第46話 平和


 アルスターナの街に作られた地下水路カレーズの水はジャニベグの言うように減っていた。町の端の井戸では十分な流量がなくなり濁りが出ている所もあった。

 その対応をしているのは四隊だったのでカザクまで情報が回るのが遅れていたのだ。カザクと密接につながる三隊の方は、荒れ始めた草原の情勢に対応するために忙しい。


 すべてが動き始めていた。




 泉の水が減っているとジャニベグに言われて、タリヤとカザクは見に行ってみた。今この泉が枯れれば都の民がどれほど死ぬか知れない。


「本当に水位が下がったな」


 カザクは顔をしかめた。これはかなりまずい。これまでも徐々に下がっていた水面が一段と悪化していた。

 冬という季節もある。春になれば山の雪融け水で流量が増えるだろう。それまで都を渇かさずに保たせなければならなかった。




 ジャニベグは並んだ二人に自らの魔術を明かしてくれた。

 『平和バルシュ』。

 そう本人は理解しているそうだ。


 人の心に働きかける力。争わず、穏やかに、和やかに。そうありたいと思わせる術。

 平らかな場所に集いたいと人は思う。だからこの都アルスターナは栄えた。


「人や物が集まる力は、水ですら少しは惹き付けたのかもしれん」


 ジャニベグはそう微笑んだが、水に心があるのだろうか。あるかもしれない。

 だがおそらく『バルシュ』は物事を相殺したり潤滑に運んだりといった作用を起こすことができるのだろう。それを心だけでなく、物理的に使えばよい。魔術をどう及ぼすかは、術者の次第なのだから。

 あるいは水は低きに流れるからか。平らかに治まる地は猛り立つ地よりも低そうだ。感覚的には。


「だが私の力はもう衰えた」


 だからもう、後は任せる。そうジャニベグに言われてタリヤは泣き出した。泣き虫な弟子の頭を撫で慰める。


「おまえ達ももう大人だろう。何も私がすぐにいなくなるわけではない。ほら、二人で寄り添って立って見せておくれ、タリヤ」


 カザクはタリヤの腕を取り、立たせた。そっと身体を寄せてタリヤの涙を拭いてやる。

 二人を見てジャニベグは満足そうだった。


「それでよい。そうして生きておいで。おまえ達の力は街を栄えさせるだろう。集まり、離れゆく。それは道の交わる所として正しい在りようだからな」

「――それじゃ、二人が揃ってないと駄目じゃないですか」

「おお、そういうことになるな。いつまでも半人前で困った弟子達だ」


 ジャニベグとカザクは笑い合った。だがタリヤだけはまだベソベソしている。困りものの弟子は甘やかさずに働かせる方がいいだろう。

 ジャニベグはタリヤの『収縮キサルマ』を泉に使うように頼んだ。





「これ、どのぐらいの魔力を流せばいいのか全然わからない」

「初めてだからな。少しずつ試すしかない」


 タリヤはそっと乗り出して泉に手を入れた。冷たい。肌を切るような水だった。

 地の下の水の流れを引くように思い描く。しばらくしてタリヤは手を引いた。


「――あまり動かない」

「――? どういうことだ」

「動かせるものがそんなにないみたい。凍ってるの? それとももう、少なすぎるのかも」


 タリヤは青ざめていた。カザクも泉を覗き込む。

 透き通った水の底にフツ、フツとあぶくが力なく湧いていた。流れてはいるが、豊かとは言えなかった。


「カザク殿、タリヤ殿」


 後ろから声をかけられた。振り返ったタリヤが驚いた顔になる。

 

「ウォルフ様」


 そこに来たのは太子ウォルフだった。カザクは小さく黙礼した。


「泉はいかがですか」


 ジャニベグの見舞いに来た若き魔導師達が泉に向かったと聞いて駆けつけたのだった。

 ここの水次第では大規模な対策、あるいは政策の転換が必要になる。ウォルフにはそれがよくわかっていた。

 カザクは泉の脇にしゃがんだ。


「まだ、探り始めたところなので。お待ちください」

「カザクが視るの?」

「やってみる」


 軽く目を閉じ、意識を伸ばす。

 少ししてカザクは大きく息を吐いた。首を振りつつ立ち上がる。


「水そのものが近くに少ないのだと思う」

「やっぱり」

「無理に引っ張るのはやめろ。大地の方が崩れでもしたらまずい」

「――そんなことになっていますか」


 ウォルフは眉根を寄せた。

 ということは、アルスターナはもう駄目なのかもしれない。


 やはり魔力に頼るなど愚かなことだったとウォルフは舌打ちしたくなった。

 この泉の扱いについてウォルフは父王とは意見が食い違っていたのだ。太子という立場上、表だって言うことはできなかったが。


 ジョムルは、そして宮廷は、積み重ねてきた伝統を壊すことができなかった。歴史の結果としての王の地位であり貴族の身分だ。それを支えてきた泉を守ることに固執した。

 そんなものは打ち破るべきなのに、とウォルフは歯噛みしていた。元は家畜を追い、戦い、奪って作り上げた都だ。失うならまたやり直せばいい。

 その判断の理由が十六になったばかりという若さゆえか、生粋のアリーの民ではないという血ゆえなのかはわからないが。


「せめて民を渇かすことのないようにしなければいけませんね」


 沈痛な面持ちでウォルフは言ったが、魔導師達は答えられなかった。新しい泉のことをウォルフにもらしてはならない。

 この太子がまともな人物だったとしても、彼の立場では単独でこの事態に対処できないだろう。ウォルフに情報が入れば泉は王と宮廷に押さえられてしまう。


 魔導師達の沈黙をどう受け取ったのか、ウォルフは微笑んでみせた。


「何かを唱えたりはしないんですか」

「え?」

「あの、呪文のような」


 さっきのカザクが何も言わずに術を使ったのが不思議だったそうだ。魔術師の仕事は見たことがあるが、聞き取れないほどの声だとしても一言呟くのが普通だった。


「ああ、別になくてもいいんです。あれはおまじないのようなものだから」

「おまじない?」


 タリヤはふふ、と笑った。確かにカザクもタリヤも唱えることはある。


「魔力を及ぼす道筋をつけるためのしるべのようなものなので。術士が間違わないように、練習通りにできるようにっていう」


 つまり習慣づけルーティンだ。


「そんなものなんですか」


 ウォルフは目を丸くして、楽しそうに笑った。本当は笑っている場合ではないのだけれど、笑うしかなかった。







 ***


 次回、第47話「おかえりなさい」。

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