時のことを思い出してフランクに接してあげてください」
そうして、クリフはここに来るまで私を膝に乗せたり警護のために寝食を共にしたりして、年齢相応に可愛がっているのだと侯爵夫妻に説明した。
「まあ。それは、
「とにかく、長旅で疲れただろう。ちょうど、後続の馬車が到着して来たようだし、屋敷に入って休むといい」
ブレンドン様に誘われて屋敷に足を踏み入れ、広間の奥に見える二階へと上がる階段を登っていくと、その正面に飾られた絵画が目に飛び込んでくる。
それは決戦に赴く直前に描かれた十七歳のかつての私、聖女ミリアの肖像だった――
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