在りし日の聖女の肖像

第11話 勇者の力の源泉

 冒険者ギルドの経理が軌道に乗り、ギルドのクエストをこなして帰ってくるクリフを見守りながら平和な日々を過ごしていた。


「まさかギルマスの仕事がこんなに楽になっちまうなんて思わなかったぜ」


 経理業務のため帳簿やソロバンを導入して効率化したあと、承認のサインすら面倒に感じた私は聖杖製作技術を応用して神力を利用した印鑑を作り出した。

 通常の木を材料としたペンほどの大きさの小型聖杖は、微弱ながら個人ごとに異なる神力波長を増幅し、複製不可能な聖刻を紙面に残すことができる。そのため、ギルド職員の承認業務は聖刻で割印をペタペタ押すだけで完了するまでに効率化されたのだ。


 その結果、こうして執務室で無駄な時間を過ごすことが多くなり、私もオービスも暇で仕方ないと欠伸をする毎日だ。


「そんなに暇なら、クリフを見習って狩りにでも出たらどうなの。オービスだって、まだ三十歳前半でしょう。それと私も少しは運動させてよ。十二歳の育ち盛りの時に部屋にこもりきりは良くないわ」


 自分の身は自分で守れるようにならないと、いつまでもかつての仲間に頼っているわけにもいかない。

 別に聖女の時のようにストイックに毎日鍛え上げる必要はないけど、末っ子として甘やかされて育った為か体力が心許ない。神力でバフをかけられるとしても、地力が強くなければ意味がないのだ。


「それなら、聖杖と聖刻杖を作る合間に俺と一緒に冒険者の教導官でもやってみるか?」

「私が教導官なんておかしいでしょう。普通に考えて、教わる方じゃないの?」

「…そういや、法術は見せてもらったが、体術はまだだったな。丁度いい。ギルドの訓練場で俺と模擬戦をしようぜ」


 うーん。走り込みをするだけで十分なんだけど、考えてみれば魔物メインで対人に慣れていたわけではないわね。誘拐犯対策なら、多少は慣れておくことにしましょう。

 そう考えた私は、軽く頷いてオービスにトレーニング・メニューの提案をする。


「わかったわ。一緒にギルドの外周を二十周した後、模擬戦しましょう。できれば毎日がいいわね」

「嘘だろ! 一周二キロはあるんだぞ? 四十キロも走るつもりかよ!」

「何よ、大袈裟ね。 以前は鎧を着て百キロでも走り続けていたでしょう? バフをかけて走れば一時間もすれば済むわよ」


 こうして、その日からギルドの訓練場で軽い鍛錬を行うことになった。


 ◇


 鍛錬を始めて二時間後、ギルドの訓練場でマグロのように横たわる私とオービスの姿があった。


「「ゼーハー、ゼーハー」」


 ごめんなさい、マラソン四十キロ舐めてしました。戦乙女の祝福をかければすぐだろうと思っていたけど、記憶を取り戻すまで魔杖作りに励んできた私の持久力は考えていたよりもずっと貧弱なものだったわ。というか、


「なんで、オービスまで倒れているのよ…バフはかけてあげたでしょ」

「ギルマスに担ぎ上げられてから…机仕事ばかりでなぁ。こりゃ確かに走り込まんとヤバいな」

「仕方ないわね…リジェネレーション!」


 瞬時回復してしまうと筋力が付かないので、自然回復力を高めるリジェネレーションを使う。すると、数分もすると問題なく動けるようになった。


「さすがにアメリアの法術は一級品だな。この調子ならすぐに体力が付きそうだ」

「そうね。ひと月が目安かしら。じゃあ、早速、模擬戦と行くわよ」


 そう言って精霊樹の聖杖を手にした私は、教会の聖女に代々伝わる聖八双の構えを取りつつ全力のバフを掛ける。


「大地母神の守り、風神の守護、戦乙女の祝福、そして…創造神の無敵盾イージスシールド!」


 物理魔法結界とブレスに加え、私の全周に花弁のような法術盾が生じる。そう、この創造神様の加護による法術盾こそが、私が最硬の盾と呼ばれた所以ゆえんなのだ。


「おいおいおい! そりゃあねえだろォ!」

「何言ってるのよ。十二歳の私とオービスではいいハンデじゃない。それに、これなら遠慮なく大剣を振るえるでしょ」

「それもそうか。じゃあ行くぜ!」


 肩に背負った大剣を抜いたオービスが上段から振り下ろしたそれを、私は右手の甲で大剣の腹を叩いて逸らすと、左手に構えた聖杖の先端に神力を集中させてオービスの腹に突き出す。


 ギィン!


「どうやら、腕の方はそれほど鈍っていないようね」


 受け流した大剣の柄頭を器用に聖杖の先端に当てて私の狙いを逸らしたオービスに、前世の鍛錬を思い出し笑いかける。


「それはこっちのセリフだ! なんで精霊樹から金属音が聞こえてくるってんだ。相変わらず無茶苦茶な硬さと重さだぜェ!」


 その言葉とは裏腹に、かつての自分を思い出したのか獰猛な笑みを浮かべるオービス。こうして、かつての物理最強の矛と最硬の盾は失われた時間を取り戻すかのように、楽しくて仕方ないといった風情で、いつまでも打ち合いを続けたのだった。

 ――クエストを終えてギルドに帰還し、鍛錬のため訓練場に訪れたクリフが二人の模擬戦を陰から見つめていたことに気がつくことなく。


 ◇


 自分は何を見ているのだろう。遠目に見えるオービスとアメリアの模擬戦の様子に、クリフは息をするのも忘れる思いで片時も目を離さずにじっと見つめていた。

 教会の秘奥ともいえる聖女の杖術の構えを取り、創造神の加護を持つ特別な聖女のみが使える創造神の無敵盾イージスシールドとの組み合わせでオービスと互角以上の戦いを演じるアメリアの洗練された動き。それは幼い頃から毎日欠かさず鍛錬を積み、教会の英才教育を受けた者のみが身につけることができる努力のそれだ。

 それをなぜ単なる杖職人の娘が身につけているのかはわからないが、クリフにとって衝撃的だったのは別のことに起因していた。


「どうしてミリアと重なって見えるんだ…」


 オービスの打ち込みに対する癖、大剣をいなす角度とタイミング、体捌きや反撃の呼吸。その全てが、二年間、毎朝のように組み手をしたミリアと同じものだった。そして何よりオービスとの模擬戦で見せるその表情が、かつて自分が憧れたミリアと瓜二つだ。

 目を瞑れば今でも克明に思い出せる、相対した時に見せるミリアの自信満々の笑顔。


『さあ、クリフ。どこからでもかかってきなさい!』


 その表情を脳裏に思い浮かべたクリフが再び瞼を開くと、それは完全にアメリアと一致した。


「ああ。なぜ俺はひと目見たその瞬間に気が付かなかったのか…」


 その可能性に気がついたクリフは喜びに満ち溢れた表情をしていた。創造神の天啓は、つまりは、こういうことだったのだ。

 なぜ彼女が生まれ変わったことを自分に隠しているのかはわからないが、なにか理由があるのだろう。だが、それでも構わない。もう彼女に守られるだけの未熟な自分ではないのだ。


「今度は俺がミリアを守る番だ」


 永遠に失われたと思っていた最愛の彼女が生きて自分のそばにいる。そう思うだけでクリフの胸の内には無限の力が湧いていた。

 こうして十二年の時を経て、勇者はその力の源泉を取り戻したのだった。

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