第49話 襲撃


 宮廷の実りのない議論は、ウォルフが絶望したくなるものだった。

 まともな為政者ならドゥハールが本気で動くと仮定するべきだろう。そして対処する方法をいくつか用意し、備える。

 だが彼らのやることといえば、ドゥハールから嫁いだミュリスを非難し、ミュリスにすり寄ったマルキムを糾弾するぐらいだったのだ。


 実際にオシュケムの残党を押し戻しアリーの牧草地を守って戦う軍の働きなど一顧だにされなかった。それが当たり前の仕事だと思っているのだ。

 前線とアルスターナを行ったり来たりしているビリグは、はらわたが煮えくり返っている。もちろん死者だって出ているのに、その扱いはないだろう。軍の中では不満が高まっていた。


 マルキムは王からも叱責を受けた。泉の水が減っているからだ。水のことで民衆からの苦情や嘆願も届くようになってきていた。

 水を保証できない支配者など無用の長物でしかない。それをなんとかさせるための術監処でありその長マルキムであり魔導師達であるのに。

 マルキムが後ろ楯にしようとしていた王妃ミュリスは謹慎して、もう宮廷に力はなかった。



 ***



 なんでもいいから水を増やせ。荒れるマルキムからそんな無茶を言われてカザクは冷たい視線で上司を黙らせた。

 なんならおまえを消してやろうか。視線はそう告げている。

 頼りないタリヤに言っても埒が明かないと思ったマルキムは虎の尾を踏むという言葉を知らなかったようだ。彼の部下達は、面倒を避けるために大人しくしてやっていただけだったのに。



 マルキムを睨みつけ、今日の泉への働きかけを終え、タリヤとカザクは連れだって王宮を出た。

 暖かくなってきて、少しだけ水量は増えたような気がする。気のせいかもしれないが移住にももう少し時間的猶予がいるのだ。まだ泉を枯らすわけにはいかなかった。


「ねえカザク、リンゴ買って行こ?」

「……おまえ、出かけるとおねだりばかりだな」


 しかも食べ物、おやつばかり。帰りに露天市を抜けては何かしら買おうとする。カザクに睨まれたがタリヤは気にしなかった。

 だって私、働いてるもん。それがタリヤの言い分だ。


「リンゴはお師さまも好きでしょ」

「そうだけどさ」

「アヨルクと一緒の時にはわがまま言ってないから大丈夫」


 ぐ、とカザクは詰まった。

 その言い方だとカザクだから甘えるのだという意味になって、それはつまり、なんていうか気分がいい。なのでぶっきらぼうに答えた。


「……仕方ないな」


 タリヤはまったくそうと意識していないのだが、カザクは説得されてしまった。

 果物や木の実の屋台が並ぶ辺りでタリヤはキョロキョロし、おじさん店主から一袋のリンゴを買った。二個おまけしてもらいご機嫌になる。美人は得だなとカザクは思った。仮にも自分の婚約者のことなのに傲慢ではある。タリヤは戦利品をカザクに見せて得意げに笑った。


 露店広場の真ん中に来た頃合いで、カザクは周囲の建物の上に人影があるのに気づいた。

 あちらこちらに何人もいる。揃って修繕でもないだろうし、身を低くしているのはなんだ。

 不審に思った時、その連中が一斉に姿勢を変えた。弓を引く形。


「タリヤ、屋根の上!」


 カザクの叫び声に人々がハッとなった。

 ぐるりと囲まれて弓で狙われている。


「伏せろ!」


 悲鳴が上がると同時に何本もの矢が空気を切る音が鳴った。


 タリヤは咄嗟に術を放っていた。

 タリヤを身体で庇おうとしたカザクは、タリヤの魔力が同心円状に走ったのを感じギリギリのところで頭を反らして避ける。


 パシンッ!

 四方八方から殺到した矢の矢尻が砕けた。


 タリヤの『収縮キサルマ』の壁にぶち当たったのだ。その瞬間、カザクは一方向に『拡散ヤルミシュ』を伸ばした。

 だが市場の喧騒に紛れ姿を消していく賊の気配はあっという間に遠ざかり、追いきれなかった。


「カザク!」


 タリヤは泣き出しそうな目で手を伸ばした。


「タリヤ大丈夫か?」

「カザクこそ」


 カザクの頬には一筋の傷がつき、血がにじんでいる。言われて気づいたカザクはつい手の甲でこすろうとして止められた。


「駄目! 本当に自分のことは無頓着なんだから」


 たぶん砕け飛んだ矢尻がかすったのだ。そんな怪我をした人があちこちにいる。折れた矢軸が刺さった運の悪い者もいて、うめいていた。


「タリヤは怪我してないな?」

「大丈夫。ああ、せっかくの綺麗な顔がぁ」


 カザクを見つめてタリヤが悲しい顔になるが、怪我などどうでもいい。


「おまえの方が綺麗だろうが。くそ、狙いは俺達だよな。こんなに派手にやってくるとは思わなかった」


 まだ周囲を警戒しているカザクは真剣に言ったのだが、タリヤは固まった。

 面と向かって綺麗などと言われたことはなかった。照れ隠しに唇をとがらせて頬のニヨニヨを抑えると、カザクが不審な顔になる。

 自分がもらした言葉に、カザクは気づいていなかった。



 ***



 事件の処理は駆けつけた四隊に任せて魔導師達は館に帰った。すると、こちらにも怪我人がいた。アヨルクも襲われたらしい。


「四人がかりで囲まれたぜ。俺も偉くなったもんだ」


 うそぶくアヨルクだが、傷を負わされているのだから微妙に格好がつかなかった。

 左上腕を浅く斬られたぐらいで済ませたとはいえ痛いものは痛いだろう。涙目で寄り添っていたシルだったが、戻ったカザクの顔のかすり傷にとどめを刺されて泣き出した。無理もない、小さな女の子にとっては殺伐とした状況だろう。ケリは必死でなぐさめた。アヨルクの吐息も苦い。


「二人は始末したが……その中に見覚えのある奴がいてな」

「ふん?」


 頬の傷をちょんちょんと洗われているカザクに、アヨルクは挑戦的な顔を向けた。


「東の商人のお抱えだ。草原の東」

「――ドゥハールか」


 皆で顔を見合わせる。これを企んだのは軍か貴族の誰かだと考えていたのだが、どうやら違ったようだ。

 そしてアヨルクまで殺されかけたことを考慮に入れると――とても嫌な可能性が出てくるのだった。







 ***


 次回、第50話「初恋」。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る