第54話 のこされて


「何よう、サラーナは縫い物できてるじゃない」

「少しはできるわよ。お貴族さまに嫁ぐにしたって、裁縫はできなきゃいけないんですってよ? ほんと意味不明!」


 料理はしちゃいけないのに、とサラーナは憤慨した。表情豊かなサラーナがいるとタリヤの気分も晴れる。


「あのー、うちのお嬢さんが入りびたりで申し訳ありません」

「いや。今のこの館には、あれぐらいが丁度いい」


 今日もサラーナが遊びに来てくれていた。供のエルディンは恐縮するが、カザクは感謝している。ジャニベグを亡くして憔悴しているこの館には、こういう元気な人が必要なのだ。


 タリヤとサラーナは居間であれこれと縫い物をしている。エルディンは控えの間に引っ込んだ。一人になったカザクは二階を見上げ、どうしようかとため息をついた。

 そろそろジャニベグの部屋を片付けなければと思いつつ、手をつけられない。早くなんとかしないと引っ越す時に困ると思うのだが、遺品の整理とは意外と心にこたえるものだ。

 迷っているうちに来客があったのを感じ、これ幸いと先送りにして玄関に向かう。そこでカザクはもう一人、憔悴した人物と対面することになった。

 苦しみの色を目にたたえた、ウォルフだった。


「どうしました。殿下がいらっしゃるとは」

「私はもう、殿下ではないんだ」


 ウォルフは来るなりとんでもないことを言い出した。さすがに目を見開いたカザクに向ける笑顔が荒んでいる。


「ドゥハールが動き始めた。王妃がその前にと弑逆を謀った。カザク殿から聞いていたからあの人の動きは監視していて失敗に終わったんだが」


 早口に言ったウォルフがやっと息をつく。だがカザクは何も言えなかった。


「私は太子の地位を廃されることになった」

「――そんなことが」


 やっと相づちを打った。

 今朝も棗の館には行っている。だが王宮で騒ぎは起こっていなかったと思うのだが。


「まだ公にはしていないんだ。父上は私を逃がした」


 ウォルフは悲しそうに、だが少し嬉しそうに笑う。

 大罪を犯した王妃の息子。しかもこれから軍をこちらに差し向けてくると思われるドゥハールの血をひく王子。

 そんなもの、さっさと殺されてもおかしくなかった。だがジョムルはウォルフを惜しんだ。


「私は軍にもぐりこむ。父上が計らってくれてね」

「軍?」

「ビリグのところなら、貴族達も手出しができないだろう?」


 燎原に風が渡る時、役に立つのは結局武力なのだ。

 魔術に頼ろうとした王妃への反発から司馬に近づいていたウォルフは、その身柄を軍に預けられ戦いに身を投じることになった。

 ウォルフは助かったと思った。たとえ戦場に出ようとも。最近まともにものが見えているのはビリグだけだと思っていたから。


 ウォルフに叛心がないことなどジョムルにはわかっている。むしろ情勢を見極め旧弊を打ち破る才があるかもしれないと思った。

 ジョムル自身がおちいった宮廷のぬるま湯に、この息子を溺れさせてはならないとジョムルは目を覚ましたのだった。


「その前に、情報の礼を言いたくてね」

「――今、サラーナ嬢が来てますが」


 タリヤとうるさく遊んでいるサラーナは司馬ビリグの娘だ。ウォルフは目を見開いて少し楽しそうにした。


「また来てるのか。前は粉まみれになっていたけど、今日はどうかな」

「今日は……糸くずだらけですよ」


 カザクはウォルフを居間に案内した。はたして少しの糸くずにまみれていたサラーナは情けない顔になる。どうして、殿下の前ではこんな姿ばかりさらすことになるのだろう。


「ごきげんよう、殿下」

「あまり機嫌よくはないんだよ」


 なんとか取り澄まして挨拶したサラーナにウォルフは力なく微笑んだ。

 カザクにした話を、女性相手だからとなるべく柔らかく繰り返す。

 初めて館を訪れた時の明るく柔らかく澄んだ瞳とはまるで違う悲しみに沈んだ顔。タリヤは思わずそっとにじり寄り、よしよしとウォルフの頭を撫でた。


「こら」


 渋い顔でカザクがその腕をつかんだ。失礼だし、だいたい他所の男にそういうことをするんじゃない。ウォルフは失笑した。


「タリヤ殿に子ども扱いされるとはなあ」

「えー、歳は私より下でしょう」


 冬にタリヤは十八歳になっていた。そしてウォルフも十六になった。

 歳の差はいくつになろうと縮まらないが、人間としてはウォルフの方がまだ上のような気がする。タリヤ自身がそう思うのだからどうしようもない。

 それでもウォルフは今、なぐさめてあげたくなる風情をただよわせていた。


「あの、ウォルフ様」


 サラーナも殿下という呼び方を改めた。やめてくれと言われたので従うことにする。

 もうこれからは、ウォルフという一人の男として生きようとする覚悟はすごいと素直に思った。だが気になることは訊かずにいられないのがサラーナだった。


「それで、妃殿下はどうされてますの」


 ウォルフが口にしないのでカザクは訊かずにいた。タリヤは思い至っていなかった。そこを突かれて、ウォルフはフウゥとため息をもらした。なんとも遠慮のないご令嬢だと感心する。


「毒をあおって死んだ」


 端的に答えた。







 ***


 次回、第55話「戦いへ」。







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